artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

ガウディとサグラダ・ファミリア展

会期:2023/06/13~2023/09/10

東京国立近代美術館[東京都]

ぼくが初めてサグラダ・ファミリア聖堂のことを知ったのは、大学1年の建築史の授業のときだから、ちょうど半世紀前の1973年のこと。高見堅志郎先生がスライドを見せながら「完成まであと200年はかかる」といわれ、その異貌とスケールの大きさにたまげたものだ。その授業をきっかけに、つい最近亡くなった栗田勇の「ゴシック・バロック・ガウディの空間」のサブタイトルを持つ『異貌の神々』(‎美術出版社、1967)を貪るように読んだことを思い出した(内容は忘れたが)。

初めてバルセロナを訪れたのは1985年。スライドで見たときよりずいぶん進んでいたので、あと100年もあれば建つんじゃないかと思った。2度目に見た2002年には工事が半分以上終わっている印象で、完成まであと50年くらいと聞いた気がする。徐々に完成が早まっているのだ。工事の遅れは資金難が最大の理由だから、「未完の聖堂」として知られるようになったおかげで観光収入が増え、工事も予想以上に進んだのかもしれない。そしてコロナ禍で中断したとはいえ、ガウディの没後100年の2026年には、もっとも高い中央のイエスの塔が完成する予定という。いっそこのまま工事中でいたほうがロマンチックで観光客も集まりそうだが、ぼくとしては生きているうちに完成した姿を拝めそうなので楽しみだ。

そんなガウディのサグラダ・ファミリア聖堂に焦点を当てた展覧会。なんだサグラダ・ファミリアだけ? というなかれ。この聖堂は、ガウディが31歳のときから亡くなる73歳まで実に40年以上にわたって取り組んできた彼の仕事の集大成であり、その間ガウディが試みてきたさまざまな探求の成果が聖堂に採り入れられているという。だからサグラダ・ファミリアについて語ることは、ガウディの全作品について語ることに等しいのだ。

展示は「ガウディとその時代」「ガウディの創造の源泉」「サグラダ・ファミリアの軌跡」「ガウディの遺伝子」の4章立て。ガウディの特異性がよくわかるのは第2章の「創造の源泉」だ。彼の建築はほかに類を見ない独自のものだが、まったくの独創というわけではなく、さまざまなところからインスピレーションを受けていた。その源泉を「歴史」「自然」「幾何学」の3つに分けている。「歴史」とは、アルハンブラ宮殿に代表される中世スペインのイスラム建築と、そこにキリスト教建築が混淆したムデハル建築およびネオ・ムデハル建築だ。その影響は初期のカサ・ビセンス、エル・カプリッチョ(奇想館)などに顕著に表われている。

「自然」は植物などの生命のフォルム、洞窟などの大地の浸食造形、パラボラ(放物線)アーチなどの釣り合いの法則に分けられる。植物のような有機的フォルムは、同時代のアールヌーヴォーのデザインでも盛んに用いられたが、ガウディもさまざまなディテールに使っている。特にユニークなのは、聖堂内部の柱の上半分を複数に枝分かれさせて天井を支えるようにし、森のなかにいるかのような空間を現出させたこと。大地の浸食造形とは、カタルーニャの聖山モンセラー(モンセラット)やトルコのカッパドキアのような奇岩、あるいは当時ブームになった洞窟や鍾乳洞などで、グエル公園やカサ・ミラ、サグラダ・ファミリアの塔を見れば影響は一目瞭然だ。

こうした奇岩から発想した塔のフォルムはパラボラ・アーチに通じる。パラボラ・アーチは円錐を斜めに切ったときに現われる放物線の回転体で、力学的に釣り合いのとれたアーチといわれる。ガウディはこれを建築に採り入れるため、おもりを付けた紐を吊り下げて撮影し、その写真を天地逆にして理想的なアーチを得ていた。これを設計に用いたのがコローニア(コロニア)・グエル教会堂だが、未完に終わっている。最初にこの「逆さ吊り実験」の写真を見たとき、ガウディは有機的形態を表層的に用いているのではなく、力学的に理にかなった、なんなら宇宙的といってもいいくらい普遍性のある美を追求した建築家だと感銘を受けたものだ。3つ目の「幾何学」は、このパラボラ・アーチをはじめとする幾何学を重視した設計思想と考えればいい。

そして第4章ではいよいよサグラダ・ファミリアの初期の計画案から、マケット、変更された計画案、人体から型取った彫刻、ディテールの模型、燭台、ステンドグラス、記録写真、CGによる完成予定図、最新の映像まで並ぶ。意外なのは、聖堂の初代建築家はビリャールであり、ガウディは2代目であること、また、聖堂の詳細な設計図はなく、あるのは計画案だけであること、しかもその計画案も何度も更新されたこと。そのためガウディの死後は、彼の建築思想と独自に開発した技術から忖度してディテールを決定し、建設を進めてきたという。19世紀の前近代的な建て方が、そのまま2世紀を隔てて現在まで受け継がれているのだ。こりゃ100年も200年もかかるわ。


公式サイト:https://gaudi2023-24.jp/

2023/06/12(月)(村田真)

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さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展

会期:2023/03/18~2023/06/18

東京都現代美術館[東京都]

Tokyo Contemporary Art Awardの受賞記念展。志賀理江子と竹内公太の2人展だが、ここでは竹内の作品について書く。出品作品は計6点だが、大きく分ければ、第2次大戦末期に日本軍がアメリカに向けて飛ばした「風船爆弾」に関する作品5点と、現在竹内が住むいわき市の古い劇場を解体する過程を撮影した《三凾座の解体》(2013)の2つ。

「風船爆弾」は、日本軍が直径10メートルほどの紙製の風船に焼夷弾をぶら下げてアメリカ本土に向けて飛ばした兵器で、約9,300発を放ったものの、北米大陸に到達したのは数百発だという。戦果は僅かだったが、大陸間をまたいで攻撃した史上初の兵器になった。大陸間弾道ミサイルならぬ、大陸間風船爆弾。なにせ風まかせだからね。そういえば中国の偵察気球はこれを真似したんだろうか。ともあれ、日本は敗戦後これらの資料の多くを処分したため、竹内はアメリカ国立公文書館に残された当時の機密文書を調査。そこに記されていた風船の目撃地点や着地点20数ヶ所を実際に訪ね歩き、5点の作品にした。

そのなかでもっとも目立つのが、風船爆弾の着地点を撮影した約300点の写真をつなぎ合わせた直径10メートルの風船だ。見ていると、風船が徐々に膨らんでいき、ちょうど半球状になったところで天井に届き、その後しぼんでいく。題して《地面のためいき》(2022)。膨らむと、巨大な展示室が小さく見えるほど風船爆弾が大きかったことがわかるが、にもかかわらず戦果らしい戦果をもたらさなかったのは、落下地点が人のほとんど住まない荒野であったからであり、そもそもアメリカ大陸がデカすぎたからにほかならない。美術作品としては巨大であっても、兵器としては失笑を禁じえないほど非力だったのだ。この違いはそのまま、国家の文化予算と防衛予算の規模の違いに比例する。



竹内公太《地面のためいき》


もう1点の《三凾座の解体》は、いわき市にあった映画館が徐々に解体されていく現場を、観客席の側から定点観測的に撮ってつなぎ合わせた映像作品。映し出されている現場はまさにスクリーンがあった場所なので、観客はかつて客席のあった位置から解体シーンを見ていることになる。と思ったら、スクリーンの下にベンチに座ってこちらを見る人たちの姿も映っており、それがわれわれ自身であることがわかる。いまわれわれはベンチに座って解体現場の映像を見ているが、そのわれわれの姿を隠し撮った映像がスクリーンに二重写しにされ、否応なく現場に引き込まれてしまうのだ。このように竹内の作品はどれも鏡を見るように自分に跳ね返ってくる。



竹内公太《三凾座の解体》



公式サイト:https://www.tokyocontemporaryartaward.jp/exhibition/exhibition_2021_2023.html

2023/06/04(日)(村田真)

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発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間

会期:2023/05/20~2023/07/09

府中市美術館[東京都]

ほぼ無名の画家の回顧展を公立美術館で開くというのは、経営的にはかなりの冒険だが、その人が知られざる才能をもっていたとか、かつては真価が認められず見過ごされていたとか、発掘されるに値する芸術家であれば(しかも地元出身であればなおさら)、公立美術館の果たすべき義務のひとつであるとさえいえる。植竹邦良という名前は初めて聞くが、その作品図版を目にしたらぜひ実見してみたくなった。彼の絵は昭和のある時代を典型的に映し出しているように思えたからだ。それは昭和30年代のルポルタージュ絵画から観光芸術に至るまでの、欧米のモダンアートとは一線を画す流れである。

植竹は1928年生まれ。前の世代は戦争に取られて美術人口が少なく、後の世代は前衛芸術に身を投じていく狭間の世代だ。近い世代では、ルポルタージュ絵画の池田龍雄や観光芸術協会の中村宏らがいるが、彼らとは交流があり、共通するテイストが感じられる。とりわけ、多様なモチーフをコラージュするようにひとつの画面に再構成する手法は、中村とともに観光芸術協会を結成したタイガー立石を彷彿させる。もうひとつ彼の創作の源泉をたどれば、戦時中15歳のときに見た藤田嗣治の《アッツ島玉砕》に行き着く。植竹はこれに衝撃を受け、絵の道に進んだというから、後の画面全体を覆い尽くすようなにぎやかな絵は、敵も味方もなく入り乱れる藤田の死闘図に由来するのかもしれない。

展示は大きく4つに分かれる。戦後まもない時期のスケッチや油絵、1960年に始まる幻想的な大作、池田龍雄、尾藤豊、中村宏、桂川寛ら交流のあった同時代の画家たちの作品、そして地形図や都市図にこだわった後半生の作品群だ。特に目を引くのが、1960〜1988年に描かれた10点の大作。黒い壁に、黒いシンプルな額をつけただけの絵をスポットライトが浮かび上がらせている。

たとえば《人形の行く風景》(1969)は、画面上方を建築の装飾パターンが覆い、下部は朱色のザクロが埋め尽くし、左にはアンドロイドのような女性がロウソクを片手に闊歩し、中央には幼児を乗せたバスが見える。弘田三枝子の「人形の家」がヒットし、学生運動が盛んだった時代。左の女性は「人形の家」にヒントを得たそうだが、あとは意味不明。ゴチャゴチャと破綻したような画面そのものが当時の騒々しくも祝祭的な時代気分を伝えてくれる。

《最終虚無僧》(1974)は上方に顔のない虚無僧が尺八を吹き、背後に日の丸を思わせる赤い楕円が描かれ、左右に蛇行しながら列車が走り、その列車がいつのまにか原子炉のような得体の知れない装置に変わっている。鉄道はこれだけでなく、《スピナリオ電車》(1977)や《鉄橋篇》(1979)にも描かれているが、彼に限らず同世代の画家もしばしば取り上げたモチーフ。しかし昨年の「鉄道と美術の150年」展には中村と立石は出ていたが、植竹の作品はなかった。やはり知られざる画家なのだ。

1970年代から新たなモチーフとして地形図が加わり、80年代から都市や建築が登場する。地形図はもともと地図に関心を持っていた植竹が大型の地形模型を手がける工場を見つけ、しばしば通って写真に撮り、それを元にシワシワの山脈のヒダや蛇行する川筋まで克明に写し取るようになったもの。しかし地形図は立石も描いているし、植竹の独創というわけではない。また、バブルの時期に盛んになった都市の再開発も植竹の格好のモチーフとなった。《高炉より》(1993)や《構築記》(1997)に見られる建造物の折り重なるさまは、キュビスムかオルフィスムを思い出させる。いずれにせよ絵としてはせいぜい20世紀半ば、あるいは昭和半ばごろまでの印象で、新しさは感じられない。

植竹がアートシーンに浮上しなかった理由は、こうした作品自体の時代遅れ感と、主に団体展を発表の舞台にしていたからだろう。もう少し広いアートシーンに出ていれば評価は変わったかもしれないし、作品自体も変化していたかもしれない。特筆すべきはスケッチ類で、初期と後半生の作品しか出ていないが、どれも力強く魅力的で、確かなデッサン力がうかがえる。


公式サイト:https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/tenrankai/kikakuten/2023_UETAKE_Kuniyoshi_exhibition.html

2023/06/04(日)(村田真)

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立川清志楼「第一次三カ年計画(2020-2023)最終上映会」

会期:2023/06/04(日)

BUoY[東京都]

立川清志楼は、2020年度の写真新世紀で優秀賞(オノデラユキ選)を受賞した。それをひとつの契機として、「第一次三カ年計画」という破天荒なプロジェクトを思いつく。ひと月に5本、つまり年間60本×3=180本の映像作品を制作するというものだ。実際にはそれ以上の200本の作品ができあがり、Part183~ Part200の作品、及び200本の作品をダイジェストして繋いだfilm collection remix(上映時間:33分)を一挙に見せる「最終上映会」が開催された。

立川の制作活動の背景には、デジタル化によって映像作品を大量に生産できる環境が整ったことがある。だがその状況を利用するかどうかは、作家の資質と関わることであり、一概に作品本数が増えるとは限らない。立川は、それぞれの作品に実験的要素を無作為的に取り込んでいくことで、量を質に転化するシステムを構築しようとした。そのことはかなり成功したのではないだろうか。

撮影されているのは、動物園や街頭の群衆など、日常的な場面であり、定点観測、画面の分割、焦点の変化、画像の加工などの手法を用いることはあっても、基本的にはストレートな撮影・編集を貫いている。主観的な世界観を表出するよりは、現実世界を丹念に観察し、客観的に描写することがめざされており、作品制作の姿勢としてはスナップ写真に非常に近い。固定カメラが多用されていることも含めて、「動く写真作品」としての側面が強いように感じた。

2020~2023年、つまり「コロナ時代」の様相がありありと浮かび上がるいい仕事だが、これだけの量を一挙に見せるのはなかなかむずかしそうだ。単純な「remix」ではなく、映像作家としての編集能力を発揮した「長編」の制作も考えていいのではないだろうか。



展示風景



会場 公式サイト:https://buoy.or.jp/program/20230604/
立川清志楼 公式サイト:https://tatekawa-kiyoshiro.com/

2023/06/04(日)(飯沢耕太郎)

「憧憬の地 ブルターニュ ─モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」展と「マティス」展

会期:2023/03/18~2023/06/11
国立西洋美術館[東京都]

会期:2023/04/27~2023/08/20
東京都美術館[東京都]


上野にて、会場デザインを手がけた磯崎アトリエ出身の建築家、吉野弘から説明を受けながら、二つの展覧会を鑑賞した。

憧憬の地 ブルターニュ ─モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」展(国立西洋美術館)は、エキゾチックな場とみなされたブルターニュ地方を描いた絵画を、主に国内のコレクションで構成しつつ、日本での受容も辿る。コロナ禍に企画されたことも影響したようだが、各地の美術館のコレクションを活用する試みは重要だろう。19世紀の鉄道/観光事情も関係することから、導入部では当時のガイド本やポスターも紹介しており、フランスの近代を従来と異なる角度から捉える。

吉野によれば、当時の芸術家がブルターニュに足を踏み入れたことを追体験しながら鑑賞する、抒情的な展示構成が本展では意識されたという。すなわち、1章は駅のイメージ、モネの《ポール=ドモアの洞窟》(1886)があるエリアは彼を魅了した海を連想させる壁面色、2章の内陸の素朴さに注目したゴーガンの絵のまわりは森のような壁面色、そして3章の人々の風俗を描くシャルル・コッテらの絵に対しては精神性を表現する深い色を使う。ただし、すぐに何色かと分類しづらい微妙な色彩が選ばれた。また屏風に仕立てた日本人の作品に合わせて、屈曲する展示ケースもつくられている。



「憧憬の地 ブルターニュ」展の導入部。サンクンからの光が透過する




第1章「ブルターニュへの旅」(「憧憬の地 ブルターニュ」展より)




モネ《ポール=ドモアの洞窟》(1886/「憧憬の地 ブルターニュ」展より)




ゴーガンのエリアの壁の色(「憧憬の地 ブルターニュ」展より)


マティス展(東京都美術館)は、ポンピドゥー・センターのコレクションを活用した、日本では久しぶりの大きな回顧展である。絵画だけでなく、彫刻や切り絵などを交えながら、時系列で作品の変遷を辿り、最後はヴァンスのロザリオ礼拝堂を紹介する。吉野は、会場をコンテンポラリーな美術空間とすべく、既存の壁の前に白い壁を増設し、自然光に近い色温度の照明を当てたという。また各フロアは、マティスの絵がもつ幾何学的な構成を意識したプランとしたり、廊下ではなく、空間の中心に大きな年表を提案している。なるほど、いつもより白い壁を背景に、マティスの作品が映えていた。また絵の額縁がもともとシンプルなデザインだったことも印象的である。礼拝堂の展示エリアでは、部分的に空間のスケールを意識させていた。なお、一部の資料展示はポンピドゥ・センターの仕様に従ったものである。



白い壁(マティス展より)




シンプルな額装。室内プランのヒントになった絵の構成(マティス展より)




大型年表(マティス展より)



憧憬の地 ブルターニュ ─モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷:https://bretagne2023.jp/
マティス展:https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_matisse.html



関連レビュー

マティス展|村田真:artscapeレビュー(2023年06月01日号)

2023/06/03(土)(五十嵐太郎)

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