artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
真夏の夢

会期:2009/08/16~2009/08/30
椿山荘[東京都]
昨年は六本木の住宅展示場で若手アーティストの展覧会を開いた「団・DANS」が、今年は結婚式場で知られる文京区の椿山荘を借りて、庭園と宴会場に作品を展示した。芝生の庭に色とりどりの作品を並べたり(秋好恩)、散策路にありえない標識を立てたり(中田ナオト)、鯉の棲む池に巨大ファスナーを横たえたり(北川純)、明治の元勲・山縣有朋が基礎を築いたという名園でよくこんなことをやらせたもんだと感心する。いくら8月はヒマとはいえ式場はけっこう稼動しているし、新郎新婦が庭に出て池をながめたら巨大なファスナーが浮かんでたなんて、シャレにならないではないか。あ、ファスナーはふたつのものをひとつに結びつけるからシャレになるか。でも、ひとつのものをふたつに分ける機能もあるから、やっぱりシャレにならんわいケーケー。
2009/08/22(土)(村田真)
伊島薫「一つ太陽─One Sun」

会期:2009/08/22~2009/09/23
BLD GALLERY[東京都]
伊島薫は女優たちが死者を演じる「最後に見た風景」のシリーズを撮り続けるうちに、死の恐怖から逃れるための「宗教」がほしくなったのだという。自分にとって「宗教」とは何かを自問自答しているうちに「一つ太陽─One Sun」に行き着いた。この世にただ一つしかない、あまねく世界を照らし出す太陽──たしかに「自然に手をあわせたくなる対象」として、これほどふさわしいものはないだろう。さらにいえば、光の源泉である太陽は、写真家にとっては神そのものであるという解釈も成り立ちそうだ。
この「一つ太陽」シリーズのコンセプトはきわめて単純だ。「魚眼レンズを使って日の出から日没までの太陽の軌跡を長時間露光で一枚の写真に収める」ことで、円形の画面に太陽が大きな弧を描き出す。北極圏のような場所では、白夜になるため太陽の軌跡は丸い円を描く。このあたりのストレートなアプローチと、富士山頂や赤道上を含む綿密で粘り強い撮影作業の積み重ねは、いかにも体育会系の写真家である伊島らしいといえるだろう。
ただ残念なことに、展示が小さくまとまってしまった。つるつるのプラスティックでコーティングしたような仕上げではなく、もっとざっくりとした荒々しいインスタレーションの方が、テーマにふさわしかったのではないだろうか。広告や雑誌を舞台にする写真家の展示に共通する弱点が、この場合にもあらわれてしまったということだろう。
2009/08/22(土)(飯沢耕太郎)
彫刻 労働と不意打ち

会期:2009/08/08~2009/08/23
東京藝術大学大学美術館陳列館[東京都]
大竹利絵子、小俣英彦、今野健太、下川慎六、西尾康之、原真一、深谷直之、森靖の8名による彫刻展。タイトルにも示されているように、彫刻の制作を広い意味での「労働」としてとらえ、その過程で訪れる「不意打ち」を中心的なコンセプトとして展覧会が練り上げられているようだ。だが、「労働」が生産利益のために合目的に労働力を使用することを意味している以上、ほとんどの場合、生産利益を直接的に回収できる見込みがない彫刻の制作活動を安易に「労働」とみなすことはできないし、その制作過程から想定外の「不意打ち」が生まれるとしても、それがそのまま鑑賞者に到達するともかぎらない。報われる保証が一切ないまま、他者と共有可能な精神性を目指して、ただひたすら手を動かし続けること。ようするに、同展のタイトルは通俗的な「芸術」観を難解な言葉で言い換えたにすぎない。同じように、同展の出品作品は、通俗的な「彫刻」概念の範囲内に収まるものが多く、なかなか「不意打ち」を食らうことはできなかった。そうしたなか、「彫刻」らしからぬ作品で「不意打ち」という言葉に値する衝撃を辛うじて与えていたのは、陰刻鋳造による特異な量感を獲得する西尾康之の《Organ》(2006)と、新作の《復顔、粘土法》(2009)、そして地下鉄の通気口から吹き上がる風にスカートがあおられるマリリン・モンローの通俗的なイメージに、同じく通俗的な河童のそれを融合させた森靖の奇怪な木像作品《Much ado about love-Kappa》(2009)。とりわけ通俗性を二乗するような手法を披露した後者は、おそらく「彫刻」というジャンルの通俗性に自覚的であるという点で、今後の展開に注目したい。
2009/08/21(金)(福住廉)
ART OSAKA 2009

会期:2009/08/21~2009/08/23
堂島ホテル[大阪府]
今年の『ART OSAKA』は、初めてプレビューデー(21日)を設けるなど、昨年の課題を生かした改善点が見受けられ、着実な進歩がうかがえた。昨今の不況に配慮してか、各画廊の出品物は小品が多い印象。手堅い判断とも言えるが、ある関係者からは「美術館クラスの作品を求めるディープなコレクターには物足りないかも」との声も。単価の高い作品が少ないということは、数をさばかなければ利益が出ないということであり、そのあたりの吉凶がどう出たのかが興味深いところだ。つくづくアートビジネスは難しいと実感。
2009/08/21(金)(小吹隆文)
松本陽子/野口里佳「光」

会期:2009/08/19~2009/10/19
国立新美術館[東京都]
いちおう「光」という統一テーマは設定されているけれど、ひとつの展覧会ではなく、ふたつの個展と見るべきだろう。野口部屋から入ると、まず富士山の写真《フジヤマ》。富士山を撮ったというより、富士山に登って撮った富士山のいわばセルフポートレートだ。そのあと海中写真、ピンホールカメラで撮った太陽、発光しているようにまぶしい雪景色……と続くが、それぞれのおもしろみは伝わってくるものの、全体としてなにをやりたいのかよくわからない。どうもすっきりしないまま、もやもやした気分を抱えながら松本部屋に入ると、こちらはまさにもやもやした絵ばかり。で、ひとつ気づいたのは、松本のいわゆるピンクの絵は床に水平に置いて描かれたものだから、重力感が希薄で、天地の違いもほとんどないことだ。そこで急に野口の写真が気になって戻ってみると、なるほど富士山の斜めの地平線に始まり、重力のほとんど感じられない海中写真や雪景色(水平に展示されている)、地平線が気になる《砂漠で》、タイトルそのものが示唆的な《飛ぶ夢を見た》と、いずれも重力に抵抗する、または重力を意識した写真といっていい。そこでもういちど松本部屋に戻ってみると、近作の緑のシリーズには明らかに天地があり、水平線らしきものが認められるものさえある。画材は、30年続いたピンクのシリーズがアクリルだったのに、緑のそれは油彩になっている。カタログに本人が書いてるところによると、数年前から床置きでの制作がきつくなったため、キャンヴァスを壁に立て、アクリルを油彩に変えたのだそうだ。松本も重力と格闘していたのだ。
2009/08/21(金)(村田真)


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