artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
高﨑紗弥香『巡礼』
発行所:月曜社
発行日:2023/05/10(水)
高﨑沙耶香は前作の写真集『沈黙の海へ』(アダチプレス、2016)で、日本海から太平洋沿岸にかけての山岳地域を43日間かけて縦断し、そのときに撮影した写真群を、静謐で張りつめた画像の集積として発表した。今回写真集にまとめられた「巡礼」シリーズは、12年にわたって1年の半分ほどの時間を過ごしている長野県と岐阜県の県境の御嶽山の山小屋近くの水辺で撮影したものである。
自らの身体移動の感覚が刻みつけられた前作と比較すると、本作では、被写体を「見つめる」という行為の積み重ねによる時間の厚みを感じとることができる。主に写しているのは、季節の移りゆきとともに絶え間なく変容し、姿を変えていく水面である。その光と影と色味と質感とが織りなす、精妙かつ繊細な変幻の様相は、見飽きるということがない。
だがそれは同時に、水面を見つめ続ける高﨑の内面を映し出す鏡のようにも見えてくる。内と外との照応関係が、ときに細やかに、ときにダイナミックに90点の写真に形をとっている。今回はテーマを絞り込んだ写真集だが、高﨑の御嶽山での視覚的経験は、決してこのシリーズだけで完結するものではないはずだ。さらに多様な形で発表していくべきではないだろうか。
なお、鈴木成一の端正なデザインによる写真集の刊行に先行して、静岡県三島市のGALLERYエクリュの森で、出版記念展として「巡礼 JUNREI」展(5月1日~10日)が開催された。
2023/05/07(日)(飯沢耕太郎)
「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄
会期:2023/04/08~2023/05/21
千葉市美術館[千葉県]
本展の案内状を目にしたとき、瀧口修造、阿部展也、大辻清司に加えて牛腸茂雄という名前が入っていることにやや違和感を覚えた。牛腸の写真の仕事は、日常の情景に目を向けたスナップ写真の流れ=「コンポラ写真」と結びつけて語られることが多く、「前衛」という言葉の響きとはあまり馴染まないように思えたからだ。
だが千葉市美術館の展示を見て、牛腸が加わっているということが素直に納得できた。ひとつには、瀧口修造が1930年代に開始した日本へのシュルレアリスムの導入において、既に「日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美を見出すこと」(「写真と超現実主義」1938)が強調されており、それが桑原デザイン研究所時代に教えを受けた大辻清司の「なんでもない写真」という提言を経て、牛腸のスナップ写真に受け継がれていることが丁寧にひもとかれていたからだ。さらに会場の最後に展示してあった牛腸のインクブロット(デカルコマニー)作品「扉を開けると」(1972~77)と瀧口の「私の心臓は時を刻む」(1962)の連作には、明らかに共通性がある。牛腸の写真以外の作品には、確実に「前衛」の息吹が感じられるということだ。
つまり、牛腸茂雄の作家活動を、瀧口→阿部→大辻という「『前衛』写真の精神」の流れに沿って位置づけていく可能性が、本展によって明確に示されたわけで、それは従来の彼の作品解釈の幅を大きく拡張するものといえるだろう。併せて展示されていた実験工房のアーティストたち(北代省三、山口勝弘、福島秀子、駒井哲郎)の作品を含めて、瀧口修造の精神的な影響力の大きさをあらためて実感できた展覧会だった。
公式サイト:https://www.ccma-net.jp/exhibitions/special/23-4-8-5-21/
2023/05/07(日)(飯沢耕太郎)
今井俊介 スカートと風景
会期:2023/04/15~2023/06/18
東京オペラシティアートギャラリー[東京都]
最初に今井俊介の作品を見たとき、きれいだけど中身がないなあと思ったが、何度か見るうちに、これは一筋縄ではいかない絵画だと感じるようになった。というのも、ストライプを中心とするカラフルなパターンは、ポップアートにも見えればミニマルアートにも見えるし、スカートのドレープに由来するモチーフは具象ともいえるし抽象でもあるし、制作手順もデジタルな作業とアナログな手描きが混在し、完成作品はアートでありながらデザインとしても通用するといったように、絶妙な境界線の上に成り立っていることが了解できるからだ。これはおもしろいかも。
会場には、2008年から現在まで約15年間の作品が並ぶ。細かい図柄の初期作品と色彩の少ない新作を除けば、大半は制作年が特定できないくらい似たり寄ったりで区別がつかない。そのため展示は制作順ではなく、サイズや色合いで決められているようだ。蛍光色のような鮮やかな色彩をふんだんに使っているので、ギャラリーの白い壁によく映えて美しい。遠目にはまるでポップアート展の会場のようにも見える。
しかしポップアートがそうであるように、時代が過ぎれば色褪せて見えてくるかもしれない。ポップアートではモチーフが時代遅れになると作品自体が陳腐に見えてしまうが、今井の場合モチーフはともかく、画面の物理的な経年変化に危惧を覚える。ハードエッジな形態に明るく鮮やかな色彩がフラットに塗られているだけに、ノイズが入ると致命的になりかねない。今回も少し気になったが、白の部分にわずかでも汚れがつくと目立ってしまい、興醒めなのだ。
今回タブロー以外に、仮設壁にインクジェットプリントによる壁画があったり、図柄をプリントしたパジャマやスカーフを展示したりしている。昨年は「六本木アートナイト」で、六本木交差点の首都高を支える柱にプリントによる壁画を施したが、タブローよりこうしたデザインを含めたパブリックな仕事に可能性があるような気がする。余計なお世話だが。
公式サイト:https://www.operacity.jp/ag/exh261/j/exh.php
関連記事
今井俊介《untitled》──リアリティーがストライプになるとき「森啓輔」|影山幸一:アート・アーカイブ探求(2017年04月15日号)
2023/05/06(土)(村田真)
没後40年 朝井閑右衛門展
会期:2023/04/22~2023/06/18
横須賀美術館[神奈川県]
朝井閑右衛門(1901-83)というと、名前の響きからも、ちょっと時代遅れの昭和の洋画家のひとりくらいにしか思っていなかった。しかし近年になって、日中戦争において最初の戦争画を描いたり、戦後アトリエ近くの電線をモチーフにしていたことを知り、これはひょっとして電波系の画家かもしれないと思い始めた矢先の回顧展。これは少し遠いけど見に行かねば。
朝井は戦前、ピカソやシュルレアリスムの影響からか、1936年に幻想的な作風の《丘の上》が文展で受賞し、注目を浴びる。翌年日中戦争が始まり、通州事件に取材した《通州の救援》(1937)が第1回新文展に入選。これが日本の戦争記録画の最初の作例とされるが、作品は現存せず。以後、戦争記録画の制作に携わり、何度も中国とのあいだを往復する。今回の出品作品には明白な戦争記録画は見当たらないが、海岸風景を描いた《大王崎》(1944)はよく見ると沖に何隻か戦艦が停泊しているのがわかる。一方《豊収(誉ノ家族)》(1944)は、荒野を背景にした母子像だが、「誉ノ家族」は夫を戦争で亡くした母子家庭のことなので、どちらも広い意味で戦争画の一種といえるだろう。
また、3年前に練馬区立美術館で開かれたユニークな「電線絵画展」では、朝井の電線絵画が水彩を含めて6点も出ているうえ、彼自身「ミスター電線風景」と称されていたので、戦後は電線風景ばかり描いていた画家かと思ったらそんなわけがなく、今回は3点しか出ていなかった。それにしてもなんと力強い電線だろう。朝井には電線を走る電磁波エネルギーが見えていたのかもしれない。結局、電線絵画は1950年代に取り組んだモチーフのひとつにすぎず、本人はむしろ「人物画家」を自負していたらしい。確かに三好達治、草野心平、室生犀星、萩原朔太郎ら文士を描いた肖像画は味わい深いものがある。でも晩年は、所有していた絵壺やフランス人形、バラの花など洋画の定番モチーフばかりになってしまったのが残念。
公式サイト:https://www.yokosuka-moa.jp/archive/exhibition/2023/20230422-741.html
関連レビュー
電線絵画展─小林清親から山口晃まで─|村田真:artscapeレビュー(2021年04月15日号)
2023/05/04(木)(村田真)
亻─生而為人(クァンユー・ツィ《Exercise Living : We Are Not Performing》)
会期:2023/04/22~2023/07/30
Jut Art Museum[台湾、台北]
会場に入ってすぐに、シャンシャンシャンシャンシャーンという音が遠くに聞こえた。クァンユー・ツィ(崔廣宇)の映像作品《Exercise Living : We Are Not Performing》(2017)から鳴り響いていたものだった。青年がひとり、コンビニエンスストアの窓に面したイートインスペースに入ってくるのを窓越しに外から撮影しているシーンから映像が始まる。彼は大きな手提げ袋から飛び出たロール紙を手に取る。紙を開くと、そこには幕とステージが描かれていた。それを彼がテキパキと窓ガラスに貼ると、即席の書き割り舞台が出来上がる。「奥春風」と書いてあった。
そっと鞄から取り出されたのは二つのパペット。あざやかな錦にスパンコールとファーで華やかな衣装を身にまとっている。彼はそれらを巧みに操り、銅鑼や効果音に合わせて、窓の外に向け演舞やロマンスを繰り広げはじめる。
映像には人形劇だけでなく、つねにその周囲が収められていて、カットが変わるごとに、さまざまなコンビニのイートインスペースで人形劇が展開される。劇には無関心だが隣の席で楽しそうにご飯を食べている人、外をせわしなく通り過ぎる人、ちょっと気にする人。シャンシャンシャンシャンシャーン。矛と矛がぶつかり合う効果音が簡易なスピーカーから流れている。バシバシという音のタイミングで男が叩かれる。窓越しの駐車場から様子を伺う男性。
崔廣宇だけでなく、たくさんの作家が出展している本展のタイトルの訳は「Dasein – Born to Be Human」で、Daseinは直訳すると「ここにいる」という意味だ。哲学者、マルティン・ハイデッガーがいうところの「現存在」、主体的に何かを見て、解釈し、働きかけ、問うことができる、歴史上のあるひとつの存在を指す。本作は確かにコンビニのイートインに居合わせた人々、窓から見える人たちの「現存在性」のようなものを捉えている。
この人形劇は「布袋戲(ボテヒ/プータイシー)」と呼ばれるものだ。文字通り、布でつくられた袋状の人形のことを指すもので、台湾には清代末期に福建省南部から伝播しており、現在は霹靂布袋劇として「Thunderbolt Fantasy」(台湾と日本の共作)などSFX技術を駆使した華やかな映像作品で人気を獲得している。例えば、20世紀初頭の台湾の布袋戲はパペットを操る人は見えないようになった舞台(戯台)がやぐらのように組まれており、爆竹や銅鑼で派手に演出されるもので、本作の「布袋戲」も同様に、屋外で上演するものの簡易な形式のものだといえるだろう。
しかし、20世紀台湾における布袋戲の在り方は、台湾映画『戲夢人生』(1993)で描かれているとおり、さまざまな政治状況によって変化し続けたといっても過言ではない。
日本政府統治期の1930年代には、盧溝橋事件の後に民間の戯曲活動が禁止され、布袋戲の演者たちは廃業を余儀なくされている。その後、皇民化政策のためにビン南語を禁じたうえでの布袋劇が開始されるも、それまでの華麗さと対極的な反米教育に根ざした演目が中心となった。ポツダム宣言後の台湾は、中華民国政権下で「二・二八事件」(1947)以後、長期的な民衆弾圧が起こり野外公演が禁止され、布袋戲も屋内上演へと切り替わっていったのである。その後、テレビ放映された布袋戲の人気はすさまじく、1974年にはその影響力の強さから上演が一部禁止され、テレビ番組が打ち切りとなるも、また復活するという紆余曲折を辿る……
本作でそのような歴史性がリテラルに扱われることはないが、この変遷を踏まえてみると「ひとりで屋内から窓越しに屋外に向けて行われる布袋戲」ということが、「ただ上演されている」という風には思えない。屋内に留まることは「二・二八事件」を想起させるかもしれないし、ゲリラ的な上演のさまは「もしも植民地支配が続いていたら」「もしもまた屋外での上演が禁止されるようになったら」といった可能世界について思いを巡らす契機にもなるはずだ。タイトルの「Exercise Living : We Are Not Performing」、つまり布袋戲をしているわけではなく……と留保したうえで、暮らしのためのエクササイズとして「布袋戲」が行なわれているとしたら、それはどんな状況か。
イートインで隣り合った幼い子供がただ単に「布袋戲だ!」と思ったであろう一方で、居合わせた人達の知見、世代の違いによっても見え方は違ったはずだ。本作に現われる人々の「現存在性」へと立ち返ることで、それぞれの人がただ行きずりの人ではなくなり、彼らの生きてきた歴史を「布袋戲」から照射する。
このようにキュレーションが作品の鑑賞へより多層性を付与していたがゆえに、作品が扱う歴史の幅を考えるうえで、ハイデッガーそのものと、ハイデッガーとの人的・知的交流によって成立した「京都学派」の第二次世界大戦期における政治責任をキュレーションがどう考えているのかと、作品が企画に切り返す。中国語でのタイトル「亻」は、人偏(にんべん)、つまり人々の出会いによってもたらされるあらゆる可能性を表わすシンボルであり、それを訳するにあたって、「Dasein」が当てられた。ハイデッガーの用語として、ドイツ語でありながら世界的に解釈と研究が諸言語で行なわれている言葉のひとつだろう。本展ではハイデッガーの位置づけが明確に行なわれるわけではない。しかし、「布袋戲」と「Dasein」のどちらが広くアクセス可能な対象であるかと考えたとき、ハイデッガーの便利さを感じずにはいられないし、どのような時代幅を念頭に本展をみるべきか、作品に奥行きを与えたのは間違いない。
本展は100元で観覧可能でした。関東圏では目下、隔週木曜日の「悟空茶荘」で布袋戲を見ることができます。
亻─生而為人:http://jam.jutfoundation.org.tw/en/exhibition/107/4160
2023/05/03(水)(きりとりめでる)