artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
プレビュー:解剖と変容:プルニー&ゼマーンコヴァー チェコ、アール・ブリュットの巨匠

会期:2012/02/04~2012/03/25
兵庫県立美術館[兵庫県]
パリのabcdの所蔵品により、2人のチェコ人アール・ブリュット作家を紹介する展覧会。ルボシュ・プルニー(1961〜)は、小学校卒業後さまざまな職を経験し、その傍らで幼い頃から興味があった解剖図を思わせる身体の絵を描くようになった。本展では絵画30点などを紹介する。アンナ・ゼマーンコヴァー(1908〜1986)は、25歳で結婚して4人の子どもを育てた後、子離れによる不安の代償として絵を描き始めた。1960年代前半から最晩年までの60作品を展覧する。また、abcdの創立者ブリュノ・ドゥシャムが2009年に制作した長編ドキュメンタリー映画『天空の赤』上映と、そこに登場する6作家の作品展も。
2012/01/20(金)(小吹隆文)
入江明日香 展

会期:2012/01/10~2012/01/21
シロタ画廊[東京都]
銅版画のコラージュで知られる入江明日香の個展。鋭い線とたおやかな色によって「少女と四聖獣」を描いたシリーズを発表した。いずれの作品にも描かれているのは、少女と神話的な動物。両者が密着した平面は、一見するとコマとフキダシを外した少女マンガのようだが、余白を絶妙にとらえた画面構成と控えめながらも調和の効いた色彩が、物語から自立した平面作品として成立させている。とはいえ、入江による今回の作品の醍醐味は、平面作品の自立性というより、むしろ神話的な世界を想像的に描いたところにあると思う。それを描いてきたのはマンガであり、美術はむしろ等閑視しがちだったことを思えば、動物と人間が交換可能であるような神話世界をまっとうに描いた点は評価されるべきである。「人間」の根拠が疑われている昨今、それを改めて規定するには神話世界に立ち戻るほかない。であればこそ、神話的動物と人間の関係が一対一である現状から、それらがより複雑に入り乱れる混合的な画面を待望したい。
2012/01/19(木)(福住廉)
白井忠俊 展─千年螺旋─

会期:2012/01/07~2012/01/28
INAXギャラリー2[東京都]
「円筒絵画」の白井忠俊の個展。青緑の蛇肌を描いた平面作品を円筒状に仕立てて見せた。ぬめりのある蛇肌が重なり合うだけでもえぐいのに、それを円筒の表面に貼りつけているから、蛇のとぐろがそのまま再現されているようで、その迫力によりいっそう凄みが加えられている。360度から鑑賞できるという点では、正面性を求める絵画というより彫刻に近いのかもしれないが、白井の「円筒絵画」があくまでも絵画であるのは、油絵具を厚く盛りつけることで鱗のように見せる工夫を凝らしていること以上に、それが対象の無限性を描写しようと試みているからだ。蛇の頭を確認することはできるが、その胴体は果てしなくとぐろを巻いており、それはどこまでいっても中心にたどり着かない無限の螺旋回廊のようだ。世界を四角いフレームに収めることで、その向こう側を想像させることが絵画の基本的な機能だとすれば、白井の「円筒絵画」はそれを円筒状に整えることで対象の再現性と無限性を同時に倍増させてみせた。無邪気な具象絵画が全盛の時代にあって、「平面」ないしは「絵画」という形式をオーバーホールしながら再構築する仕事は、今以上に評価されるべきである。
2012/01/19(木)(福住廉)
DOMANI・明日展

会期:2012/01/14~2012/02/12
国立新美術館[東京都]
ここ数年で恒例となった文化庁による芸術家在外研修制度を利用したアーティストたちの成果発表展。比較的近年に外国に渡ったアーティストたち8名による作品を中心に、過去に制度を活用した美術家たちによる作品50点あまりもあわせて展示された。あらゆる都市を廃墟にしてしまう元田久治が圧巻だったが、今回とくに注目したのが、児嶋サコ。近年熱心に取り組んでいるネズミをモチーフとした絵画や立体、そして映像を発表した。児嶋が描き出すネズミは、たとえばChim↑Pomにとってのスーパーラットとは対照的に、捕獲するものではない。むしろ、ネズミは児嶋自身であり、それを見るそれぞれの鑑賞者自身である。デジタル写真を編集したスライドショーの映像は、自然のなかを逃走するネズミの視線が投影されているから、鑑賞者は地を這って走り抜けるネズミの高揚感とスリルを味わえるし、女性の下半身にネズミが融合した立体作品はネズミに「なる」欲望の忠実な反映にほかならない。Chim↑Pomにとってのスーパーラットが同類とはいえ捕捉する他者だとすれば、児嶋にとってのネズミは自己の欲望を一方的に投影するイメージであると言ってもいい。その欲望とは、動物をモチーフとしたキャラクターに自己を埋没させることだけではなく、ちょうどネズミが檻から逃散するように、人間という存在そのものから抜け出すことを表わしているように思われた。人間を覆い隠すための動物化ではなく、脱人間のための動物化。もちろんアニメやマンガといった20世紀のサブカルチャーを顧みれば、そうした傾向は随所に見出すことができる。ただし、それらはあくまでも人間という基盤のうえで動物化の物語を繰り広げているのであって、どれほど動物へ飛躍したとしても、最終的には人間に帰着していた。ところが、児嶋のネズミは人間に立ち返るのではなく、むしろ野原をかき分け、岩壁をよじ登り、自然の向こうに突き抜けてしまう。映像のラストで大きく映し出された雲のかたちがネズミに見えたが、それは人間には決して回帰しない、ある種の決別宣言のように思われた。
2012/01/18(水)(福住廉)
桂川寛 追悼展
会期:2012/01/11~2012/01/18
三愚舎ギャラリー[東京都]
昨年10月に亡くなった桂川寛の追悼展。晩年に描かれた水彩画をはじめ、シュルレアリスム絵画、モノクロによる風刺画などが発表された。昨年の2月に熊谷守一美術館で催された回顧展では、よく知られている50年代のルポルタージュ絵画を中心に展示が構成されていたが、今回は上京直後に描かれた絵画など、これまであまり知られることが少なかった作品が数多く発表されていた。小規模な会場だとはいえ、資料を細かく配置するなど、充実した展示である。それらの絵を見ていると、擬人化された魚が頻繁に登場していることに気づくが、これは桂川自身を魚に見立てたものだという。他者を動物に見立てたうえで批判的に風刺する画家は少なくないが、自己を動物として描写する画家は珍しいのではないだろうか。ひとを笑うことはたやすい。だが、自分を笑い飛ばすことはなかなか難しい。桂川寛の絵には、その困難な芽が隠されていると思う。
2012/01/18(水)(福住廉)


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