artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

江戸時代尾張の絵画 巨匠 中林竹洞

会期:2009/04/01~2009/05/06

名古屋城天守閣2階展示室[愛知県]

江戸時代の「文人画」の画家、中林竹洞の初期から晩年までの作品を展観。四十代半ばで眼病を煩うという画家としての絶望的状況に陥った竹洞の制作の変遷が青年期から丁寧に紹介されていて、見応え充分のボリューム。若い時代のものは強烈なインパクトはないと思うけれど、描写力と点描のような独特の手法も時代を追うごとに洗練されて、独特の作品世界が形成されていくのがよく理解できる。特に晩年の山水図には、絵画というよりもデザイン的に優れたセンスが感じられて、なんとも絶妙な趣きがあった。こんなに沢山の作品を見たのは初めてだったが、感覚的にはちっとも古さを感じず、むしろ新鮮。
江戸時代尾張の絵画 巨匠 中林竹洞:http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/02_events/21/210401/index.html

2009/05/03(日)(酒井千穂)

幻惑の板橋 近世編

会期:2009/04/04~2009/05/10

板橋区立美術館[東京都]

同館の所蔵作品から近世の美術を見せる展覧会。中身は常設展と大差ないとはいえ、見せ方を工夫しているため、けっこうな見応えがあった。畳を敷き詰めたお座敷に上がると、いくつもの屏風が立っており、来場者は腰を下ろした視点から間近で鑑賞できる。ガラスケース越しに見上げる屏風とはまた一味ちがった趣だ。また二つの展示室には、それぞれ狩野派と民間絵師による作品が分けて展示されているから、双方の質的なちがいを見比べることができた。なかでも、お経の文字だけで坊主を描いた加藤信清の《五百羅漢図》(1791年)が圧巻。輪郭はもちろん、色面まですべて文字で構成されている。果てしない執念とアホクサさが表裏一体であることを如実に物語っていた。

2009/05/03(日)(福住廉)

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金沢アートグミオープニング企画展「村野藤吾×山本基展」

会期:2009/04/13~2009/07/12

金沢アートグミギャラリー(北國銀行武蔵ヶ辻支店3F)[石川県]

金沢アートグミのオープニング企画展。北國銀行武蔵が辻支店は、村野藤吾による1932年竣工の建物。実は近江町市場北西部分の再開発にともない、13m移動し改装された。その3階のギャラリーにて、村野のいくつかの図面と、金沢在住のアーティスト山本基による作品「桜」が展示された。個人的は、現在の三つの尖塔アーチの開口部ではない、村野の別案の図面が見られたことが興味深かった。非対称なファサードもあったが、採用されなかったのであろう。山本の展示は、床一面に桜の花びらが散った様子をすべて塩で作るもの。驚くほどの花びらの量で、一瞬目を疑う。ちょっとでも触れたり、何かが落ちてしまったりしたら壊れてしまうはかなさが、独特の緊張感を生み出していてよかった。山本は、21世紀美術館の長期インスタレーションルームでも、同じく塩による「迷路」という作品を展示している。

2009/05/03(日)(松田達)

ヤノベケンジ──ウルトラ展

会期:2009/04/11~2009/06/21

豊田市美術館[愛知県]

テスラコイル(人工稲妻発生装置)という巨大な装置の中で火花が散る最新作《ウルトラ──黒い太陽》。これが今展の最大の見どころなのだが、その大掛かりな作品のインパクトよりも、これまでに発表された模型やドローイング、立体作品など、制作の軌跡をたどる会場の展示自体がヤノベケンジという作家の魅力を余すところなく伝えていた印象で、見終わる頃には胸がいっぱいになるような感覚を覚えたのが一番の収穫。ここに至るまでの活動が大きなひとつの物語としてつながっていく面白さ、今後の展開への期待など、想像はあれこれめぐっていくのだが、なによりも、何度も同じ場所に立ち返り、かすんで見えるものを自らの目で確認しようとするような、現実を直視する愚直な姿勢に勇気という言葉が浮かんでくる。
ヤノベケンジ──ウルトラ展:http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2009/temporary/yanobe_ultra.html

2009/05/02(土)(酒井千穂)

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現代の水墨画2009 水墨表現の現在地点

会期:2009/04/21~2009/05/31

練馬区立美術館[東京都]

水墨表現の可能性を追求している美術家たちを紹介する展覧会。伊藤彬、中野嘉之、箱崎睦昌、正木康子、八木幾朗、呉一騏、尾長良範、浅見貴子、マツダジュンイチ、三瀬夏之介、田中みぎわの11名が参加した。これだけの人数がそろえば、たいていの場合、墨絵という同一性にもとづきながらも、それぞれ独自の異質性が際立つものだが、むしろ同一性のほうが前面化しているから不思議だ。それは、おそらく出品作品の大半が、山水画に代表される定型化された水墨表現の伝統を継承しているからだと思われるが、だからといってその伝統を刷新するほど高度な技術を達成しているわけでもないようだ。だから、ただ一人、異質性を発揮していた三瀬夏之介が突出して見えたのは、他の作品が凡庸な同一性に貫かれていたからなのかもしれない。(こういってよければ)「マンガ的に」過剰に描きこむ三瀬の絵は、濃淡やにじみ、かすれ、たらしこみといった墨絵独特の抽象表現の伝統にある程度依拠しつつも、同時にそれをはっきりと切断し、ジャンルとしての墨絵を同時代の地平にまで押し上げることに成功している。それが、今後「三瀬流」として新たに定型化される恐れがないとはいえないけれど、水墨表現の現在地点を確実に打ち込んだことはまちがいない。同時代の水墨画は、「マンガ」というジャンルに依拠しながら水墨表現の可能性を果敢に切り開こうとしている井上雄彦と、三瀬夏之介の2人によって力強く牽引されるだろう。

2009/05/02(土)(福住廉)

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