artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

蜷川実花「Eternity in a Moment」

会期:2023/05/09~2023/06/19

キヤノンギャラリーS[東京都]

1990年代から2000年代初めにかけて、キヤノン主催の「写真新世紀」やリクルート主催の写真『ひとつぼ展』などをステップボードにして、多くの若手写真家たちが登場した。そのなかでも、とりわけ蜷川実花の幅広い分野での活動ぶりにはめざましいものがあった。コマーシャルやファッションの分野にとどまらず、ギャラリーや美術館でも意欲的な写真展を次々に開催し、映画監督としても脚光を浴びた。2010年代以降も、日本の写真界を代表する存在として輝きを放っているといえるだろう。

その蜷川も、いま転機を迎えつつある。というより、コロナ禍という予想外の事態だけではなく、「新世紀」や写真「1_WALL」(写真『ひとつぼ展』の後進)も相次いで活動を終えるなかで、写真家たちの多くが次の方向を模索しているのではないだろうか。「キヤノンギャラリー50周年企画展」として開催された本展を、その意味で期待しつつ見に行ったのだが、その期待は半ば満たされ、半ば物足りないものに終わった。

今回の展示の中心は、ギャラリーの奥に設定された映像作品上映スペースである。床、天井と側面を鏡貼りにした箱型のスクリーンに上映された7分間の映像作品は、いかにも蜷川らしい、人工的な色彩の花々、蝶、魚などのイメージが乱舞するものだった。そのめくるめく色とフォルムとサウンドの饗宴は、幻惑的であり、見る者を充分に満足させる出来栄えといえる。ただそこには、かつて蜷川の作品にあった、毒々しいほどの生命力の発露が決定的に欠けており、万華鏡を思わせる映像は、拡散したまま虚空を漂うだけだった。逆に、かつて蜷川の作品が醸し出していた「毒」=ビザールな歪みを許容するだけの余裕が、いまの日本の社会には既にないのかもしれない、そんなことも考えてしまった。

なお同時期(5月23日~6月3日)に、東京・銀座のキヤノンギャラリーでも、金魚をモチーフにした蜷川の同名の展覧会が開催されている。


公式サイト:https://canon.jp/personal/experience/gallery/archive/ninagawa-50th-sinagawa

2023/06/01(木)(飯沢耕太郎)

谷口昌良『空を掴め―空像へ』

発行所:赤々舎

発行日:2023/05/31

谷口昌良は東京・谷中の寺院、長応院の住職を務めながら写真家として活動している。2006年には長応院境内に「瞑想ギャラリー」空蓮房を設立し、ユニークな展示活動も展開してきた。

その谷口の新著『空を掴め―空像へ』は、彼の「仏僧写真家」としての経験を踏まえ、長年にわたる写真という表現メディアに対する思考の蓄積を形にした、これまたユニークな写真集である。被写体となっているのは三保の松原の松林だが、ほとんどの写真はピントが外れて写っている。メガネを外して外界を見た時の、視覚全体がボケた状況を再現したものだが、そこには「モノという実体は無常ではないか! 写真に固定できるものでは無く、それも無常だ! 写真は無常像だ!」という「仏僧写真家」としての思いが投影されている。

このような観念的ともいえる「写真による写真論」は、ともすれば思考の輪郭をなぞるだけの空疎なものになりがちだ。だが、谷口の写真作品を見ると、撮影することの歓び、固定観念を打ち壊していく解放感、新たな何物かの出現を寿ぐ気持ちなどが溢れているように感じる。仏教的な思念の実践というだけでなく、むしろ写真による視覚的世界の拡張の実験として充分に楽しむことができた。今回は松林というテーマに絞り込んでいるが、「空像」あるいは「無常像」としての写真のあり方は、ほかの被写体にも適用できるのではないだろうか。今後の展開も期待できそうだ。

2023/06/01(木)(飯沢耕太郎)

中村千鶴子「断崖に響く」

会期:2023/05/23~2023/06/05

ニコンサロン[東京都]

中村千鶴子は岩手県久慈市出身の写真家。北海道大学卒業後、岩手県各地の公立学校、モスクワの日本人小学校などに教員として勤める。その後、写真を本格的に撮影し始め、東京綜合写真専門学校で学んで、同校を2020年に卒業した。いわば遅咲きの写真家といえるだろう。だが、このところの彼女の仕事を見ていると、筋の通った取り組みの姿勢が、少しずつ形をとりつつあるように思える。

今回のニコンサロンでの初個展では、故郷の久慈市にも近い岩手県田野畑村明戸地区にカメラを向けている。2011年の東日本大震災の傷跡は、まだ生々しく残っており、津波によって立ち枯れた樹木などが痛々しい姿を見せる。だが、一方では復興も進みつつあり、祭りの賑わいも戻ってきた。中村は、この地域の風物、人々に柔らかで温かみのある眼差しを向け、押し付けがましくない節度を保ってシャッターを切っていく。その中間距離からの視点が、一貫して保たれており、特に鹿踊や盆踊りなどを撮影した写真には、土地から立ち上がる空気感が見事に捉えられていた。

ライフワークとして、さらに続けていってほしい仕事だが、ほかの撮影プロジェクトも同時に進行しつつある。次の発表も楽しみにしたい。なお、展覧会に合わせて、蒼穹舎から同名の写真集が刊行された。


公式サイト:https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/2023/20230523_ns.html

2023/05/31(水)(飯沢耕太郎)

中村宏 戦争記憶絵図

会期:2023/05/16~2023/06/03

ギャラリー58[東京都]

戦争記録画が、主に従軍画家によって戦意高揚を目的に描かれた戦時中の絵であるならば、中村が発表した「戦争記憶絵図」は、空襲のなかを逃げまどう自身の記憶を頼りに描いた「ルポルタージュ絵画」ということになる。つまり敵をやっつける側(大人)の視線ではなく、やられる側(子ども)の視点から捉えた戦争画なのだ。こうした視点は絵本や漫画ならあったかもしれないが、絵画としてはあまり見たことがない。しかも戦後80年近くたって記憶の底から蘇らせた「記憶絵図」である点が重要だろう。

戦争末期の1945年、12歳だった中村は浜松大空襲で赤く炎上する街を、自宅の裏山で恐怖に震えながらただ眺めていたという。米軍の攻撃は、B29による爆撃、戦闘機からの銃撃、そして遠州灘まで迫った戦艦からの砲撃の3つ。これらがそれぞれ3点1組の大作として描かれている。

《空襲1945》(2022)は、B29とおぼしき巨大な爆撃機が雲のように白く輝きながら画面を横切り、爆弾を木造家屋に落として一部炎上している。《機銃掃射1945》(2022)は、やはり白い戦闘機からの射撃が黄色い破線で描かれるが、その破線は画面の縁で跳ね返って地上の逃げまとう日本人に浴びせられている。《艦砲射撃1945》(2023)は沖合の戦艦から撃たれた砲弾が弧を描き、打ち寄せる大波を越えてこちらに飛んでくる情景だ。どれも子どものころの記憶に基づきながら、そこにシュルレアリスム的な想像を加えた「ルポルタージュ絵画」であり、構図や視点には中村少年が感じたであろう恐怖が伝わってくる。卒寿を前にした画家が、戦争の記憶を描き残さなければと奮い立った渾身の作品。


会場にはそのほかスケッチや下絵、子どものころに拾って大切に保管していたという米軍の弾丸と薬莢などに加えて、《戦下の顔》と題した3枚組の作品もある。画面左上に女学生の顔の4分の1ほどを遠近法的に歪めて描いたもの。これは以前《4分の1について》というタイトルで発表されたが、今回《戦下の顔》と改題し、戦争画としてあらためて展示したという。中村が繰り返しセーラー服の女学生を描いたことは知られているが、女学校創設者の家に生まれ、その敷地に育った中村にとってセーラー服の女学生は日常の風景であり、その暗く冷たい表情は、軍需工場で働く女学生のものだという。初めて明かされるモチーフの由来。



中村宏《戦下の顔》[写真提供:ギャラリー58]



公式サイト:https://www.gallery-58.com/exhibition/2023_exhibitions/2023_nakamura/

2023/05/30(火)(村田真)

恐竜図鑑 失われた世界の想像/創造

会期:2023/05/31~2023/07/22

上野の森美術館[東京都]

恐竜は古生物学の範疇なので、本来なら美術館ではなく博物館が扱うべきものだが、今回は恐竜が描かれた絵を歴史的に並べる美術展。だからこれを見れば、恐竜がいかに進化したかではなく、恐竜の図像がいかに変化したか、いいかえれば恐竜の研究がいかに進んだかを理解することができる。と同時に、挿絵や図鑑におけるヴィジュアル表現の変遷も見てとれるのだ。

恐竜自身は2億4千万年ほど前から7千万年前くらいまで、実に1億数千万年の長きにわたって繁栄した大型爬虫類の総称だが、その存在が知られたのは19世紀初頭に化石が発掘されてからなので、恐竜からすれば(人間からしても)ごく最近のことにすぎない。そのころは「進化論」を唱えたダーウィンもまだ生まれたばかりで、西洋では5千年ほど前に天地が創造され、その1週間後に人間が誕生したと信じられていた時代。恐竜のキョの字もなかったのだ(ただし「竜」は存在した)。

最初期の恐竜画で知られているのが、イングランドのドーセット州で見つかった化石をもとに、ヘンリー・デ・ラ・ビーチが描いた水彩の《ドゥリア・アンティクィオル(太古のドーセット)》という生態復元画。これを下絵にした版画や油彩画が出品されているのだが、画面の下半分が水中で、魚竜や首長竜がアンモナイトやウミユリとともにところ狭しと描かれ、水辺にはワニやウミガメ、空には翼竜まで飛んでいて密度の濃い賑やかな生態図となっている。

驚いたのは、イギリスのロマン主義の画家ジョン・マーティンも恐竜の絵を描いていること。地を這う恐竜が共食いをする《イグアノドンの国》という作品で、バトルシーンはともかく夕暮れの背景がロマンチックで美しい。マーティンはそれ以前にも神話画として竜(ドラゴン)を描いているが、それも同じく地を這う格好なので、恐竜の復元図を描く際に参考にしたはず。いくら化石が発見されたといっても残っているのは骨格だけだから、太っていたのか痩せていたのか、立っていたのか這いつくばっていたのかわからないので、想像上の怪物ドラゴンを参照するしかなかったのだ。同展には17世紀のアタナシウス・キルヒャーによる博物誌から、「ドラコ(ドラゴン)」や「ドラクンクルス(小さなドラゴン)」の図像も出ている。

恐竜画が大きく発展するのは、アメリカのチャールズ・R・ナイトと、チェコスロバキアのズデニェク・ブリアンが登場する20世紀になってからのこと。ナイトは印象派風の明るい風景のなかにいきいきと活動する生態図を制作し、ブリアンはよりリアルな描写で迫真的な恐竜図を完成させ人気を博した。ナイトが後年ややラフなタッチに変化していったのに対し、ブリアンが終始一貫してリアリズムに徹していたのは、東欧に住んでいたからだろうか。とりわけブリアンの恐竜画は戦後日本の図鑑や少年雑誌の恐竜特集にも使われたり、そのコピーが出回ったりしたので、ある年齢以上の日本人が抱く恐竜のイメージはブリアンがつくり上げたといっても過言ではない。そういえば初期の直立するゴジラは、ブリアンの描いた《イグアノドン・ベルニサルテンシス》(1950)によく似ている。

2階に行くと、日本人による恐竜関連の作品が並んでいる。最初に目に止まったのが、島津製作所が戦前テラコッタでつくったステゴザウルスやブロントザウルスなどの模型だ。ハイテク機器の製造会社も恐竜模型から始まったのか。日本にシュルレアリスムを伝えた画家、福沢一郎も恐竜を描いていた。が、これらは恐竜画ではなく政治を批判する風刺画らしい。藤浩志はリサイクル運動の一環として、ビニール・プラスチックのゴミでつくった恐竜を展示している。ゴジラもそうだが、どうも日本では恐竜にせよ怪獣にせよ政治批判や反核、環境問題に結びつけてしまいがちだ。

最後の展示室は最近のパレオアート(古生物美術)を集めているが、恐竜の調査研究が進み、CGやAIなど描画技術が高まるほど魅力が失せていくのはなぜだろう。たぶん情報が少ないなかで想像を膨らませて描いていた時代のほうが、絵として大らかさが感じられるからではないか。恐竜自身も「ほっといてくれ」と思っているに違いない。


公式サイト:https://kyoryu-zukan.jp/

2023/05/30(火)(村田真)

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