artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
手ぬぐい Tokyo@Osaka──200人のクリエーターによる200の提案
会期:2011/05/31~2011/06/27
イーマ1F ディーバ[大阪府]
35×90�Bの手ぬぐいが200枚も一堂に並ぶと、じつに目に楽しい。展示されるのは、若手から大御所まで第一線で活躍中の美術家とデザイナーたち。規定は、手捺染の二色使いということだけ。よってその表現形式はさまざまである。宇野亜喜良が、オランダのボッスをモティーフにした独自の幻想的な絵画的表現を繰り広げれば、ひびのこづえはファッション・デザイナーらしく、予め結ぶとピンとなるよう意図された、黒一色の揺らぐ素敵な格子模様で魅了する。勝井三雄や和田誠をはじめとして佐藤可士和、佐藤卓らまで展示されているから、デザインに興味のある人にとっては興味深いだろう。ただ欲を言えば、そのディスプレイのしかたが惜しい。ギャラリーのスペースの関係が多分にあろうが、さらに一歩踏み込んで、手ぬぐいの「拭く・被る・包む」などの用途を関連させたり、使う側にとっての楽しい提案を反映した展示があればなおよかった。この商業施設の中にある「ディーバ」が、「デザインの場」と銘打たれ、空間デザインにはgrafの服部滋樹氏が関わっているから、こちらが勝手に望みすぎてしまうのか。[竹内有子]
2011/06/17(金)(SYNK)
野口久光──シネマ・グラフィックス展
会期:2011/06/04~2011/07/31
西宮市大谷記念美術館[兵庫県]
映画は不思議なものだ。観客は映画そのものの表現やストーリーだけでなく、俳優のイメージ、背景となる風景、衣装、台詞や音楽、ときには映画を一緒に観た人やその日の出来事に至るまで、じつにさまざまな外的要素を絡み合わせながら、映画を記憶する。映画ポスターもまた、そうした映画にさらなる魅力を加える、外的要素のひとつであろう。本展は野口久光(1909-1994)が手がけた、1930年代から1960年代のヨーロッパ映画のポスターを中心に、ポスター原画、プログラム表紙、映画雑誌の表紙絵など、約220点余を紹介するもの。野口は戦前後における日本のジャズ・ミュージカル・映画評論の第一人者として知られるが、『望郷』『天井桟敷の人々』『禁じられた遊び』『第三の男』『大人は判ってくれない』など、1,000作品を超える映画ポスターを描いた、グラフィック・デザイナーでもある。彼は東京美術学校(現東京藝術大学)で学んだ確かな技量と感覚をもとに、映画に対する深い理解と愛情をもって映画ポスターを描き続け、とくに独特の書き文字レタリングは戦後のグラフィック・デザイナーたちに大きな影響を与えた。これまで評価されることの少なかった野口久光の仕事を振り返るという意味では十分評価に値する展覧会だが、似通った印象の作品が一律に並べられていて、最後の展示室に入ったときにはもう飽きてしまった。展示の仕方に少し工夫してほしかったと思ったのは、私だけだろか。[金相美]
2011/06/17(金)(SYNK)
堀内誠一──旅と絵本とデザインと
会期:2011/04/23~2011/06/26
うらわ美術館[埼玉県]
『アンアン』『ポパイ』『ブルータス』などのエディトリアル・デザインを手掛けた堀内誠一(1932-1987)の多彩な仕事を、アートディレクター、絵本作家、旅行家という三つの側面から紹介する展覧会。2009年7月に世田谷文学館からスタートして各地を巡回し、今回うらわ美術館で2年間の旅を終えた。世田谷文学館を訪れたときは彼のデザインの仕事の幅の広さとヴォリュームとに圧倒されたが、今回は絵本作品に見られる多様な画風が印象に残った。多くの絵本作家は──少なくとも短期には──画風を変えないし、絵本の編集者も読者も作家独自のタッチを期待していることと思う。なぜ、堀内はかくも多彩な表現で絵本を制作したのであろうか。
絵本作家マーシャ・ブラウンは、作品ごとに画風を変える理由を問われて、「物語が違うから」と答えたという。木村帆乃氏は、この話を堀内もたびたび指摘していたとし、「この姿勢はそのまま堀内誠一自身にも当てはまるだろう」とする(木村帆乃「パロディの美学」[『堀内誠一 旅と絵本とデザインと』平凡社、2009、88頁])。もちろん、それは絵本作家としてのひとつの方法論なのかもしれないが、編集者の立場からすれば別の作家に頼むという選択肢もある。そう、「編集者・堀内誠一」が彼の仕事すべてに共通するキーワードなのだ。堀内は最初から多様な画風を目指していたのではない。しかし、「こんな絵が欲しいと思っても、なかなかぴったりした絵を描いてくれる人がいない。それならっていうんで自分で描くようになった」(堀内誠一『父の時代私の時代』、マガジンハウス、2007、163頁)のである。彼の画風が多様であるのは、絵本作家・堀内が編集者・堀内の依頼に応えた結果と言えないだろうか。
堀内の多彩な仕事の背景には、全体を俯瞰し、内容に合わせて最適な素材、人材の組み合わせを考える編集者としての視点がつねにあり、編集者としての堀内の要求に、デザイナーとしての堀内、絵本作家としての堀内、紀行作家としての堀内が応えていく構図が見える。そのようにしてでき上がった作品は、一つひとつを比べてみるとその違いに目が行くものの、全体を通してみると間違いなく堀内誠一の仕事である。「どんな仕事でも、その注文に合わせながら、どこか自分の分も表現しているんだろうってのが僕のやり方だったのかもしれませんね」(同、163頁)という言葉に、多様な表現の背景にある堀内の一貫した精神が見て取れるのである。[新川徳彦]
2011/06/16(木)(SYNK)
レイモン・サヴィニャック展──41歳、「牛乳石鹸モンサヴォン」のポスターで生まれた巨匠
会期:2011/06/06~2011/06/28
ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]
サヴィニャックの描くポスターは人々に強い印象を与える。余計な言葉はない。詳しい説明を読む必要もない。一目みただけで、メッセージが伝わってくる。豚、牛、羊、毛糸、ゴムタイヤといった描かれたものそのものが、私たちに直接語りかけてくる。広告としての手法がすばらしいのはもちろんのこと、ヴィジュアルを中心とした表現は、もともとの文脈から切り離されても絵画作品として成立する。それゆえに、サヴィニャックの作品はいまでも多くの人々を魅了し続けているのだ。もちろん、彼は広告をつくっていたのであって、絵を描いていたわけではない。彼はポスターの出来をほめられるよりも、掲出後に商品の売り上げが伸びたことを聞くことのほうを喜んだという。また、彼はアメリカ的な広告制作の分業体制を嫌っており、すべてを自らの手で仕上げることを好んでいた。サヴィニャックがイラストレーターではなく、画家でもなく、ポスター作家と呼ばれる所以である。今回の企画にも協力しているサヴィニャック作品のコレクター山下純弘氏は、サヴィニャックは画家、デザイナー、アイデアマン、職人、ビジネスマンという多様な側面を併せ持った人物であったと語っている。
ところで、サヴィニャックの表現からは、商品を他社のものと差別化しようとする意図はあまり感じられない。彼のビジュアルはメーカーにかかわらず適用可能なものも多い。ランクハムやマギーブイヨンのためのポスターなど、メーカー名やブランド名を他社のものに入れ替えてもそのまま通用するに違いない。実際、ポスター作家として人気が出る前、彼は作品が採用されるまで同じポスターを持って複数の企業に売り込みに歩いていたし、コカ・コーラのために描いたポスターは手直しをしてペリエのポスターになり、トブラー・チョコレートのためのポスターはロゴを消して森永チョコレートのポスターになった。それにもかかわらず、わたしたちはサヴィニャックのポスターを、特定の企業、特定のブランドと結びつけて覚えている。企業やブランドの名前が画面に入っているから、という理由だけでは説明できないインパクト──彼の手法は「ビジュアル・スキャンダル」と呼ばれる──が、彼のポスターにはある。[新川徳彦]
2011/06/15(水)(SYNK)
特別展 浅川巧(たくみ)生誕百二十年記念「浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ)兄弟の心と眼──朝鮮時代の美」
会期:2011/04/09~2011/07/24
大阪市立東洋陶磁美術館[大阪府]
浅川伯教(1884-1964)は1913年、日本統治下の植民地朝鮮に小学校の教員として赴任した。その翌年、弟の巧(1891-1931)が朝鮮総督府の林業試験所の仕事に就き、二人の朝鮮での生活がはじまった。朝鮮の人々の生活に溶け込んで暮らしていた二人は、それまで見向きもされなかった、朝鮮の陶磁器や工芸品の美しさに気づくのである。やがて伯教は朝鮮陶磁研究の第一人者となり、弟の巧は朝鮮の陶磁器や工芸品について名著を著した。そうした彼らの活動は、柳宗悦(1889-1961)との交流を通じて「民藝」誕生へとつながる。本展は、近年再評価の気運が高まる浅川兄弟の事跡を体系的に紹介するもの。浅川兄弟や柳宗悦が選んだ旧朝鮮民族美術館のコレクションや、彼らによる絵画資料や自筆の原稿など約200点の展示を通して足跡をたどることができる。ただ、日本民藝館や同美術館のコレクションが圧倒的に多く、それらに見慣れた人は新鮮さを感じないかもしれない。[金相美]
2011/06/15(水)(SYNK)