artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

ルーヴル美術館展 愛を描く

会期:2023/03/01~2023/06/12

国立新美術館[東京都 ]

日本ではトリエンナーレ並みの頻度で開かれる「ルーヴル美術館展」だけに、さすがにネタが尽きてきたのか、今回は「愛を描く」をテーマに、西洋美術史のなかでもルネサンスと印象派に挟まれた、日本人にもっともなじみの薄い(はっきりいって人気のない)17-18世紀のバロック・ロココ・新古典主義を中心に集めてきた。出品作品は16世紀から19世紀まで計73点だが、うち17-18世紀が9割近くを占めている。この時代の絵画というと、たいてい乳白色の豊満なヌード女性のまわりを羽根の生えた裸の小僧が飛び交うみたいな、うんざりするほど甘美なやつだ。しかもフラゴナールの《かんぬき》とかジェラールの《アモルとプシュケ》が目玉作品というから、内容は推して知るべし。実際、プロローグと第1、2章までは5分ほどで駆け抜けた(もちろん時間に余裕があればゆっくり見たいけど)。

足が止まったのは後半、「人間のもとに──誘惑の時代」というサブタイトルの第3章。特に17世紀オランダの風俗画は、絵画を読み解く楽しさにあふれている。たとえばスウェールツの《若者と取り持ち女》は、若い男性と老婆が向かい合う構図で、娼婦を買いに来た若者とそれを仲介する取り持ち女を描いたもの。若者は斜めを向いた顔に光が当たり、老婆は横向きでしゃくれ顎が目立ち、逆光になっている。小品ながらこの1枚に男と女、若と老、美と醜、光と闇といった人間の対比を鮮やかに浮かび上がらせている。

テニールスの《内緒話の盗み聞き》は農家の室内を描いたもので、横長の画面の左右ではまったく別の物語が進行中だ。左手前では男が若い女にワインを勧めながら誘惑し、その上の窓から老婆がふたりを見下ろしている。画面の右奥では数人の男が暖炉の前でタバコを吸ったり、薪を運んできたりする様子が描かれる。室内空間の右と左、上と下、手前と奥、内と外という構造を、それぞれ別の登場人物を配置しながら小さな画面のなかに巧みに織り込んでいる。

きわめつきは、ホーホストラーテンの《部屋履き》だ。画面右に把手のついたドアがあるので室内をのぞいたところだろう。左の壁には箒が置かれ、中央に戸口がふたつ連続している。何重にも入れ子構造になった絵画空間。奥のドアには鍵が刺さったまま、その下にはタイトルになった部屋履きが脱ぎ捨てられている。箒、部屋履き、鍵、本、ロウソクと意味ありげなものが散りばめられ、謎かけをしているようだ。しかし人がだれもいないのに、なぜこれが「愛を描く」テーマの展覧会に入っているんだ? と思ったら、奥の壁に娼婦と若者を描いた絵が画中画として描かれているではないか。ここから、「この家の女主人は愛の悦びに屈し、あまり道徳的ではないことに時間を費やすために自分の仕事を怠っていると考えるのが自然だろう」とカタログは解説する。自然か? さらに脱ぎ捨てられた部屋履きや閉じられた本により、「エロティシズムがさりげなく暗示されているのである」とまでいう。すげえな、なんでも愛=エロティシズムに結びつけてるぜ。


公式サイト:https://www.ntv.co.jp/love_louvre/

2023/02/28(火)(村田真)

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下川晋平「Neon Calligraphy」

会期:2023/02/24~2023/03/12

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

下川晋平は2021年に34歳で夭折した。2020年に銀座ニコンサロンで開催した個展「Neon Calligraphy」が好評で、これからの活躍が期待されていた矢先の急死は、ニコンサロンの選考委員を務めていた筆者にとっても大きな衝撃だった。それから2年余りを経て、下川が師事していた東京綜合写真専門学校校長の伊奈英次をはじめとする関係者の尽力で、遺作集『Neon Calligraphy』(東京綜合写真専門学校出版局)が刊行されることになった。本展はそれにあわせて開催された展覧会である。

「Neon Calligraphy」の被写体になっているのは、イランを中心としたアラブ諸国の商店やホテルなどに掲げられたネオンサインである。イスラム教の世界では、文字を書きあらわすカリグラフィーは「霊魂の幾何学」と称されており、アッラーの言葉を視覚化するという重要な役目を担っている。下川はアラビア語の読み書きができたので、ネオンサインを通じて光と闇、無と有とを併せ持つ大いなる神の存在を顕現しようとしていたことは間違いない。だが同時に、ハンバーガー、レバー、アイスクリームなどのネオンサインも含む本作は、イスラム世界の人々の生の輝きもまた写しとっており、聖と俗とが入り混じる独特の眺めを見ることができた。

このユニークな作品だけでなく、下川はアイスランドや北海道を撮影した、静謐だが力強い風景写真も残している。遺作となったのは、どこか「末期の眼」を感じざるを得ない、故郷の長野県大町近郊のリンゴ園の写真群だった。それらを含めて、彼の作品世界の全体を、さらに大きな規模で辿り直す機会があるといいと思う。写真家というよりは哲学者、あるいは詩人のような雰囲気だったという下川と、その仕事の記憶を、これから先も長く受け継いでいきたいものだ。


公式サイト:https://fugensha.jp/events/230224shimokawa/

2023/02/25(土)(飯沢耕太郎)

潜在景色

会期:2022/11/19~2023/03/05

アーツ前橋[群馬県]

本展はコロナ禍もあって、開催が1年延期された。だが、そのことがむしろいい方向に働いたのではないだろうか。時間をかけて準備できたことが、個々の作家たちの出品作にも、展覧会全体のキュレーションにもプラスになったように思えるからだ。アーツ前橋の学芸員、北澤ひろみが企画・構成した本展に参加したのは、石塚元太良、片山真理、下道基行、鈴木のぞみ、西野壮平、村越としやの6名である。それぞれ実績のある作家たちだが、実は彼らのような「中堅作家」の作品をじっくり見ることができる機会は、特に公立の文化施設では意外に少ない。その意味でも、時宜を得た好企画といえるだろう。

石塚元太良はアラスカの石油パイプラインを撮影した旧作に加えて、廃業後に放置されたガソリンスタンドにカメラを向けた新作「GS_」を出品した。石油産業に支えられたモータリゼーションの社会構造が浮かび上がってくる。片山真理は2014、15年にアーツ前橋のレジデンス施設、堅町スタジオに滞在して制作した作品を中心に発表している。現在の彼女の仕事に直接つながる意欲作である。

下道基行は東日本大震災後に集中して撮影した、仮設の「橋」の作品群と、街を散策して得られた情報を参加者が書き記し、それらを重ね合わせて「見えない風景」を浮かび上がらせていく新シリーズを出品していた。鈴木のぞみの出品作は、前橋市内の廃業した理容店の扉、窓、鏡などからの眺めを感光乳剤で定着し、再構築したインスタレーションである。物質と映像の複合体というべきオブジェが、独特の魅力を発していた。

西野壮平は、都市や川をテーマにした旧作のコラージュ作品だけでなく、利根川を撮り下ろした新作を出品した。水面の様子を捉えた抽象的な作品など、新たな画面構成のスタイルを模索している。村越としやは、前橋市内の建物、倉庫、古墳などを撮影した新作「神鳴り、山を赤く染める」を発表した。モノクローム作品だが、潜在意識に浮かび上がる「赤」という色を引き出そうと試みている。

「潜在景色」すなわち「その場所に潜む見えない何か」をとらえるという写真の特性を踏まえた彼らの作品が、皆同じ方向を向いているわけではない。かなりバラバラな印象を与える展示だが、作品が相互に干渉し合うことによって、気持ちのよいハーモニーが生み出されていた。前橋を中心とした群馬県各地を巡る変奏曲という趣もあり、よく練り上げられた展示空間を楽しむことができた。なお、萩原朔太郎が撮影した前橋市内の写真に、それらに共鳴する萩原朔美、吉増剛造、木暮伸也の作品を加えた「萩原朔太郎大全2022 ─朔太郎と写真─」展も、同時期に併催されていた。


公式サイト:https://www.artsmaebashi.jp/?p=17949

2023/02/24(金)(飯沢耕太郎)

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初芝涼子「Consciousness」

会期:2023/02/20~2023/02/25

巷房[東京都]

初めて見る作家の展示だが、とても面白かった。1978年、千葉県生まれの初芝涼子は、桑沢デザイン研究所在学中から写真作品を制作し始め、東京を拠点に活動を続けている。今回は、巷房の3階、地下1階、階段下の3会場を全部使って、意欲的な展示を展開していた。

作品は5つのパートに分かれている。3階の巷房・1には、鯨やイルカなどのフィギュアを空中に浮かせて、「原初的な意識体験」を再現しようとした「Swim」と、抽象画やミニマルアートの作品を黒白印画に置き換える「境界線」が、地下1階の巷房・2には、マッコウクジラの寝ている姿を、フィギュアを使って撮影した「Whale」と、蓮の花を焼いて炭化させたオブジェをモチーフとする「黒の曼荼羅」が出品されていた。また階段下では、「Material」と題して、「黒の曼荼羅」で使った蓮のオブジェによるインスタレーションを試みていた。

作品はゆるやかに重なり合いながらも、それぞれ異なる領域を志向しており、全体としての統一感はそれほどない。だが、初芝自身がこれまで育て上げてきたさまざまな想念が、的確な技術とよく練り上げられた制作のプロセスを経て具現化しており、完成度はとても高い。「Swim」や「Whale」の、夢みがちな子どもに語りかけるようなスタイルは、たとえば写真絵本のようなものに発展していく可能性があるのではないだろうか。カジミール・マレヴィッチ、ドナルド・ジャッド、バーネット・ニューマンらの作品を踏まえた「境界線」も、より広がりのあるシリーズとして展開できそうだ。それらの作品世界が融合することで、さらに思いもよらない「何か」が出現してきそうな予感もする。


公式サイト:https://gallerykobo.web.fc2.com/194512/

2023/02/22(水)(飯沢耕太郎)

楢橋朝子「春は曙」

会期:2023/02/01~2023/03/18

PGI[東京都]

1989年は昭和から平成へと元号が変わった年である。楢橋朝子は早稲田大学第二文学部を卒業したものの、写真家としての道筋を掴みきれず、「手に職があるようなないような不安定な」状況にあった。それでもこの年、「春は曙」と題する連続個展を3回にわたって開催している。今回のPGIでの展示は、その個展出品作を中心としたもので、当時のネガからあらためてプリントしている。

6×6判と35ミリ判が混在する写真群は、基本的には旅の産物といえるだろう。青森県竜飛岬から沖縄・石垣島に至るまで、その足跡は日本各地に及んでいる。三宅島、御蔵島など、離島の写真も多い。観光名所のような場所はあまり写っていない。風景、看板、モノなどに向けられた視線は、呼吸するように伸び縮みし、視覚よりもむしろ触覚にこだわっている様子が見える。のちに最初の写真集『NU・E』(蒼穹舎、1997)にまとまってくる、楢橋特有の、不定形な生きもののような世界像が、少しずつ形をとり始めている。一人の写真家が、もがきつつその「文体」を作りあげていくプロセスが、個々の写真に刻みつけられているように感じた。

こういう展示を見ていると、揺るぎない作品世界を確立していく前の、むしろどう動いていくかわからないカオス状態の時期の仕事をふり返ることが、重要な意味を持っていることがわかる。もしかすると、この展示をきっかけにして、楢橋自身の写真家としてのあり方もまた、変わっていくのかもしれない。なお、展示にあわせてオシリスから同名の写真集が刊行された。


公式サイト:https://www.pgi.ac/exhibitions/8481

2023/02/20(月)(飯沢耕太郎)