artscapeレビュー
SYNKのレビュー/プレビュー
WHITE──桑山忠明 大阪プロジェクト
会期:2011/06/18~2011/09/19
国立国際美術館[大阪府]
ニューヨークを拠点に活動中の作家、桑山忠明の新作を中心に構成された展覧会。1970年代には無機的な物質性とモノクロームの色面に注目し、1990年代からは同一形体のユニットが連続する空間表現を展開するなど、桑山は意味や感情を極限まで排除した絵画で、独自の表現を確立してきた。「WHITE──桑山忠明 大阪プロジェクト」と名付けられた本展は1990年代以後の実験的空間表現の延長上にあるもの。三つに分かれた白壁の展示室に白一色の絵画を並べ、空間ごと作品化しているという。飽きそうで飽きない、不思議な空間(作品)が体験できる。[金相美]
2011/07/03(日)(SYNK)
ジャケット・デザイン50-70's──ジャケットでめぐる昭和
会期:2011/05/21~2011/07/18
芦屋市立美術博物館[兵庫県]
本展は、ラジオ関西が所有する1950-70年代のレコード・ジャケット(海外アーティストのみ)を展覧したもの。会場には音楽が流れ、約200点におよぶ戦後以降のLP盤ジャケットを一堂に見ることができるから、そのときに青春時代を送った人々は、特に楽しめるだろう。が、いささかフラストレーションが残る感じは否めない。「ジャケット・デザイン」の「なににスポットを当てたいのか」という主催者の意図がはっきりしないからだ。副題にあるように日本における昭和の文化を浮かび上がらせたいのか、またはジャケットの芸術性を問題にしたいのか、あるいは同時代における西欧の社会的・文化的表象としての「デザイン」なのか? とはいえ展示品の中には、興味深いジャケットのデザインがいくつかあった。ビートルズの初期盤に見られるようなポートレイト的・没個性的な表現から、《サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド》(デザイン=ピーター・ブレイクとジャン・ハワース、1967)のサイケデリックで個性的なジャケットへの変遷。また、ローリング・ストーンズの《スティッキー・フィンガーズ》(1971)では、アンディ・ウォーホルがジャケットに実物の「ジッパー」を取り付けるという斬新なデザインを試みている。そのほか、横尾忠則が手掛けたサンタナの《ロータスの伝説》(1974)など。これらに関しては、ポップ・アート/ポップ・デザインの文脈や、若者文化などに関する社会文化的視点を加えた詳しい解説パネルを付せば、観者の理解がより増すだろう。指定管理者の問題以降、館の運営に試行錯誤が続く芦屋市立美術博物館。今後の展覧会活動の充実に期待を寄せつつ、応援をしてゆきたい。[竹内有子]
2011/07/03(日)(SYNK)
竹原あき子『縞のミステリー』
工業デザイナー・竹原あき子氏の近著『縞のミステリー』は、時空を自由に行き来しながら縦横無尽に、「縞」の本性と歴史について語り尽くす。いまや日常で見慣れた「ストライプ」は、かつてエキゾティックなものだった。桃山時代に、南蛮貿易でインドや東南アジアから輸入された木綿の縞織物は「サントメ」と呼ばれて日本人に好まれ、やがては「唐桟(とうざん)」として日本各地で生産されるようになった。冒頭の舞台はそのインド南東部のマドラスだ。それから、産業・デザイン・歴史をとおして縞文様をめぐる旅が始まる。ヨーロッパとアジア、さらにはアフリカ・イスラムと「日本の縞」はどのように異なり、この国の歴代で愛し育てられ変貌を遂げてきたのか。「一瞬にして際立つ縞、コントラストのある縞の魔的な力は、見えないものを見えるものにし、この人物は普通でないと社会に差し出す。パストゥローの『悪魔の布』は、そんな縞の悪魔的な性格を強調してやまなかった。だがヨーロッパの外では縞に反社会的な意味はなかった」と著者は語りつつ、「日本の縞は、スキャンダルでもなければ、悪魔の布でもない。だが九鬼周造が語るように縞は、日本人にとって粋の極致だったのだろうか」と問いを投げ掛ける。縞文様とはロマンだ。文様は──それが幾何学的な文様であれ──物語を、私たちの住む世界がいかにして築かれてきたかについて密やかに語る。本書を読めば、著者の眼を通じて、日常にいながらにして世界中を訪れた気分になれる。[竹内有子]
2011/07/02(土)(SYNK)
藝術学関連学会連合第6回公開シンポジウム「アートとデザイン──その分離と融合」
会期:2011/06/18
大阪大学会館講堂[大阪府]
「アートとデザイン──その分離と融合」と題するシンポジウム(主催:藝術学関連学会連合)が大阪大学で開催された。筆者はパネリストの一人として参加したので、その概要を紹介したい。開催にあたり、黒川威人氏(金城大学)は、デザイン学と芸術学の協同により、アートとデザインの関係性を歴史的に見通すことの意義について述べた。「藝術」といえば、「ファイン・アート」がすぐさま想起されるけれども、美を藝術に結び付けるのは近代特有の考え方であって、それ以前に共有されてきた「アート」がある。「術=arts」はどのようにして「藝術」と「機械的技術」に区分されたのか? 藤田治彦氏(大阪大学)は、イタリアの「ディセーニョ」やフランスの「デッサン」と「ファイン・アート」との関係などを、アカデミーを事例として、「デザイン」概念が拡張される歴史的経緯・展望を論じた。次に歴史篇として、筆者がまず、19世紀英国の官立デザイン学校をとりあげて、アートからデザインが分離する状況とそれに纏わる諸問題について報告した。森仁史氏(金沢美術工芸大学)は、日本人の芸術観(「芸」概念)と「美術」概念が移植される様相を詳述し、日本におけるアートとデザインの連関は「工芸」を起点としていると指摘した。そして実践篇では、竹原あき子氏(和光大学)が「日本的なるもの」の探求をキーワードに日本の現代デザインにおける展望を熱く語った。最後に、ゲストの黒川雅之氏(黒川雅之建築設計事務所)が、デザインとはなにかを考えるために構想した〈デザインの樹〉──アートとテクノロジーの融合である「建築」を幹として広がる図式──を提示し、デザインの魅力を高らかに謳いあげた。藝術学関連学会連合のシンポジウムで、「デザイン」がおもなテーマとなるのは、今回が初めてである。現在、社会で急速に意味・使用が拡大している「デザイン」と、変化を遂げ境界が融解しつつある「アート」。これを契機として、デザインおよびアート研究双方のためにも、議論の場が継続的にもたれるよう期待したい。[竹内有子]
2011/06/20(月)(SYNK)
Stack-ing Design展──積み、重ねる、カタチ。
会期:2011/06/16~2011/07/12
世田谷文化生活情報センター 生活工房[東京都]
身の回りのデザインに着目する生活工房の企画。今回のテーマはスタッキングである。灰皿、グラス、食器、弁当箱、トレイ、ボウル、重箱、スツール、スーパーのカゴやカート、ケロリンの湯桶、パイロン、ヘルメット、跳び箱……。積み重ねることができるようになっているさまざまなプロダクトが集められている。会場の間仕切りはスタックされたビールケースだ。企画を担当したデザインユニットdelibabは、重ねる行為から人とモノとのあいだに生まれるコミュニケーションを提案する。たとえばアルファベットが一文字ずつプリントされたカップは、重ねる順番によって現われる単語の意味が変わる。積み木に通じる楽しさだ。
会場ではとくにデザインをジャンル分けしたり、意味を示しているわけではないが、似た性格のプロダクトが集まると、自然とその類似点、相違点がみえてくる。重ねることの目的は第一に空間の節約であるが、そのときにモノに必要な面積だけが減るものと、容積も減るものとがある。使われている時間よりも使われていない時間のほうが長いものほど、より効率的なスタックが求められる。食器類はその典型。流通過程はもちろんのこと、家庭においても皿が実際にその用をはたすのは、一日のうちのほんの短い時間に過ぎないからだ。また、米俵やビールケース、タッパーウェア、衣装ケースなど、単体であるよりも積まれたカタチが常態のものもある。これらは中身が入った状態で長時間・長期間にわたって保管される点が共通している。
ユーザーが求めているのは空間の経済性であり、その課題をどのように解決するかがデザイナーの腕の見せどころである。展示されているスタッキング・デザインの数々は、現場で鍛えられたロングライフ・デザインともいうべきものばかり。ここには問題解決のためのヒントがたくさんある。[新川徳彦]
2011/06/17(金)(SYNK)