artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
木下晋─祈りの心─

会期:2012/04/21~2012/06/10
平塚市美術館[神奈川県]
鉛筆によるモノクロームの絵画を描いている木下晋の個展。最後の瞽女と言われた小林ハルや、元ハンセン病患者の詩人桜井哲夫など、これまでの代表作に加えて、東日本大震災を受けて制作された「合唱図」のシリーズなど、あわせて50点あまりが展示された。
クローズアップでとらえられた両手は、一つひとつの皺まで克明に描き出されているが、当人の顔がフレームから外れているにもかかわらず、いや、だからこそと言うべきか、次第に手そのものが人の顔に見えてくる。皺が顔のそれを連想させたからなのか、あるいは手と手が必ずしも対称的ではなく、むしろ非対称の関係に置かれていたところに、歪な人間らしさを感じたからなのか、正確なところはよくわからない。
ただ、あちらに描かれた両手が、すべてこちらを向いていたところに、その大きな要因があるのかもしれない。祈りの念が私たち鑑賞者に向けられていたからこそ、私たちはその手の向こうに、人の姿を見出してしまったのではないか。祈りという眼に見えない精神の働きが、見えるはずのない人間の存在を幻視させたと言ってもいい。
誰かの何かの「祈り」が受け渡されたかのように錯覚した私たちは、それを再び、どこかの誰かに手渡したくなる。「祈り」を描いた木下晋の鉛筆画は、もしかしたら神への一方的な伝達だった「祈り」を、双方的ないしは重層的なそれへと変換させる、きわめてアクチュアルな絵画作品なのかもしれない。それは神なき時代の宗教画なのだ。
2012/05/04(金)(福住廉)
中平卓馬『サーキュレーション──日付、場所、行為』

発行所:オシリス
発行日:2012年4月26日
中平卓馬は1971年9月24日~11月にパリ郊外のヴァンセンヌ植物園で開催されたパリ青年ビエンナーレ(正式名称はパリ・ビエンナーレだが、出品作家が20歳~35歳までという制限があるので「青年ビエンナーレ」と表記される)に参加した。出品作の「サーキュレーション──日付、場所、行為(Circulation: Date, Place, Events)」は、いかにも中平らしい過激なコンセプトに貫かれていた。毎日、パリ市内でアトランダムに撮影したスナップショットを、その日のうちに現像・プリントし、そのまま会場の壁に貼り付けていったのだ。雑誌やポスターの画像の複写を含む、都市の雑多な断片的なイメージを増殖させ、写真を作品として完結させていこうという営みに真っ向から異議を唱えるアナーキーな試みだったのだが、印画紙が指定されたスペースからはみ出して床にまで広がり、他の作品まで侵食し始めたことで、ビエンナーレ事務局からクレームがつく。結局、中平は会期終了日の2日前に、事務局の干渉に抗議して会場から全作品を撤去した。
今回オシリスから刊行された『サーキュレーション──日付、場所、行為』は、中平がパリで撮影した35ミリモノクローム・フィルム、約980カットと、現存する48枚のプリントから、パリ青年ビエンナーレの展示作品を再構成した写真集である。35ミリネガからのプリントは金村修が担当した。40年後の現在においては、ベストに近い編集、造本、レイアウトであり、当時の熱っぽい雰囲気がヴィヴィッドに伝わってくる。中平が1970年代の初頭に展開していた、写真を「行為」として捉え直そうという志向は、デジタル化が全面的に浸透した現在の状況において、もう一度問い返されるべきだと思う。『サーキュレーション──日付、場所、行為』は、「思考のための挑発的資料」としての意義と輝きを失ってはいない。
2012/05/03(木)(飯沢耕太郎)
公募団体ベストセレクション 美術 2012

会期:2012/05/04~2012/05/27
東京都美術館[東京都]
都美館の「リニューアルオープンを機に、『公募展発祥の地』としての歴史の継承と発展を図るため」企画された公募団体展の選抜展。これのいささか奇妙な点は、団体展の団体展であること、そして都美館が主催者であることだ。団体展は都美館にとって最大のお得意さまだが、かつてのような影響力を失ったここ20~30年はたんなる金ヅルというか、もっといってしまえば必要悪になってしまったと思っていた。なのに今回どういうわけか都美館が「指導力」を発揮し、井のなかで派閥闘争を繰り広げてきた美術団体をまとめるパトロン的立場に立ったことに、ある種の違和感を覚えたのだ。都美館が原点に立ち返ったともいえるが、これを時代に逆行した現象と感じるのはぼくだけだろうか。いや、ひょっとしたら時代に逆行しているのは自分だけかもしれない、とも思ってしまった。でも展覧会を一巡してみて、つい足を止めて見入ってしまうような作品にはお目にかからず、少し安心したのも事実。安心させないでくれよおお。
2012/05/03(木)(村田真)
大エルミタージュ美術館展──世紀の顔・西欧絵画の400年

会期:2012/04/25~2012/07/16
国立新美術館[東京都]
エルミタージュ美術館の300万点を超えるコレクションから89点の絵画を選び、16世紀のルネサンスから20世紀アヴァンギャルドまで1世紀ごとに5章に分けて紹介。第1章はいきなりティツィアーノ晩年の《祝福するキリスト》で始まるが、あとはレオナルド派によるモナリザのヌード像や、当時としては珍しい女性画家ソフォニスバ・アングィソーラによる女性像が目を惹く程度。そういえばエルミタージュ美術館展て毎年のように開かれているから、今回も在庫一掃セール的な極東巡業かと思って第2章に足を踏み入れたら、そんなことなかった。父娘愛を隠れ蓑に近親相姦的ポルノを描いた《ローマの慈愛(キモンとペロ)》と、田園風景に理想世界を封じ込めたかのような《虹のある風景》の2点のルーベンスは見ごたえがあるし、レンブラントやヴァン・ダイクの卓越した肖像画もバロック的な重厚感にあふれた傑作。いやそんな知られた巨匠だけでなく、たとえばマティアス・ストーマーとヘリット・ファン・ホントホルストによるロウソクの火を光源にした2点の宗教画や、ホーホストラーテンのだまし絵的な自画像も見逃してはならない。むしろこれぞバロックといいたい。第3章では、小品ながらシャルダンの《洗濯する女》、闇を照らし出す光の表現が巧みなライト・オブ・ダービーの《外から見た鍛冶屋の光景》、牢獄から宮廷画家に成り上がったというリチャード・ブロンプトンの《エカテリーナ2世の肖像》、西洋美術館の出品作品よりずっとよかったユベール・ロベールの《古代ローマの公衆浴場跡》などが目を惹く。注目したいのは、ヴィジェ・ルブランとアンゲリカ・カウフマンというふたりの女性画家の自画像で、どちらも40代の自画像なのに20歳くらいにしか見えない。女性画家の特権か。第4、5章の近代絵画になると有名画家が目白押しになる分、特筆すべき作品は相対的に少なくなる。いやもう18世紀までで十分ともいえるが、唯一の例外がマティスの《赤い部屋》だ。サイズも意外なほど大きくて、他を圧倒する存在感を放っていた。
2012/05/02(水)(村田真)
立野陽子 展─明るさについての記憶

会期:2012/05/01~2012/05/12
ギャラリー16[京都府]
比較的短いタッチの三角形や四角形などが連続する抽象絵画を発表。彼女の作品はこれまでも一定の形態の反復に特徴があったが、ここまでペインタリーな作品はなかったのではないか。灰色がかった青や緑、茶色などで記号的表現が積層しているのだが、その色彩ゆえか、作品を見続けるうちにどことなく風景画に見えるのが不思議だった。また、画面の層構造が窺えるので、画家が作品とどのような対話を繰り返しているのか類推できる点も興味深かった。
2012/05/01(火)(小吹隆文)


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