artscapeレビュー

SYNKのレビュー/プレビュー

ミケランジェロ・ピストレット「The Mirror of Judgement」

会期:2011/07/12~2011/09/17

サーペンタイン・ギャラリー[ロンドン]

現代アートを専門とするサーペンタイン・ギャラリーでは、ミケランジェロ・ピストレットの展覧会が開催されていた。ピストレットは、アルテ・ポーヴェラとコンセプチュアル・アート双方の主導的なアーティストと見なされている。彼は1960年代後半から、日常的な「もの」が、思想や表現を通じていかにしてアートに変容するのかについて興味を抱いてきた。今回の個展のテーマは、「鏡」。会場に入って驚くのは、子どもの背の高さほどもある、波打つように巻かれた段ボール紙によって、迷路がつくられていることだ。来場者はそのサイト・スペシフィックな、曲がりくねった通路を回遊してゆく。ふと目をやると、ギャラリーの窓から見える緑豊かな風景とこの空間が連結していることに気付く。そうしているうちに、節々で、大きな鏡を用いたさまざまなインスタレーションに出くわす。「鏡」とそれに自ら向き合うように置かれた仏像のほか、四つの宗教に関連したもの。ギャラリーの天窓から見える空を映す「鏡」の池。「鏡」による大きなオベリスク等々。それらの鏡に映し出されるのはまぎれもなく、立ち止まる観者自身である。標題となっている「判断の鏡」とは、まさに、展示の一部となって他者から見詰められ、自分によってまた見詰め返される来館者自身なのである。いわば、外なる自分と内なる自分に相対して、彼/彼女はしばしたじろくことになるのだ。敷地の隣にある「パヴィリオン」の閉じたようでいて静かに開放されていたズントー建築と、一見開かれているように見えながら鑑賞者の内面を突きつけるような本展との対照が──ともに内省的空間を形成しているとはいえ──印象的であった。[竹内有子]
図版キャプション:展示風景、© 2011 Sebastiano Pellion

2011/08/03(水)(SYNK)

サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン2011

会期:2011/07/01~2011/010/16

サーペンタイン・ギャラリー[ロンドン]

筆者はいま英国滞在中のため、今月と来月の記事はロンドンからお送りしたい。ロンドンの夏の風物詩、サーペンタイン・ギャラリーのパヴィリオンへ行ってきた。このパヴィリオンは、同ギャラリーの隣接地に毎年夏季限定で設営される仮設の休憩所。2000年のザハ・ハディドに始まり、3期目が伊東豊雄、一昨年はSANAAが担当しており、当代のもっとも旬な建築家が招かれることで知られる。そして今年は、スイス人建築家ピーター・ズントー。写真のとおり、外観は一見、矩形の黒い箱のような建築。入口/出口は表と裏に三つずつある。入るとそこは薄暗いアーケード、建物の外周に沿った矩形状の回廊である。そこから別の入口へとさらに歩みを進めると、突然明るい庭が現われる(歴代のパヴィリオンで初めての試み)。そもそも同ギャラリーは、ハイド・パークに続くケンジントン・ガーデンズという公園/庭園の中にあるから、そこにもうひとつの小さな庭をつくるズントーの発想はたいへん興味深い。庭の形もまた長方形で、植えられているのは野の草花といった趣。それを囲むように、矩形の喫茶用空間が現出する。庭の上部分は吹き抜け、喫茶用のテーブル・ベンチと椅子が並んだ部分には、庇が低く架けられている。まるで日本の寺社ないし家屋の縁側にいるようだ。後で知ったが、パヴィリオンのテーマは、「瞑想の場所」であるそう。この中央に位置する庭のある場所に入ることで、ロンドンの喧騒から離れて心を落ち着ける。そこに座って、また庭の周りを歩いて、静かに各自が思いを馳せるのだ。してみれば暗い回廊部分は、内部の瞑想空間に入るために一呼吸置く場所と解される。ズントー建築のもつ深い精神性に感じ入ったひとときだった。[竹内有子]
図版キャプション:パヴィリオン外観、© Peter Zumthor, Photograph: Hufton+Crow

2011/08/02(火)(SYNK)

日本のアニメーション美術の創造者:山本二三展

会期:2011/07/16~2011/09/25

神戸市立博物館[兵庫県]

アニメーション美術監督・背景画家の山本二三(1953- )の回顧展。初期作品から近作までの背景画180点を展示中だ。背景画とは、アニメーションに登場するキャラクター以外の、すべてのバック絵のこと。「スタジオジブリ・レイアウト展」や「ディズニー・アート展」など、制作会社や作品そのものに関する展示はしばしば目にすることができるが、背景画だけの展示はまだ珍しく、正直なところ原画展とも、絵画展とも、デザイン展とも、その区別は難しい。山本が描いた、名もない「風景」が観客を迎えるだけ。だが、その風景は観客を惹きつけてやまない。作品への記憶のためなのか、優れた描画能力のためなのかはわからない。それは人それぞれだろうから。
 「風景とはすべてのものを主役にするだけの特化さえも拒む価値です(…中略…)多くの人が山本作品に引き込まれ、それぞれの物語を覚え、脳裏に焼き付けるのでしょう。描かれた風景が地となり背景となる時、私たちの記憶は初めて心のどこかに現れてくるのですから」(展覧会図録より)[金相美]

2011/07/26(火)(SYNK)

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かんさいいすなう──人はすわって考える? 大山崎山荘にすわろう

会期:2011/06/17~2011/09/25

アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]

アサヒビール大山崎山荘美術館所蔵の黒田辰秋(1904-82)の椅子作品とともに、関西の現役作家30名の椅子が大正・昭和に建てられた洋風建築の内部に展示されている。黒田に直接師事した1940年代生まれの作家から、1970年代生まれの若手作家の作品まで約50脚の椅子が示唆するのは、われわれにとって理想の椅子とはなにか、という根本的な問題だろう。出品作家たちは、技法的・機能的側面から、あるいは歴史的側面から、または現代生活に求められるものという観点から、各々、この問いに対する答えを引き出そうとしているように思える。
黒田に直接師事した小島雄四郎、藤嵜一正、村山明らの椅子は、指物や漆芸、螺鈿等の伝統技術が駆使された、ケヤキの木目が美しい作品である。こうした「民藝」の流れを汲む椅子は、機能的であると同時に生活空間を彩るオブジェともなりうる。雨森一彦の切り株から枝が四方八方に生えているかのような椅子や、山本伸二のケヤキの削り出しによる彫刻のような椅子はそのオブジェ性に注目したものだろう。平松源の和室用の座椅子や、坂田卓也の低いロッキングチェアが想起させるのは無論、西洋由来の椅子に対し日本人が抱いてきた葛藤の歴史である。しかし、これらの椅子を見ながら、その葛藤は現在ではユニヴァーサル・デザインという新たな方向性を生み出しうるのではないかとも思った。若手の作家の作品には、意匠の側面よりも、機能性に目を向けたものが目立つ。シェーカー家具や北欧デザインに刺戟された宇納正幸、佃眞吾らの椅子、建築のトラス構造を用いた安森弘昌の椅子は、椅子の歴史に対するアカデミックな参照ともとれるだろう。安井悦子の子供用スツールは座面をまわすと音が出る仕掛けになっており、椅子における視覚と触覚の支配を切り崩そうとする意気込みがうかがわれた。
この展覧会が特徴的なのは、観客が出品作品のほとんどに実際に座れることである。ステージの上にある椅子に観客が座っている光景は、時には舞台の光景を観るようでもあり、意外な展示効果を放っていた。もうひとつ気づかされたのは、椅子というのは座ってしまえば本人はもとより、周りの人間からもそれがみえなくなってしまうことだ。このことは、ひょっとしたら、椅子が造形ではなくあくまで椅子であることのひとつの所以であるのかもしれない。[橋本啓子]

左=雨森一彦《木のかたち 椅子》 2003年、橡、拭漆仕上げ 55.0×109.0×60.0cm
右=山本伸二《オーム貝のベンチ》2010年、欅、オイル仕上げ(アサヒビール大山崎山荘美術館本館前にて撮影)

2011/07/16(土)(SYNK)

ムサビのデザイン──コレクションと教育でたどるデザイン史

会期:2011/06/24~2011/07/30

武蔵野美術大学美術館[東京都]

武蔵野美術大学美術館・図書館のリニューアル開館を記念する展覧会。ポスターと椅子を核として1960年代から収集されてきたコレクション約35,000点から選ばれた500点を展示する。コレクションの第一の目的はムサビにおけるデザイン教育のための実物資料であるが、そこには近代デザイン史を概観するものという方針もあり、時代を代表するデザインが収集されてきたという。
教育目的が背景にあるということは、コレクション形成にはその時々のデザイン教育の姿勢、デザインに対する視点が反映されているはずで、その歴史はそのままムサビにおけるデザイン教育の歴史にもなりうる(このことは展示の企画にも謳われている)。しかしながら、コレクションを年代別に並べ、同時代の状況に簡単に触れた展覧会の構成は、21世紀の視点から過去を振りかえった近代デザイン史のテキストといった趣である。せっかくの「ムサビのデザイン」なのだから、近代デザインの一般的な流れを追うよりも──そもそもそれはムサビ以外にも共通することなので──、ムサビがどのようなヴィジョンを持ってデザイン教育を行なってきたのかについて、もっと強調しても良かったのではないだろうか。ただし、今回の企画は武蔵野美術大学美術館が「わが国における『デザインミュージアム』の発展を後押しする筆頭格であること」を示すこともねらいとしており、その意図からすれば展示、図録とも、とても充実したものになっているのは確かである。比較的手薄な日本のプロダクト・デザインも加え、常設化を検討して欲しい。[新川徳彦]

2011/07/14(木)(SYNK)