artscapeレビュー
三喜徹雄/GERDEN
2013年06月01日号
会期:2013/04/16~2013/05/12
楓ギャラリー[大阪府]
1967年の結成以来、関西を拠点にしながら野外での表現活動を一貫して継続している前衛芸術運動「THE PLAY」。その主要なメンバーである三喜徹雄の個展。「THE PLAY」と同様、三喜個人の表現活動も海岸や山間部などで催しているが、本展も画廊の軒先と庭に作品を展示した。
緑が生い茂る庭に設置されていたのは、巨大な球状のオブジェ。最低限の竹を湾曲させながら組み合わせているため、後景を見通すことができるほど、量塊性には乏しい。けれども、背景に溶け込むかのような物体のありようは、求心的な造形によって自然と対峙する西欧彫刻の伝統とは異なる立体表現の可能性を示していた。しかも、西欧彫刻の伝統とは異なる立体表現を志向したにもかかわらず、依然として重力に従順だったもの派とは対照的に、その圏外からも軽やかに脱出する遠心性を造形化していたところがすばらしい。文字どおり、庭からも転がっていくような自在な運動性が感じられたのだ。
その身軽な運動性は、形式的にも内容的にも、三喜徹雄の表現活動の全般に通底する大きな特徴だが、軒先にずらりと展示されたこれまでの作品を記録した資料を通覧すると、そこには現代アートに対する根源的な批評性が含まれていることに気づく。それは、私たち鑑賞者のなかに認められる、美術作品と美術家を同一視する視線である。
私たちは、美術家の内的な必然性にしたがって表現された造形を美術作品として考える傾向がある。美術家は自らの思想なりメッセージを作品に埋め込んでおり、それゆえ私たち鑑賞者は想像力を駆使してそれらを掘り起こし、読み解かなければならないというわけだ。これは一見すると当たり前の考え方のようだが、じつは近代という時代に特有の芸術観念にすぎない。軒先の壁に貼りつけられたノートに記された三喜徹雄の次の言葉は、その芸術観念に毒された私たちの脳天を揺さぶるほどの強い衝撃があるに違いない。
「よく『意味』など聞いてくるアホもおるけど、意味なんかおまえが考えろと返事することにしてます。もしそいつに意味などというもんがあるんやったら、それはおまえの中にあるんであって、俺に聞くな!!」
2013/04/20(土)(福住廉)