artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
宇田川直寛「パイプちゃん、人々ちゃん」
会期:2018/07/18~2018/08/10
ガーディアン・ガーデン[東京都]
とても刺激的で面白い展示だった。宇田川直寛は2013年の第8回写真「1_WALL」展のファイナリストで、今回は同展のグランプリ受賞者以外の作家による「The Second Stage at GG」の枠での展覧会である。にもかかわらず、本展は「写真展」ではない。宇田川は、「写真家と名乗る俺」がよく撮影する「パイプちゃん」(鉄パイプ)という被写体の意味、またそれを作品化するというのはどういうことなのかを問い詰め、あえて写真作品を展示しないやり方を取ることにしたのだ。
会場に並んでいるのは、「観測者」である「人々ちゃん」たちに、パイプを取り扱う「ルール」を考えてもらい、その「ルール」に従って制作している過程を彼が撮影した映像を流す10台のモニター、実際に制作作業に使用した平台(彼のアトリエに常備してある)、「人々ちゃん」たちがつくったルールを別の第三者に伝え、それに従って石膏やパイプで再制作してもらった作品などである。「ベニヤ板と単管パイプ」という基本的な組み合わせが、「木の枝と石、ラップとクランプ」、「長い草と短い草」という具合に読み替えられ、最後はルールづくりのコミュニケーションのあり方を問題にして、電話による指示を聞きながら作業するという段階にまで至る。作品制作のプロセスそのものがテーマなのだから、できあがった「作品」は見せる必要がないし、写真による記録も視点の固定化を促すという理由で潔癖に排除されている。宇田川の思考と実践の往復運動が、会場構成にもよくあらわれていて、とても見応えのある展示が実現していた。
だが、今回の試みの最大の弱点は、作品の重要なファクターである「人々ちゃん」が、宇田川の周囲の、コミュニケーションしやすい仲間たちに限定されていることだろう。そうなると、次に何が出てくるかわからないスリリングな展開はあまり期待できなくなる。もっと異質な「人々ちゃん」──例えば子ども、外国人、障がい者などにも作品制作のプロセスを開いていくことで、「パイプちゃん」の変容はより加速するのではないだろうか。
2018/08/01(水)(飯沢耕太郎)
没後50年 藤田嗣治展
会期:2018/07/31~2018/10/08
東京都美術館[東京都]
本格的な回顧展としては、2006年の東京国立近代美術館での「生誕120年展」、2年前の名古屋市美術館での「生誕130年展」に続く大規模なもの。その間にも大小さまざまな藤田展が開かれており、それ以前に比べれば隔世の感がある。これは藤田の著作権を引き継いだ君代夫人が最晩年になって強硬な態度を軟化させ(2009年に98歳で死去)、戦時中の作品なども出品できるようになったことが大きい。2015年には東近が所蔵する藤田の全作品を公開、そこには14点の戦争画も含まれていた。そんなこともあって、近年では1920年代に人気を博したエコール・ド・パリのフジタより、凄惨な戦闘場面を描いた戦争画家としての藤田の評価が高まりつつあった。ところが今回は意外なことに、戦争画は《アッツ島玉砕》と《サイパン島同胞人臣を全うす》の2点しか出ていない。これは残念なことだが、でも前述のとおり戦争画は以前より比較的容易に見られるようになったため、あえて代表的な2点に絞ったと考えられる。
その代わり、今回はこれまで見たことのなかった作品がたくさん出ている。たとえば、学生時代に描いた生硬な《父の像》、「乳白色の肌」への移行期を示す《二人の少女》、シカゴ美術館から初出品される《エミリー・クレイン・シャドボーンの肖像》、君代夫人がモデルになった珍しい《人魚》、《猫を抱く少女》の背景にも転用された《マザリーヌ通り》などだ。とくに今回は、ちょうど100年前の1918年に制作された作品が13点も出品されている。これは全体の1割強に当たる。この年は第1次大戦が終結した年だが、藤田にとってはパリで画家として認められた転換期であり、「当たり年」でもあるのだ。うがった見方をすれば、日本人が世界で通用するにはどうすればいいのか、なにが必要なのかをこれらの作品は示唆しているかもしれない。
出品点数は約120点。作品の所蔵先は海外だけでもポンピドゥー・センター、パリ市立美術館、ニーム美術館、カルナヴァレ美術館、ランス市立美術館、ジュネーヴのプティ・パレ美術館、シカゴ美術館などフランスを中心に世界各地に広がり、個人蔵を除いても50カ所以上におよぶ。12年前の東近と2年前の名古屋市美はともに30数カ所だったので、幅広く借り出していることがわかる。最後に付け加えると、今回の「没後50年展」は当初、六本木の国立新美術館でやるか上野の東京都美術館でやるか迷ったそうだが、都美は戦争画をはじめ藤田がしばしば作品を展示した場所だし(というか、都美以外に発表の場はほとんどなかった)、藤田の母校である東京美術学校(東京藝大)も隣接していることから都美に決まったそうだ。その東京藝大の陳列館では時期を合わせて「1940’sフジタ・トリビュート」展を開催。回顧展では戦争画が少なかった分、こちらで補えたかな?
2018/07/30(村田真)
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018
会期:2018/07/29~2018/09/17
越後妻有里山現代美術館[キナーレ]ほか[新潟県]
第7回となる越後妻有アートトリエンナーレのオープニングに出席する。今回の式典会場は屋外ではなく、原広司が設計した《キナーレ》の回廊を用いたおかげで、朝とはいえ、夏の暑さを回避することができた。21世紀の日本の芸術祭における建築と美術の境界を下げることに大きく貢献したのは、間違いなく、越後妻有の功績だが、2018年も建築的な見所が用意されている。まず、キナーレは、レアンドロ・エルリッヒによる錯視を利用した《Palimpsest: 空の池》を囲むように、企画展「方丈記私記」の四畳半パヴィリオンが並ぶ。例えば、建築系では、箸を束ねた《そば処 割過亭》(小川次郎)、人力で家型が上下する《伸び家》(dot architects)、《十日町 ひと夏の設計事務所》(伊東豊雄)、デジタル加工したダンボールによるコーヒースタンド(藤村龍至)、メッシュによる方丈(ドミニク・ペロー)、公衆サウナ(カサグランデ・ラボラトリー)である。極小空間としての庵そのものは、もうめずらしくないテーマだが、今後これらが町に移植され、活性化をはかるという。
清津峡渓谷トンネルに設置された中国のマ・ヤンソン/MADアーキテクツの《ペリスコープ》と《ライトケーブ》は傑作だった。前者は上部の鏡から外部の自然環境を映し込む足湯、後者は見晴らし所にアクセスするトンネルを潜水艦に見立てたリノベーションである。全長750mの巨大な土木空間ゆえに、照明、什器、トイレ、水盤鏡など、わずかに手を加えただけだが、まるでこの作品のためにトンネルがつくられたかのように思えるのが興味深い。そして何よりも涼しいことがありがたい。そしてトリエンナーレの作品ではないが、十日町では青木淳による新作が登場した。地元と交流しながら、設計を進めたプロセスでも注目された《十日町市市民交流センター「分じろう」》と《十日町市市民活動センター「十じろう」》である。リノベーションとはいえ、外観はあえて明快な顔をつくらない感じが彼らしい。その代わりに「十じろう」では、マーケット広場という半公共的な空間をもうける。ゆるさをもつデザイン、自動ドアでない引き戸、青木が寄贈した本などが印象に残った。
2018/07/29(日)(五十嵐太郎)
原田裕規「心霊写真/マツド」
会期:2018/07/01~2018/08/05
山下ビル[愛知県]
今年4月に東京のKanzan Galleryで開催された「心霊写真/ニュージャージー」展、そして続編の「心霊写真/マツド」展へと展開する原田裕規の関心は、おそらく、「ファウンドフォト」という手法ないしは問題機制をめぐり、匿名的な市井の撮影者/アーティスト/キュレーターという「複数の主体の座」の侵犯や撹乱にある。
先行する「心霊写真/ニュージャージー」展と同様、本展は以下4つの構成要素からなる。1)清掃やリサイクル業者から原田が引き取った、「捨てられるはずだった写真」の膨大な山。「心霊写真」というタイトルが呼び起こす期待とは裏腹に、それらは家族や友人のスナップ、行事や旅行先での記念撮影、風景写真など、ごく普通のアマチュア写真であり、モノクロとカラーが混在する。一部は輪ゴムで束ねられ、「飛行機」「宴会」といったグルーピングが読み取れる。「謎の静物」「花、オールオーバー」などの分類メモを原田が記した付箋が付けられたものもある。2)一部のみが大きく引き伸ばされ、ネガポジ反転した画像。スマートフォンのネガポジ反転機能を用いると、「元の正しい色調の画像」が液晶画面内に浮かび上がる。3)上述1)の写真から選ばれ、額装された写真。4)「百年プリント」と書かれたDPE袋と、郊外の平凡な風景を写した写真。その表面は時間を経たように黄ばんでいるが、この「黄ばみ」は原田によりPhotoshopで補正された人工的な着色である。
ここで、ファウンドフォトを用いた例として、例えばフィオナ・タンの《Vox Populi(人々の声)》や木村友紀のインスタレーション作品が想起される。《Vox Populi(人々の声)》は、展覧会開催地に住む人々からタンが収集したアマチュア写真を、構図や被写体の人数、ポーズ、撮影シーンなどでグルーピングし、ある地域や文化圏の住民が無意識的に共有する「写真のコード」のマッピングを浮かび上がらせようとする試みだ。また、木村友紀は、「発見された写真」を元の文脈からズラし、ある形態や色彩といった細部をトリガーに、別の写真やオブジェと接続させて読み替えるインスタレーションを制作する。こうしたタンや木村と異なり、1)での原田は収集した写真を一方では方向づけてコントロールしようとしつつも、半ば放棄している。観客は、「整理途中の写真の山」を実際に手に取って一枚ずつ眺めることができ、組み換えて別のグルーピングの束をつくることも許可されている。つまり観客が目にするのは、アルバムから引き剥がされて元のコンテクストを失い、アーティストによって選別された「ファウンドフォトの作品」としての新たな登録先もまだ得ていない、浮遊状態の写真なのである。原田はここで、「埋もれた匿名的な写真」を独自の視点で「発見」し、「新たな(美的、文化史的、記録的……)価値」を付与する特権的な「作者」として振る舞うことを自ら放棄している。それは、「ファウンドフォト」という手法に潜む「一方的な簒奪」 「私物化」といった暴力性に対する、批評的な態度の表明と言える。
その一方で、3)の額装された写真は、「任意の写真を選別し、フレームという装置によって他と聖別化する」行為を前景化させ、キュレーションの権力を発動させることで、アーティスト/キュレーターの職能的な弁別を撹乱する。また、4)において原田は、技術的卓抜やアーティストとしての視点の独自さを示すわけでもない。人工的な褪色を付けられた匿名的な風景の写真は、「平凡なアマチュア写真」の撮影者に自らを擬し、さらに「時間的経過」の味付けをフィクションとして加味することで、1)の収集された写真群の匿名的な撮影者の立場に自らの身を置こうとする身振りである。「撮影者の気持ちを想像して書いた文章を添える」というもうひとつのフィクショナルな仕掛けが、この偽装をより強調/暴露する。
「ファウンドフォト」の作者としてのアーティスト/キュレーター/アマチュア写真の撮影者。原田はその役割を演じ分け、曖昧化・多重化させることで、境界を侵犯的に撹乱させる。一枚の「ファウンドフォト」には、被写体となった人物だけでなく、撮影した者、現像した業者、現像された写真にかつて眼差しを注いだ者、その写真に新たな光を当てる「アーティスト」、その「ファウンドフォト」を展示作品として選別するキュレーターなど、複数の主体の関与や眼差しが透明ながら密接に折り重なっている。写真それ自体には写らない亡霊のような「彼ら」の存在をこの場に召喚し、写真の背後に透かし見ようとすること。それこそが、原田の試みにおける「心霊写真」の謂いである。
2018/07/29(日)(高嶋慈)
大岩オスカール 光の満ちる銀座
会期:2018/07/21~2018/09/22
東京画廊+BTAP[東京都]
相変わらず絵を描いている。「相変わらず」には2つあって、よい相変わらずと悪い相変わらずだが、オスカールは間違いなくよい相変わらずだ。テーマは相変わらず都市や郊外、地球、環境問題などで、描写は相変わらずマンガチックかつペインタリー。今回のタイトルは銀座の老舗画廊で発表するせいか、「光の満ちる銀座」というものだが、絵に銀座らしき場所は登場しない。代わりに半分焼けてる郊外風景や、船の行き交う海原など。黄色い光のツブツブが花粉のように宙に浮かんでいるのは最近の特徴か。焼けてる風景と相まってフクシマ原発事故を想起させもする。
2018/07/27(村田真)