artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

笠木絵津子「六十年前の冬休み」

会期:2023/01/23~2023/02/04

ギャラリーQ[東京都]

2022年8月18日で70歳になる笠木絵津子が、60年前の小学校4年生だったときの冬休みを振り返るようにして組まれたインスタレーションで本展はできている。当時、姫路にあった笠木の実家での弟の誕生日を祝う写真のパネルが目を引く。

バタークリームケーキがボックスの上で高くろうそくを灯し輝く。満面の笑みの弟、着物をカッチリと身に着けた父の顔はほころび、もっとも光に照らされた母は柔らかに目を細め、作家はその3人から対角線上の位置に座り、影で表情が窺えないが、どこかその視線は固い。机の上には使用されていた皿やカトラリーや紙焼きの写真がかなり雑然と並び、裏に回り込むとパネルには左右反転した写真のイメージがプリントされていた。いくつかのパネル写真が同じように出力されて、これは「写真を見せる」ということとはまた別に、写真に閉じ込められた一瞬に迷い込むようなものとしてインスタレーションがあるという符号なのかもしれない。

本展は当時を再現するという博物館的な回顧からは明白に距離をとっている。当時どのように使用されていたかということがわかる配置でもあるのだが、それからどれほど時間が経っていて、それらがいま(の作者ないし所有者)にとって、どのように薄ぼけた存在なのかといったような、古道具でしかない、過去でしかないというような突き放しすら感じる。

会場の奥にある姫路総社への初詣で撮影された幼い笠木のポートレイト。そこで身にまとっている、花の刺繍が鮮やかな白いカーディガンは、笠木のお気に入り、あるいは晴れ着だったのだろう。笠木の母が既製品に入れたかもしれない刺繍はいまも目を見張るものがあるが、会場ではぐにゃりと脱ぎ捨てられたままのように、箱にしなだれている。ほこりにまみれているわけでもないが、磨き上げられているわけでもない。カーディガンの隣にある鏡台には使いかけの化粧品が並びつつ、引き出しの装飾板は外れている。刺繍に毛糸にミシン。手作りのクッションカバー、当時の日記、マンガ雑誌、文房具。反物の裁断図。小道具の包み紙だった新聞紙が壁に貼り付けられている。新聞広告には『週刊女性』「婚期を逸する女の条件」とあった。


笠木絵津子 「六十年前の冬休み」会場写真


1962年、日本のテレビ受信契約者数が1000万を突破し普及率は40%を超え、『週刊TVガイド』が創刊された年だ。池田勇人内閣が「人づくり政策」を通じて国家主義と新自由主義に邁進するため、1フレーズで政策を伝えるテレビを中心としたイメージ戦略で国民の支持率獲得を狙っていた。そこから60年が経ち、これらの媒体名を任意のメディアやプラットフォームに置き換えた枠組みで考えれば、現在と大きな違いなんかないような気がしてくる。とはいえ2017年の安倍晋三内閣での「人づくり革命」は「一億総活躍社会」はもとより、女性の就労が前提であるという点に大きな違いがある。

会場に貼られた作家の言葉に「父母が没し家を解体した後も家財道具を維持してきたのは、今日この日、大都会東京の最先端の街のホワイトキューブの中に、60年前の姫路実家の空間を構築するためでだった」と記載されていた。姫路の実家にあった物々が本展のために維持されてきたというとき、その保持対象の中心は笠木の母にまつわるものに偏っているといってもいいだろう。そこにあるのは笠木から母への半透明な問いのように思う。母はどのような美学をもってつくり、選び、生きていたのかということを物から辿り直す。写真やものから答えが透けて見えるようでいて、その先に母からの返答があるわけではない。

映像中で、過去の写真を複写したスマートフォンを片手に笠木が撮影場所を尋ね歩いている。写真を見つめるようで、現在の様子を眺め、目の前にある食器やメモを見つめているようで、それが実際に使われていた頃を想像してしまう。会場にあった写真や映像や物々、すべてがまるで半透明であるかのようだった。

展示は無料で鑑賞可能で、動画でインスタレーションの様子が公開されています。





公式サイト:http://www.galleryq.info/exhibition2023/exhibition2023-003.html

2023/01/26(木)(きりとりめでる)

ドリーム/ランド

会期:2022/12/18~2023/01/28

神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]

昨年12月中旬に始まったのに、展覧会のことを知ったのは今年に入ってから。毎回のことだが、せっかくの企画展だというのに、なんで神奈川県はもっと広報しないのだろう? いつもだだっ広い会場に観客は2、3人しかおらず、ゆったり鑑賞できるのはいいけれど、年に一度あるかないかの現代美術展を企画するんだから、県内外を問わずもっと多くの人に見てもらうべきだろう。出品作家もたくさんの人に見てほしいと願っているはず。謙虚にもほどがある(笑)。

同ギャラリーではこれまで「日常/場違い」「日常/ワケあり」「日常/オフレコ」という「日常」シリーズを開いてきたが、今回から新たに国、土地、場所などを意味する「ランド」を作品化していくシリーズになるそうだ。その第1弾が「ドリーム/ランド」。出品作家は30〜40代の7人だが、刺繍による偽札づくりに励む青山悟も、キッチュな映像インスタレーションを見せる笹岡由梨子も、あまり「ドリーム/ランド」のタイトルとは関係ない。この際タイトルは忘れたほうがいいだろう。

いちばん感心したのは、大ギャラリーの壁や天井に映像を映し出す林勇気の《another world-vanishing point》というインスタレーション。ウェブ上から集めてきた食べ物、乗り物、家具、食器、動物、植物などあらゆるイメージが高密度に、しかも奥行きを伴いながら漆黒のなかを横に流れていく。つまり宇宙空間にさまざまな日用品が浮かんでいるイメージ、あるいは地球崩壊後のスペースデブリ(宇宙ゴミ)を想像すればピッタリかもしれない(想像できないけど)。しばらく見ていると流れが徐々に速くなって線状に流れ、個々のイメージが判別できなくなる。特に壁に向かって斜めに写した映像はものすごいスピードで放射状に流れていく。この宇宙的なスピード感、なにか懐かしいと思ったら、映画『2001年宇宙の旅』で経験したっけ。と思ったら再びスピードが落ち、個々のイメージは瓦解して消えていく。繰り返し見入ってしまった。



林勇気《another world-vanishing point》[筆者撮影]


公式サイト:https://dreamlands.kanagawa-kenminhall.com

関連レビュー

林勇気「君はいつだって世界の入り口を探していた」|高嶋慈:artscapeレビュー(2022年10月15日号)

2023/01/26(木)(村田真)

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レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才

会期:2023/01/26~2023/04/09

東京都美術館[東京都]

4年前に開かれた「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展で、クリムトとともにシーレ作品が何点か紹介されたが、まとまった「エゴン・シーレ展」が開かれるのは約30年ぶりだという。といっても出品作品115点中シーレ作品は半分にも満たない50点、うち油彩は半分以下の22点。短命だったから作品数が限られているのは仕方がないが、シーレ・コレクションでは世界最大のレオポルド美術館から借りてきた作品が大半を占めるので、これが日本で望みうる最大規模の「シーレ展」だろう。

シーレのほかには、クリムト、コロマン・モーザー、リヒャルト・ゲルストル、オスカー・ココシュカら同時代のウィーンを生きた芸術家の作品も並ぶが、やはりクリムトの存在感が圧倒的。シーレが学生時代に描いた《装飾的な背景の前に置かれた様式化された花》(1908)などは、ジャポニスムの色濃いユーゲントシュティール様式のクリムト風絵画、といった趣だ。しかしその2、3年後、シーレは早くも表現主義的なスタイルを見せ始める。暗く濁った色彩で自らを描き出す《自分を見つめる人Ⅱ(死と男)》(1911)、《叙情詩人(自画像)》(1911)は、絢爛豪華なクリムトのスタイルとは一線を画している。まだ20歳そこそこの作品だ。

クリムトもこのころから表現主義的になっていくが、師匠が色彩の塗りを重視していたのに対し、シーレの真髄があくまで線描にあったのは、晩年の油彩画《横たわる女》(1917)、《しゃがむ二人の女》(1918)にも明らかだろう。モチーフが明確な線で輪郭づけられ、色彩は余白を埋めるだけの役割しか果たしていないからだ。

ところで、シーレの生きた20世紀初めの20年間といえば、フォーヴィスムからキュビスム、ドイツ表現主義、イタリア未来派、ロシア構成主義、デ・ステイル、ダダに至るまでヨーロッパ中でモダンアートが花開いた時期。ところがシーレは表現主義には触れたものの、キュビスムにも未来派にも走らなかった。言い換えれば、動きや時間を表わす新たな視覚表現には関心を示さず、ひたすら人間の身体や内面描写にこだわり続けた。それはもちろん彼の個性によるものだが、しかしウィーンが芸術の都パリから遠く離れた田舎だったこと、いまだ19世紀末のユーゲントシュティールから抜け切れずにいたことも無関係ではないだろう。

だとすれば、クリムトが亡くなり、第1次大戦も終わった1918年がシーレの新たな出発の年になるはずだったが、不幸にも同じ年にシーレはわずか28歳で世を去ってしまう。そのころすでにカンディンスキーやモンドリアンは抽象絵画を始め、デュシャンはレディメイドのオブジェを制作していたことを考えると、彼らより年下のシーレはやはり時代遅れの画家だったのかと思ったりもする。という見方自体が、あまりにモダニズムに偏っているかもね。


公式サイト:https://www.egonschiele2023.jp/

2023/01/25(水)(内覧会)(村田真)

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雑誌『写真』vol.3「スペル/SPELL」刊行記念展 川田喜久治「ロス・カプリチョス 遠近」

会期:2023/01/24~2023/02/19

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

川田喜久治の「ロス・カプリチョス 遠近」展は2022年6月~8月にPGIで開催されている。今回のコミュニケーションギャラリーふげん社での展示は、年2回刊行の『写真』誌の第3号の巻頭に、同シリーズが30ページ以上にわたって掲載されたことを受けて企画されたもので、前回の個展の再編集版といえる。だが、単に会場の違いというだけでなく、写真の見え方そのものが大きく変わったという印象を受けた。

それは、『写真』3号の特集テーマが「スペル」(綴り字という意味のほかに呪文、魔力という意味もある)であり、それにあわせて川田の作品世界のバックグラウンドとしての「言葉」にあらためて注目したからではないだろうか。実際に展示の始まりの部分には、川田自身が選んで並べた、まさに「呪文」のような言葉の群れが掲げてあった。「カフカと赤い馬」「Kafka and Red Horse」「赤い滝」「黄金時代」「湯浴みの足」「スフィンクスの乳房」といった文字列と写真とが、一対一の整合性を保って配置されているわけではない。だが、むしろ反発しつつ触発し合うような関係を保ちつつ、写真と言葉とが見る者に一斉に襲いかかってくるように感じる。そのことが、個々の写真が発する緊張感をより高めているようにも思えた。

1933年1月1日生まれの川田は、今年90歳を迎えた。だが、矢継ぎ早の個展の開催、写真集『Vortex』(赤々舎、2022)の刊行など、その疾走はさらに加速しつつある。


公式サイト:https://fugensha.jp/events/230124kawada/

関連レビュー

川田喜久治「ロス・カプリチョス 遠近」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年08月01日号)

2023/01/24(火)(飯沢耕太郎)

Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎

会期:2023/01/18~2023/03/26

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

スフィンクスは神殿の守護者だ。スフィンクスさん、スフィンクスさん、お座りください。会場すぐにある案内と展覧会名「Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎」を照合するかたちだけでまず、本展を考えていこう。

入口すぐには椅子がフォーラム会場のように並んでいて、その正面にはワイドモニターで3DCGのアニメーション映像が流れている。空中に浮かんだ10個のコーヒーカップの底にアルファベットの文字が浮かんでは水で流されていく。水洗トイレのジャーッという音がして文字は消えて、また別のコーヒーカップに文字が浮かび始める。そのモニターの下には象形文字のようなアルファベットが1文字ずつ書かれたソーサ―が置かれていた。

なぜ1カ所について長々と書いてしまうかというと、椅子に座ってこの一定のテンポが延々と続く映像を17分近く見ていたからだ。ただ、映像自体がどの程度のランダム性をもっていたかまではわからない。なぜならわたしは、映像を眺めるのと同時に、耳元でボソボソとつぶやかれる音声に集中していたからだ。

椅子にはQRコードがプリントされたラミネート書類が置いてあって、スマートフォンでそれを読み込むと「LINE」のユーザーインターフェースのような画面になって、女性の声と男性の声が聞こえてくる。画面にはシークバーがあって、再生位置を操作することができた。そしてこの音声作品は17分30秒の長さであるとわかる。倍速で聴くことも可能だ。

女性の声はスマートフォンを片手にこの音声を聞いている観賞者に向けて10個のルールを語りかけ続けているのだが、もうひとりの登場人物である男性もその女性の言葉に耳を傾けているようで、ルールに対してときどき「知らないよ」「やりたくないよ」「できるかも」と短い感想を漏らしていた。わたしの気持ちを代弁するかのようで、視聴に徒労感はないが、たくさんの情報を脳内で整理していて、うっすら酸欠感を覚えた。

ルールの詳細はさておき、その語りで徐々にこの女性は観賞者を「再野生化したい」という動機を抱えながらルールを定めていること、女性とは美術館そのものであるということ、前半のルールは美術館の観賞上の注意(走らないでください、作品に手を触れないでください、マスクをしてください、作品を撮影しないでください、開場したら入れます、閉館時間には帰ってください、飲食は禁止です……)の読み替えであることがわかってくる。

端的に言って、これらはマスクの着用を促す以外は、美術館における作品保全を目的としたルールだ。ここまでくると、なぜその女性が観賞者を「再野生化」したいのかも推測できるようになってくる。

もともと「再野生化」とはアメリカの環境保全活動家であるデイヴィッド・フォアマンによる1990年頃につくられた用語であり、自然保護運動や、国立自然公園・世界自然遺産などの認定や運営において重視されてきた「自然」を再考する動向である。建築史・都市史家の松田法子はその自然公園などの運営主体によって「再野生化」に向けたアプローチへの積極性に幅があることを前提としたうえで暫定的に「生物多様性の最大化を目指して生態系(エコシステム)を安定的に活発化させる試みで、そのために生態系へ一定の人為的操作を加えたうえで、以降は自然(保護区)に対する人間の管理と介入の度合いをできる限り後退させ、人間を除くエコシステムに土地を託すような考え方と実践」と定義している★1

では、ここで文化財の保護活動を行なう美術館たる女性音声が観賞者に求める再野生化とは何だろうか。とりあえず、次のように言ってみることができるだろう。「美術(館)を自然という言葉に置き換え、美術を保全することを至上命題として、それを達成するための因子としての人間になること」が、ここでの再野生化だと。

この美術館による文化財保全の徹底は、テオドール・W・アドルノが言うところの美術館=霊廟批判との関係性について考えさせられるが、アドルノの論点はそれぞれの作品を絵画や彫刻といった形式に分類した後、展示室で一斉に見せるという野放しの作品展示への批判であり、ホワイト・キューブであると自認していそうな女性音声にその批判は当てはまらない。むしろ実直に、資本主義的に開かれた美術館へのアンチテーゼに聞こえてくる。最後の方で「葬られて土にかえることに抵抗しましょう」と女性音声は言って、モニターが掛かった壁を越えていくようにと指示がある。ふとハンドアウトを見ると、この音声や映像には名前が付けられていなかった。壁を右側から通り過ぎた。

壁の外には一般的な意味での野生化した作品が存在しているといえるだろう。ここでの野生化とは「展示し続けたらこうなりました」というような経年劣化の表象としてのモニターとプロジェクターの有様であり、衣服やスマートフォンといった文明の証を減退させるような指示であり、孤独がつくられている。17分の音声と答え合わせをするように進んでしまった。謎解き脱出ゲームのように思えてきて、楽しく過ごした。

先の「資本主義的に開かれた美術館」というのは、2017年の当時地方創生相であった山本幸三が「地方創生とは稼ぐこと」と定義したうえで、観光振興のためには「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と言い、二条城を例に挙げて、二条城のなかでは「文化財のルールで火も水も使えない。花が生けられない、お茶もできない。そういうことが当然のように行われている」★2と発言したような、保全ありきではない観光資源としての制度化を目指すようなもののことである。本展のアトラクション性も、この山本による「なぜできないのか」という問いに対しての、なぜなんて当たり前のことを返すのではない、「美術館がしていること」というアンサーのひとつかもしれない。

というわけで展覧会名に戻ろう。スフィンクスは神殿の守護者だ。スフィンクスさん、スフィンクスさん、お座りください。わが国では博物館法の一部が改正され、地域の多様な主体との連携・協力による文化観光その他の活動を図り地域の活力の向上に取り組むことが努力義務となったいま、あなたがここに座ってくれたら。逆説的にここは、神殿ということになります。スフィンクスさん、スフィンクスさん、お座りください。そしたらあの音声がなくとも再野生化された人間で溢れかえるでしょう。

本展は1200円で観覧可能でした。



★1──松田法子「ブックガイド2:再野生化(リワイルディング)について」(『生環境構築史 第5号特集:エコロジー諸思想のはじまりといま──生環境構築史から捉え直す』、2022)2023.1.25閲覧(https://hbh.center/05-issue_04/
★2──吉川慧「山本幸三・地方創生相『学芸員はがん。一掃しないと』発言に批判相次ぐ」(『The Huffington Post』、2017.4.16)2023.1.25閲覧(https://www.huffingtonpost.jp/2017/04/16/yamamoto_n_16054370.html



公式サイト:https://www.operacity.jp/ag/exh258/

2023/01/24(火)(きりとりめでる)

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