artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

2023年コレクション展I「特集1 虚実のあわい」(前期)

会期:2023/01/21~2023/04/09

兵庫県立美術館[兵庫県]

兵庫県立美術館の2023年最初のコレクション展として、「中国明清の書画篆刻―梅舒適コレクションの精華―」との2本立てで開催されている本展。タイトルから連想されるのは、近松門左衛門の「虚実皮膜」だ。近松の論を花田清輝が『俳優修業』(1964)で引用し、花田を慕う東野芳明ら批評家たちが同時代の虚像論を展開したことが想起された。花田は本書で、「芸というものは、実(じつ)と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの也」に続く一節を引き、東洲斎写楽の役者絵を、虚と実との対立の白熱化している決定的瞬間をとらえようとしたと評する。本展の冒頭で示されていたピュグマリオン伝説は、虚が実へと変貌する物語であるが、展示を見ながら、現代美術が実に屈服しない虚の力とどのように向き合ってきたのかを考えさせられた。

最後の瞽女と言われた小林ハルを描いた木下晋の《ゴゼ小林ハル像》(1983)は、細部を緻密に描きこんだ鉛筆画であるが、写実的なリアリズムにとどまらない。木下佳通代の《UNTITLED》(1976)は、ビデオ・フィードバックを思わせるイメージのなかに複数の鑑賞者が入れ子状に配されている。ビデオ・フィードバックはナムジュン・パイクをはじめ初期のビデオ・アートの手法として知られているが、この作品はそのイメージを写真によって構成するという、見る側の想像力を刺激する仕掛けとなっている。60年代後半以降に虚像論が活発化した背景には、テレビに代表されるマスメディアによるイメージが普及したことが挙げられるだろう。木下晋と木下佳通代のアプローチはそれぞれ異なるが、作られたイメージを乗り越えていく手がかりとなる。展示の後半で紹介されていた菅木志雄《中律―連界体》(1978)、李禹煥《関係項》(1983)のように「もの派」と呼ばれた動向を虚像論のなかに置き直してみると、あるがままの世界と出会うことの回帰的ではなくラディカルな行為としての側面が見えてくる。同時開催されていた李禹煥展の補助線にもなっていた。



木下佳通代《UNTITLED》(1976)平成21年度駒田哲男・楊子氏寄贈



2023年コレクション展I「特集1 虚実のあわい」(前期)会場風景



今回の見どころと思われたのは、西山美なコ《ハ~イ わたしエリカ♡》(1992)の展示であった。少女漫画の要素から引用されたかのようなキャラクターとピンク色を前面に押し出したインスタレーション、ポスター等の印刷物は、もはや西山作品を代表するイメージとして定着している。加えて、本展では、彼女の作品のパフォーマンス性やコミュニケーションとしての側面に着目できる。『月刊漫画ガロ』に広告として掲載され、大阪市内で案内ポストカードやチラシを入れたポケットティッシュとして配布された後、テレホンクラブというデートシステムの模倣としていかに機能したかを、メモや音声テープなどから再考することができた。



西山美なコ《ハ~イ わたしエリカ♡》(1992)令和3年度 大和卓司氏遺贈記念収蔵[© Minako Nishiyama]



2023年コレクション展Ⅰ「特集1 虚実のあわい」展(前期)会場風景


公式サイト:https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/j_2301/tokushu1.html

2023/02/11(土)(伊村靖子)

合田佐和子展 帰る途もつもりもない

会期:2023/01/28~2023/03/26

三鷹市美術ギャラリー[東京都]

個人的な思い出話から始めると、ぼくが初めて合田佐和子の作品を実見したのは学生時代、確か1974年の銀座・村松画廊での個展だったと思う。かれこれ半世紀になるが、そのときの記憶は鮮烈で、往年の映画女優やフリークスのモノクロ写真をもとに部分的に彩色した油絵が並んでいたを覚えている。そのころ銀座や神田の画廊では石や材木を並べただけのもの派や、意味不明の頭でっかちな概念芸術が横行し、画廊回りを始めたばかりのぼくはどのように見ればいいのかわからず、途方に暮れていた。そこに登場した合田の妖しげな油絵は、アートシーンではキワモノ扱いだったかもしれないが、まだ10代だった美大生の心を大いに揺さぶってくれたのだ。でもその後、現代美術にのめり込んでいくぼくの視界から合田は徐々にフェイドアウトしていった。

今回の回顧展で初めて合田の初期から晩年までの作品を通覧することができた。美術学校時代から人形づくりをはじめ、卒業後は廃品を組み合わせた「オブジェ人形」を制作。詩人の瀧口修造の勧めで個展を開き、白石和子、唐十郎、寺山修司らと知り合う。合田が当時の現代美術と一線を画したのは、こうしたサブカル・アングラ系の文化人とのつながりが強かったからだろう。1970年代は現代美術が行き詰まる一方、現代詩やアングラ演劇は活気にあふれていたのだ。さらに、絵画は死んだと囁かれていた70年代初めから油絵を(しかも耽美的な具象画を)始めたのだから、異端視されても仕方がなかった。むしろ異端の画家、時流に抗う表現者として見られることを望んでいたのかもしれない。

展覧会全体を見渡しても、70年代の油絵は懐かしさを差し引いても惹かれるものがある。それまで油絵は描いたことがなかったというのに、絵筆を持ってからわずか半年少々で個展を開いてしまうのだから天性の才能というほかない。イメージこそ写真から拝借しているとはいえ、硬質なマチエールにキッチュとポップを上塗りしていた画面は強烈に目を惹いた。しかしその絵柄は本の装丁やアングラ劇のポスターに使われることで商業主義的に見られ、やがて本人も油絵が描けなくなってしまう。

その後ポラロイド写真に取り組んだり、エジプトに移住したり、オートマティスムの実験などを経て、再び絵筆を握るのは1990年ごろからのこと。目や薔薇などのモチーフを淡くボケたようなイメージで描いているのだが、表面上はきれいなものの、かつてのキッチュな耽美性は薄れ、なにかが抜け落ちてしまったような空虚感が漂う。その後も精神疾患を患い、転居を繰り返すなど、生活も制作も安定しなかった。とりわけ作品の質の乱高下は美術史的にはマイナス要素だが、それをマイナスと捉える評価自体が男性的な価値観の押しつけにほかならない、というのが今回の回顧展の企画趣旨なのだ。

同展企画者のひとり、高知県立美術館の塚本麻莉主任学芸員はいう。「あるモノを作品とみなしてその質を評価する行為自体、極めて美術史的―男性視点の手法であったことを思い返してみるといい。それに思い至ると、合田の表現は『男たちがつくりあげてきた』美術史に対する強力なカウンターとなり、豊かなオルタナティブとして立ち上がる」。目からウロコ。異論より、なるほどとうなずくことの多い指摘だ。質の高さで個々の作品を評価するのではなく、半世紀にわたる表現全体で合田佐和子を捉えなければならない。それでもやっぱり合田の最高傑作は、ぼくにとっては最初に見た村松画廊の個展だけどね。


公式サイト:https://mitaka-sportsandculture.or.jp/gallery/event/20230128/

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「合田佐和子 帰る途もつもりもない」を歩く──肉体から視覚へ|橘美貴:キュレーターズノート(2023年02月01日号)
合田佐和子展 帰る途(みち)もつもりもない|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2023年01月15日号)
合田佐和子展 帰る途(みち)もつもりもない|伊村靖子:artscapeレビュー(2022年12月01日号)

2023/02/11(土・祝)(村田真)

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Artist’s Network FUKUOKA 2023 [第一部] IAFの時代

会期:2023/02/10~2023/03/05

高架下スタジオSite-Aギャラリー[神奈川県]

横浜にあるNPO法人 黄金町エリアマネジメントセンターのギャラリーで、なぜか福岡の展覧会。しかも「第1部 IAFの時代」となっているから、2部、3部と続けていく気だ。それもそのはず、NPOのディレクターが福岡出身でIAFの代表も務めていた山野真悟氏だからね。ちなみにIAFとは1978年に山野氏らが立ち上げた芸術研究室で、インスティテュート・オブ・アート・ファンクションの略。ぼくが初めてIAFを訪れたのはちょうど40年前の冬。川俣正がIAFの協力で福岡でアパートメント・プロジェクトをやるというので見にいったのだ。確かそのときは版画教室だったと記憶する。その後、川俣の影響もあって、福岡の街を舞台にした芸術祭「ミュージアム・シティ・天神(のちに「ミュージアム・シティ・福岡」に改称)」が始まり、毎年のようにお世話になった。てな昔話は置いといて。

今回はそのIAFから巣立った5人のアーティストによる作品が展示されている。会場に入ってすぐの柱に立てかけられた救命用ボートのような黄色い立体は、牛嶋均の《ボート》。よく見ると、公園にある幼児用の滑り台をリサイクルしたもので、上部に開けた窓から非常食が見える。その奥にはロケットのようなかたちをした錆びた物体が横たわっている。これも滑り台の階段をふたつ重ねた《ミサイルもしくはロケット》という作品。廃物利用のアートだが、それだけでなく、アフリカの難民ボートやウクライナの戦場を思い起こさせもする。



牛嶋均《ボート》 展示風景[筆者撮影]


奥の壁には大小の絵画が10点。大きめのキャンバスには母子像が描かれているが、母の姿は手や身体の一部しか見えず、子どもの身体が白いオーラのようなものに包まれ聖人のように強調されている。これは脳障碍をもつ息子のリハビリを描いた「障碍の美術」シリーズで知られる和田千秋の作品。画中画として息子の描いた絵も描き込んでいるが、息子の奔放な絵を画家の父が写実的に模写しているのが微笑ましい。これらの大きめのキャンバスに付き添うように並べた小さめのキャンバスには、回転するような十字形が描かれている。「違い十字」シリーズといい、なにを意図しているのかは定かでないが、大きいキャンバスとセットになっているので、護符のような役割を果たしているのかもしれない。



和田千秋 展示風景[筆者撮影]


受付を挟んだ奥のスペースにも作品があるので見にいくと、ガラス越しに5、6点の平面作品が向こう側を向いて立っている。「こちらは裏側です。反対側からご覧ください」との表示があるので、いったん外に出て向こう側に回ってみると……ネタバレになるので書かないが、あ、やられたと思った。これは坂崎隆一の《surface》(アルファベットは鏡文字)というインスタレーション。両サイドがガラス張りの空間を実にうまく使っている。



坂崎隆一《surface》(アルファベットは鏡文字) 展示風景[筆者撮影]



公式サイト:https://koganecho.net/event/20230210_0310_iaf

2023/02/10(金)(村田真)

それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱

会期:2022/12/03~2023/04/09

世田谷美術館[東京都]

萩原朔美と榎本了壱は1969年に寺山修司が主宰する天井桟敷館(東京都渋谷区)で出会った。自主映画制作や共同事務所の運営を通じて関係が深まり、1974年の伝説的なカルチャー誌『ビックリハウス』の創刊に至る。その後も、付かず離れずの関係を続けて、萩原は多摩美術大学で、榎本は京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)で教鞭を執るとともに、アート/カルチャー・シーンともかかわり続けてきた。また「自分に向かい合う」ことで、それぞれ精力的に作品制作にも取り組むようになっていった。

今回の展示は、世田谷美術館に収蔵された作品による「ミュージアム・コレクション展」だが、二人合わせて300点近くが出品されており、質量ともに驚くべき内容といえる。その旺盛な創作意欲に圧倒させられた。澁澤龍彥作『高丘親王航海記』(文藝春秋、1987)を、ドローイングを付して「書写」した榎本の大作(全84点)にも度肝を抜かれたが、萩原がこのところ集中して制作している道路の自転車マーク、塀の染み、ドアスコープの画像などを大量に撮影してモザイク状に並べた「差異と反復」シリーズが異様に面白い。萩原はまた、セルフポートレートにも執着しており、「電信柱に映っている私」など、自分の影、手の一部、鏡像などを繰り返し撮影した作品も作り続けている。これらの仕事は、ものを創る歓びそのものの表明といえるだろう。

なお会場では、萩原が2018年に制作した《山崎博の海》も上映されていた。高校時代からの親しい友人でもあった写真家、山崎博にオマージュを捧げた、感動的な映像作品である。


公式サイト:https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00116

2023/02/09(木)(飯沢耕太郎)

金村修「Can I Help Me?」

会期:2023/02/02~2023/02/26

MEM[東京都]

何かが吹っ切れたのではないだろうか。東京・恵比寿のMEMで開催された金村修の写真、映像、ドローイング、コラージュによる新作展「Can I Help Me?」は、快挙ともいうべき見応えのある展示だった。

もともと2021年にニューヨークの dieFirmaで開催した小松浩子との二人展に出品された、壁全面にマスキングテープで貼り巡らしたサービス判のカラープリントをそのまま引き剥がして持ちかえり、少し隙間をあけて壁に貼ったり床に丸めて積み上げたりしている。その写真群に覆いかぶさるように映像が上映されていた。写真も映像も混沌とした日常そのものの断片だが、食べ物や看板など、グロテスクに肥大する欲望を投影したものが目につく。むしろ、金村本人の美意識や価値基準から外れたものをわざと選んでいるようにも見える。別室に展示されていたドローイングやコラージュでも、あえて毒のあるイメージを撒き散らしているようだった。

金村はこれまで、都市の路上を主なテーマとして、「写真」という表現手段の可能性を、純粋に、ミニマルに追求していく作品を発表していた。そのどちらかといえばフォルマリスティックなアプローチは、ときに「写真についての写真」という袋小路に行きついてしまいがちなところがあった。だが、今回の展示では、むしろその「写真」の枠組みを大胆に踏みにじり、自分がやりたいこと、見たいものを鷲掴みにして提示しているように見える。金村が本来持っていた「パンクな」アーティストとしてのあり方が、全面開花していた。この方向性には、まだまだ先がありそうだ。


公式サイト:https://mem-inc.jp/2023/01/20/kanemura2023/

2023/02/08(水)(飯沢耕太郎)