2020年04月01日号
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artscapeレビュー

美術工芸の半世紀 明治の万国博覧会展[I]デビュー

2015年12月01日号

会期:2015/10/31~2015/12/06

久米美術館[東京都]

幕末から明治前半期に日本が参加した万国博覧会と、博覧会や美術工芸の振興にかかわった人物──佐野常民(1823-1902)・田中芳男(1838-1916)・久米邦武(1839-1931)・ゴットフリート・ワグネル(1831-1892)──の仕事を紹介する展覧会。明治期の輸出工芸の特異な作品や工芸家たちは近年「超絶技巧」というキャッチコピーで注目を浴びているが、本展はそうした作品・工芸家が生み出された背景に焦点を当てた企画で、3回を予定しているシリーズの1回目は明治政府が国家として世界にデビューした舞台としての万国博覧会が取り上げられている。
 展示は縦軸に博覧会、そして横軸にそれら博覧会にかかわった人物を配し、関連する史料と工芸作品を紹介する構成になっている。序章は第2回パリ万博(1867)。このとき日本からは江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ別個に参加。幕府からはのちに博物館の父と呼ばれる田中芳男、佐賀藩からは博覧会の父と呼ばれることになる佐野常民が派遣されている。第1章はウィーン万博(1873/明治6)。佐野常民は日本の博覧会事務局の副総裁を務め、ワグネル等の助言により各地の産物や工芸品を選定。好評を博したことから明治政府の殖産興業政策のなかに欧米の嗜好に合わせた工芸品輸出が組み込まれることになった。岩倉使節団の一員だった久米邦武は、使節団一行とともに万博を視察し「博覧会は太平の戦争」と評している。第2章はフィラデルフィア万博(1876/明治9)。展示には田中芳男、ワグネル等、ウィーン万博経験者たちが力を振るったという。また久米邦武は出身地佐賀の有田焼の近代化と海外輸出を進めるべく、香蘭社、のちには精磁会社の設立にかかわり、フィラデルフィア万博への出品を後押しした。第3章は第3回パリ万博(1878/明治11)。欧米における日本美術ブームのさなかであり、万博には欧米でつくられた日本趣味の工芸も見られたことが示されている。
 この展覧会の主題は万博と美術工芸と人(工芸家ではない)であるが、企画の背景を理解しておくと、出品史料、作品の位置づけが良くわかるように思う。会場が久米邦武・久米桂一郎父子の資料・絵画を紹介する久米美術館であるから、万国博覧会に直接には関わらなかった久米邦武の事績が取り上げられていることはそのひとつ。もうひとつは、本展の企画・主催が霞会館(旧・華族会館)であること。今回の出品作品には霞会館が所蔵する七宝瓶と薩摩様式陶器が含まれているが、これらは明治2年に浜離宮庭園内に外国からの賓客を迎えるためにつくられた「延遼館」の調度品が華族会館に引き継がれたものだという。久米邦武が支援した精磁会社が皇室や迎賓館に納めた和製洋食器の意匠が輸出向けとは異なる日本風の比較的シンプルなものであるのに対して、延遼館伝来の陶磁は欧米で人気を博した薩摩様式(うちひとつは錦光山の京薩摩)である。すなわち、外国からの賓客が滞在する場に海外向けにつくられた当代の工芸品が備えられたのは、日本の美術工芸品輸出をプロモートしようとする政府の意図によるものであり、そのことは明治政府による各国の万国博覧会参加・美術工芸振興と軌を一にしていたことになる★1。[新川徳彦]

★1──詳細については、金原さやこ「延遼館の陶磁器──その伝来と薩摩様式陶器について」(本展図録、114~119頁)。

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