artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

六本木アートナイト2023

会期:2023/05/27~2023/05/28

六本木ヒルズ+東京ミッドタウン+国立新美術館など[東京都]

六本木ヒルズ(森美術館)、東京ミッドタウン(サントリー美術館+21_21 DESIGN SIGHT)、国立新美術館を軸に六本木をアートで盛り上げようという一夜限りのアートナイト。今年は4年ぶりのオールナイト開催となったが、夜は行けなかったので、翌日かーちゃんと一緒に回った。テーマは「都市のいきもの図鑑」。都市に棲む生き物について考えようとのことだが、それは後づけで、メインアーティストのひとり鴻池朋子の巨大作品をフィーチャーするための口実だろう。

鴻池の作品は圧巻。牛皮をつぎはぎしてトンビをかたどり、その上に生物や宇宙の図像を描いた《大島皮トンビ》《高松→越前→静岡→六本木皮トンビ》が東京ミッドタウンの吹き抜けに吊るされ、角川武蔵野ミュージアムに展示されていた《武蔵野皮トンビ》が、国立新美術館の湾曲する窓にへばりついている。高度に管理されたモダン建築にぶっ込んだ「野生」が爽快だ。ほかにも鴻池は《狼ベンチ》や《アースベイビー》などを出しているが、「皮トンビ」3点を含めて今回のための制作したものではなく、さまざまな場所で発表してきた旧作が大半。初めて見る人にはありがたいが、別の場所で見た人は「こんなところで再会できた」と喜ぶか、「なんだ使い回しか」と冷めて見るか。



鴻池朋子《武蔵野皮トンビ》、国立新美術館での展示風景


もうひとりのメインアーティスト、栗林隆+Cinema Caravanは《Tanker Project》として、六本木ヒルズのアリーナにタンカーをかたどった舞台装置を制作。ここで2日間にわたりオールナイトでパフォーマンスが繰り広げられた。その隣には、栗原による原子炉を模したサウナ《元気炉》のハリボテも設置されている。アートナイトは一種のお祭りだから、主催者としては大きな作品を出したい、でも予算は限られている。そこで最小限の予算で最大限の効果を得るためには旧作、舞台装置、ハリボテに頼るしかないのではないか、と邪推してみた。

六本木西公園では、原倫太郎+游が地面いっぱいに《六本木双六》を制作。この公園の一画はかつて起伏があって木々が生い茂り、かくれんぼには最適だったので、子どもが小さいころよく遊びにきたものだが、10年くらい前に木々を伐採し、地面をならして平坦にしてしまった。見通しをよくして事件・事故をなくそうという意図はわかるが、これじゃかくれんぼもできないじゃないか。そんなところに巨大な双六をつくってくれたので、六本木にもこんなに子どもがいたのかってくらい親子連れでにぎわっていた。



原倫太郎+游《六本木双六》


西尾美也+東京藝術大学学生は、三河台公園に《もうひとつの3拠点:三河台公園/カーテンをゆく》を設置。フレームを10本ほど立て、市民から募ったカーテンを吊り下げるインスタレーションだ。クリスト&ジャンヌ・クロードがニューヨークのセントラルパークで実施した《ゲート》を思い出したが、こちらのカーテンは使い込まれているだけにより親しみやすい。どうせならミッドタウン裏の檜町公園のような広い場所でやってほしかったが、狭い公園だから実現できたのかもしれない。一方、六本木のど真ん中の更地には、佐藤圭一の《nutty nutty》が鎮座している。赤、青、黄色など原色に塗られた表情豊かな顔だけの彫刻をゴロンと置いたもの。ただそれだけなのだが、表情といいロケーションといいなんともいえずシュール。

いちばん感心したのは、再開発を待つ空きビルの1階で公開していた岩崎貴宏のインスタレーション《雨の鏡》。会場に入ると、胸の高さくらいに地面がかさ上げされ、ブロックや木の枝、ゴミなどが散乱し、中央に水たまりができている。その水面には東京タワーが逆さ富士のごとく映っている。六本木の風景を縮小したジオラマだ。でもなんか変だなと思ってよく見ると、水たまりと思っていたのは単なる穴で、反映しているように見える風景は上下対称になるように巧妙につくり込まれたものであることがわかる。一緒に行ったかーちゃんもだまされていたから、たぶん半分以上の人が気づかずに立ち去ったのではないか。



岩崎貴宏《雨の鏡》



公式サイト:https://www.roppongiartnight.com/2023/

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美術館からの逃走──「みる誕生 鴻池朋子」(高松会場)と大島での展示|橘美貴:キュレーターズノート(2022年10月15日号)
栗林隆展|村田真:artscapeレビュー(2021年04月01日号)
境界を揺さぶる《元気炉》──入善町 下山芸術の森 発電所美術館「栗林隆展」|野中祐美子:キュレーターズノート(2021年03月01日号)

2023/05/28(日)(村田真)

香川裕樹「置いたものを見る方法」

会期:2023/05/03~2023/05/27

NEST[大阪府]

関西で活動するアーティストやクリエイターによって2020年4月に立ち上げられた「Birds」。これまではインタビューサイトとしてオンライン上で活動してきたが、今年2月に拠点として「NEST(ネスト)」を大阪の寺田町にオープンした。この新スペースでの初の展覧会が本展である。NESTは活動方針として、ただ展示するための場所ではなく、作品制作のための実験的な試みを行なう環境づくりを目指している。本展は、アーティストの香川裕樹が既製品や日用品を会場に持ち込み、試行錯誤しながら組み立てていく搬入期間を約1ヶ月間設けて開催された。

ビルの一室にある会場に入ると、空間をほぼ占めるように、祭壇のような、あるいは建築マケットのような構造体が置かれている。構成要素はすべて、100均ショップやホームセンターで買える、規格化された安価な大量生産品だ。作家の手の痕跡を加えず、規格サイズの既製品だけを用いることで、どれだけ自由を創出できるか。一方、規格化された単位の反復、厳格な左右対称性、グリッド構造は、「モノを並べる行為」が「秩序の創出」でもあることを可視化する。「画像のコピーを上下左右に反転させた写真」が加わることで、ユニットの反復と左右対称性という秩序の構築が、脅迫観念的なまでに強調される。裏側へ回ると、「白いグリッドの金網」の上に、その画像が額装して提示され、グリッドが増殖的に複製されていく。金網を組み立てた空間の中にひとつずつ置かれた白いキャップは、均質な檻に閉じ込められた匿名的な個人の比喩のようだ。



会場風景


規格化されたモノ、それらで構築された規格化された生。構造物の全体は、巨大なショッピングモールの建築マケットと、その内部を満たす商品陳列棚を二重化して重ね合わせたように見えてくる。正面の壁を飾る写真は巨大な広告ディスプレイ、床に規則的に配置された人工観葉植物の列は植え込みの緑地帯、そして向かって左側の遊具のような構造物は、付属するアミューズメント施設だろうか。いずれも、「消費のために捧げられた祭壇」の周囲を彩り、補強する装置だ。これから建設される場所を均質化していくこの「消費の祭壇」のマケットは、だが、よく見ると結束バンドやクリップなどで「仮止め」された状態にすぎない。その脆弱性は、あるいは希望なのかもしれない。



香川裕樹《正面か、それ以外》(部分)




香川裕樹《正面か、それ以外》(部分)




香川裕樹《正面か、それ以外》(部分)



公式サイト:https://birdseatbread.jp/kagawa-soloexhibition/

2023/05/27(土)(高嶋慈)

谷川俊太郎 絵本★百貨展

会期:2023/04/12~2023/07/09

PLAY! MUSEUM[東京都]

日本を代表する詩人のひとり、谷川俊太郎は、詩のほかに翻訳や脚本、歌詞といった分野で活躍していることでも知られる。なかでも多作で、評価が高いのが絵本だ。本展は、そんな谷川の絵本の世界をぐっと広げてくれる内容だった。これまでに上梓してきた絵本は200冊にも及ぶそうで、それゆえ描かれた絵本のテーマは種々様々だ。子どもが無邪気に喜びそうな言葉遊びをはじめ、ちょっとしたユーモアが込められた話やナンセンスな話もあれば、生死や戦争といった深刻な物語もある。いずれも易しい言葉に、絵や写真を組み合わせることで、井上ひさしの名句を借りるなら「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく……」伝えることを得意としてきた。本展でも楽しい演出や仕掛けに溢れていたのだが、特に印象的だったのは音としての言葉を体感できたことだった。


展示風景 PLAY! MUSEUM[撮影:高橋マナミ]


文章を書く仕事をしている私は、言葉を文字として伝える機会が多い。私に限らず、現代のコミュニケーションツールは電話よりメールやSNSの方が中心となり、文字に残す機会が増えた(それに加えて写真や動画もあるが)。しかし文字がそれほど普及しておらず、識字率も高くなかった近世までは、人は話すことで主にコミュニケーションを取っていた。同じ言葉でも文字と音とでは変わる。文字であれば熟語を容易に理解できるし、まったく違う意味を持つ同じ音の言葉も区別ができる。しかし同じ状況で、音ではそうはいかない。聞き手は文脈から言葉を推測しなければならないし、話し手は誤解を与えないよう気をつけなければならないからだ。


展示風景 PLAY! MUSEUM[撮影:高橋マナミ]


このように書くと、文字より音で言葉を伝える方が難しく感じてしまうが、しかし一方で、音ならではの臨場感や楽しさもある。それを谷川は絵本を通して教えてくれているように思う。もちろん絵本に載っているのは文字なのだが、その文字から言葉の意味を解放し、純粋な音として読者に届けようとする試みが見られるからだ。誰もが子どものうちは言葉を音として吸収し、後からその意味を学んでいくが、大人になると言葉を単なる音として捉えることができなくなる。そんな大人に対して、声に出して読むとユニークな響き、インパクトの強い爆音、思わず笑ってしまうオノマトペなどを谷川は積極的に用いて、お腹をくすぐりに掛かる。その点で圧巻だったのは、円形の部屋の壁一面スクリーンに投影された絵本『もこもこもこ』のアニメーション映像だ。余計なことを考えず、ただ全身で音と絵を受け止めてみると、日本語の豊かさに改めて気づかされた。


展示風景 PLAY! MUSEUM[撮影:高橋マナミ]



公式サイト:https://play2020.jp/article/shuntaro-tanikawa/

2023/05/26(金)(杉江あこ)

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岡﨑ひなた「空蝉ミ種子万里ヲ見タ。」

会期:2023/05/23~2023/06/24

ガーディアン・ガーデン[東京都]

リクルートが主催する写真「1_WALL」は、昨年の第25回公募で終了することになった。前身の写真「ひとつぼ展」から数えると、30年という長きにわたって続いていたわけで、やはり同時期にスタートしたキヤノン「写真新世紀」もまた2021年に終了したことも含めて、感慨深いものがある。

その最終回の公募でグランプリを受賞した、岡﨑ひなたの展覧会が、ガーディアン・ガーデンで開催されている。2002年生まれ、20歳という若さでの受賞は最年少記録だという。それだけでなく、その作品世界のスケールの大きさ、将来性を考えると、まさにラストランナーにふさわしい受賞といえるだろう。

岡﨑が撮影しているのは、生まれ育った和歌山県田辺市中芳養 なかはやの村落とその周辺の地域である。海と山のあいだに位置するこの地域には、日本人にとっての原風景が広がっている。とはいえ、土地の恵みを収奪して資本化していく現代社会の営みは、もはやこの地域にも及びつつある。岡﨑は「獣、植物、人、魚、海、山」などを大胆かつ的確なカメラワークで捉えつつ、少しずつ姿を変えていく「変化と普遍の狭間」の状況をしっかりと写しとろうとしている。大小の写真を配置した今回の展示にも、彼女の才能の輝きがよくあらわれていた。

次は、ぜひ本作を写真集にまとめてほしい。ただその場合には、直観に頼るだけではなく、より統合的、構築的な視点が必要となるだろう。写真だけではなく、テキストをどのように編み上げていくかも大事になる。本展の、まさに「声明」を思わせるタイトルを見ても、岡﨑にはコトバを操る語り部としての資質もありそうだ。次の展開を期待したい。


公式サイト:http://rcc.recruit.co.jp/gg/exhibition/ph25-hinata-okazaki/ph25-hinata-okazaki.html

2023/05/23(火)(飯沢耕太郎)

contact Gonzo × やんツー『jactynogg zontaanaco ジャkuティー乃愚・存taアkoコ』

会期:2023/05/19~2023/05/21

ANOMALY[東京都]

contact Gonzo(以下ゴンゾ)のパフォーマンスを見たことのない人にそれがどのようなものかを説明するとき、私はひとまずざっくりと「殴り合いのパフォーマンス」と言ってしまうことが多い。多少なりともダンスの知識を持つ人には「時に殴り合いなども含む激しめのコンタクトインプロビゼーション」などと説明することもある。これらの説明がまったく間違っているわけではないにせよ、十全にイメージが伝わらないことは明らかなので(いやしかし「殴り合い」だとボクシングのような絵が浮かぶ気もするのでやはりあまり適当な説明ではないかもしれない)、多くの場合、結局はYouTubeなどにアップされている動画を見せることになるのだが、すると見せられた相手は往々にしてこう尋ねてくるのだ。「これはなんなの?」と。

本作はそんなゴンゾ(塚原悠也、三ヶ尻敬悟、松見拓也、NAZE)のパフォーマンスを美術家のやんツーが作成した自走機械が撮影し、そこにAIを使った「入力画像に対してそれが何であるか説明する文章を生成するイメージキャプショニングという手法」によって「説明」を付した映像が会場の壁面に投影される、という一連のプロセスを丸ごとパフォーマンスとして提示するものだ。2台の自走機械は時に「説明」を音声として出力しながら走り回り、加えてダンサーの仁田晶凱も「実況」としてパフォーマンスに張りつきそれを描写する。


[撮影:高野ユリカ]


仁田の実況はダンサーらしく、「塚原が飛び上がり着地すると同時に三ヶ尻に平手打ち」といった具合にパフォーマーや自走機械の動きを逐一描写するもので、その精度の高さは間違いなくパフォーマンスのひとつの「聞きどころ」となっていた。一方、イメージキャプショニングによって生成される「説明」は撮影された映像を「絵」として捉え、そこに何が映っているかを描写するシステムになっているとのことで、アクションを描写していく仁田の「実況」とはそもそもの成り立ちから異なるものだ。


[撮影:高野ユリカ]



[撮影:高野ユリカ]


だが、そうして生成される「説明」はそのほとんどが的外れな、トンチキと言ってもいいものだ。しかしAIの考えていることは人間には理解できない、というわけでは必ずしもない。例えば「Wiiで遊ぶのを大勢の人が見ている」という「説明」は壁面に映像が映し出されているのを観客が見ている状態を「解釈」した結果だろう。「Wii」という単語が出てきたのは仁田が持っているマイクがコントローラーとして認識されたからではないだろうか。「百人一首をしている」という「説明」は、マイクを手に持つ仁田が読み手として、平手打ちをする塚原が札を払う選手として「解釈」されたものと推測できる。そうして私は、気づけばAIの説明をもとに再解釈するようにしてパフォーマンスを観ている。


[撮影:高野ユリカ]


この作品は2019年にトーキョーアーツアンドスペースで上演された『untitled session』を発展させたものとのことだが、私が思い出していたのはKYOTO EXPERIMENT 2014で上演されたcontact Gonzo『xapaxnannan(ザパックス・ナンナン):私たちの未来のスポーツ』だった。この作品において、スタジアムでプレイされる未知のスポーツらしきものを観る観客は、プレイヤーたちの動きからそこにあるらしいルールを推測していくことになる。膨大なデータに基づいて「絵」を解釈するAIも、出力された「解説」からAIの「思考」を推測しようとする私も、おおよそのところやっていることは同じだろう。一方で『xapaxnannan』にはプレイの内容とはほとんど関係ないようなナレーションも付されていて、そこで語られる物語のなかでは最終的にスタジアムにヘリコプターが到着したりもするのだった。

本作においても、どういうプログラムなのか、最終的にAIは説明の域を超えて物語らしきものを生成しだし、私が鑑賞した回では「観客はダンサーの様子にパフォーマンスの失敗を予感した」というような文言でパフォーマンスが締め括られることとなった。


[撮影:高野ユリカ]


AIの「説明」のデタラメっぷりはおかしく、一方でそこからのフィードバックは私にパフォーマンスを新たな視点から見るよう促す。だが、我に返って改めて考えてみれば、そもそも私はゴンゾのパフォーマンスを記述する言葉を、「これはなんなの?」という問いに答える言葉を持ち合わせていただろうか。例えばこの文章とAIの紡ぐ物語との間に、果たしてどれほどの違いがあるだろうか。いや、そもそもゴンゾのパフォーマンスを言葉で説明しようとしてしまった時点で馬鹿馬鹿しさと不可能性の罠にハマっている気もするのだが──。


[撮影:高野ユリカ]


本作は身体表現の翻訳を考えるTRANSLATION for ALLの関連プログラムとして実施されたもの。TRANSLATION for ALLではバリアフリー字幕、手話、英語字幕などに対応した舞台作品の映像を配信中だ。contact Gonzoは7月1日(土)に京都のライブハウス「外」で開催される《Kukangendai “Tracks” Release Live Series #3》への出演を予定。


contact Gonzo × やんツー『jactynogg zontaanaco ジャkuティー乃愚・存taアkoコ』:https://theatreforall.net/join/jactynogg-zontaanaco/
TRANSLATION for ALL:https://theatreforall.net/translation-for-all/


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contact Gonzo × 空間現代|山﨑健太:artscapeレビュー(2018年04月15日号)
「wow, see you in the next life. /過去と未来、不確かな情報についての考察」についての考察|角奈緒子:フォーカス(2019年12月01日号)

2023/05/21(日)(山﨑健太)