artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

大須賀薫「label」

会期:2023/02/28~2023/03/12

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

大須賀薫は1998年生まれ、2021年に日本写真芸術専門学校を卒業し、同年からTOTEM POLE PHOTO GALLERYのメンバーとして活動するようになった。以後、同ギャラリーを舞台に意欲的な展示を展開している。

今回の「label」では、日常の事物を撮影した画像を印画紙にコラージュ的にプリントし、その一部を捲りあげたり、色味、あるいはネガ・ポジを転換したりするような操作を加えている。画面処理そのものに新味はないが、画像の選択が的確なのと、触覚的な要素を強調していることで、われわれが現実世界に「無意識のうちにラベルを貼り」、それらを「平たく、薄っぺらなもの」として認識しているのではないかという彼の疑問によく応えた作品として成立していた。大きく引き伸ばしたプリントの裏から、重ね合わせるようにセルフポートレートと思しき画像を投影するインスタレーションも並置されていて、トータルな会場構成もうまくいっていたのではないかと思う。

次に必要なのは、より深く「無意識」の領域に探りを入れ、自分にとって何が重要なのかをつかみとり、それをしっかりと形にしていくことだろう。被写体の幅をもう少し絞り込んでいくことも考えられそうだ。写真集の刊行や、TOTEM POLE PHOTO GALLERY以外の場所での展示も模索していってほしいものだ。


公式サイト:https://tppg.jp/label/

2023/03/09(日)(飯沢耕太郎)

山上新平「liminal(eyes)」

会期:2023/03/04~2023/04/09

POETIC SCAPE[東京都]

海、あるいは波は写真の被写体としてとても魅力的であり、多くの表現の可能性を秘めていると思う。神話的といえそうなシンボリックな対象であるだけでなく、写真家に個別的、具体的な視覚的経験を与え、千変万化するその姿は尽きせぬ興味を喚起する。今回、POETIC SCAPEで展示され、bookshop Mから同名の写真集も刊行された山上新平の新作もまた、その海、あるいは波をテーマとしていた。

コントラストの強い黒白の画面は、張りつめた緊張感を湛え、山上が「見る」ことに集中していることが伝わってくる。彼の中心的な関心は、海面の複雑で微妙に変化する光と影の交錯に向けられているようだが、それだけでなく、海そのものの物質感をモノクロームに還元して捉え切ることを目指している。そのもくろみは、高度な構想力と技術力によって、ほぼ完璧に実現していた。

完成度の高いシリーズだが、逆にそのすっきり整えられたたたずまいにやや違和感も覚えた。写真集の裏表紙に、今回のシリーズとはまるで対極というべき、飛翔する蝶を捉えたカラー写真が掲載されている。山上は今回の「liminal(eyes)」シリーズの前に、蝶を集中して撮影していた時期があり、そこでは「触れるだけの眼」のあり方が探求されていたのだという。山上が写真を通じて世界を「見る」ことを、幅広く捉えることのできる写真家であることが、このエピソードからもよくわかる。次は一点集中ではなく、彼の多面的な眼差しが同居しているような作品を見てみたい。


公式サイト:http://www.poetic-scape.com

2023/03/09(日)(飯沢耕太郎)

GELATIN SILVER SESSION SPIN-OFF PROJECT 写真への手紙

会期:2023/03/03~2023/03/08

アクシスギャラリー[東京都]

「GELATIN SILVER SESSION」は、広川泰士、平間至、上田義彦、瀧本幹也らによって2006年からスタートした企画展である。デジタル化によって危機的な状況に陥りつつあった銀塩写真のプリント(ゼラチン・シルバー・プリント)の素晴らしさを継承していくという趣旨で、2019年の第10回まで続いた。その後、休止状態にあったのだが、今回は東京工芸大学写真学科との共同企画で、スピン・オフ・プロジェクトが実現することになった。出品者は、井津建郎、勝倉峻太、小林紀晴、瀧本幹也、田中仁、ハービー・山口、広川泰士、それに東京工芸大学の学生、17名が加わっている。展示には写真のほかに、それぞれの銀塩写真に対する思いを綴った「手紙」が添えられていた。

50年前の1970年に撮影した、学生運動のデモなどの写真をあらためてプリントしたハービー・山口のように、作品はやや懐古的な雰囲気のものが多い。そんななかで、富士写真フイルム製品137個のパッケージをモノクロームで撮影した勝倉峻太「137FILMS」の、意欲的な試みが目についた。東京工芸大学の学生たちの写真は、別な意味で面白かった。彼らは、まさにデジタル・ネイティブ世代であり、アナログカメラやフィルムに本格的に触れたのは大学入学後のはずだ。にもかかわらず、その魅力、可能性を強く認識し、かなり集中して作品制作に取り組んでいる。「父が保管していた使用期限を20年以上超えたフィルム」で撮影したという石井裕子の「アンソニー」、「4×5Filmで車を4分割に撮影をして、約7メートルのロールの印画紙にプリント」した町田海の「JAYS-His son」、「空間ごと切り取るフィルム」でヌード写真に挑んだ渡邊結愛の「自然美」など、さらなる展開が期待できそうな作品が並んでいた。一度きりで終わるのではなく、ぜひ今後も続けてほしい企画だ。


公式サイト:http://gss-film.com/en/exhibition/2023

2023/03/08(水)(飯沢耕太郎)

弓指寛治 “饗宴”

会期:2022/11/23~2023/03/21

岡本太郎記念館[東京都]

南青山にある岡本太郎記念館は、太郎のパートナーだった敏子さんが太郎の死後その住処を改装して一般公開し、初代館長を務めた場所。その記念館で、2018年の岡本太郎現代芸術賞展で岡本敏子賞を受賞した弓指が個展を開くことになったとき、敏子の目線で太郎を見返してみることを思いついたのは至極真っ当なアイデアといえるだろう。

日常生活を過ごす敏子の姿を捉えた絵もあるが、ベッドでくつろぐ太郎を足から見上げたり、スキーで先を行く太郎が前方で待つ姿を描いたり、敏子ならではの視点がユニークだ。絵の稚拙さは否めないが(ヘタウマというよりヘタヘタ)、でも相手が岡本太郎だから許せるというか、むしろ稚拙さがほのぼのとした味わいを醸し出しているのも事実。また弓指の絵の合間に、後ろ向きの《太陽の塔》のレプリカや太郎自身の絵のほか、「わたくしは太郎巫女なの」といった敏子の言葉が挟まっているのもいい。なかには「俺が太郎で無くなったら どうしよう」「その時はわたくしが 殺してあげる」という並々ならぬ関係を示唆する言葉もある。

もうひとつの部屋では、《太陽の塔》と同時期にメキシコで制作された超大作壁画《明日の神話》にまつわる作品を展示。完成後30年以上行方不明になっていたこの壁画が2003年に発見され、それを日本に移送するのが敏子の最後の仕事になった。しかしあまりに巨大すぎるのでそのままでは運べず、いくつかに分割することになったが、そのときこぼれ落ちた8千個にも及ぶ絵のカケラを修復家の吉村絵美留氏がすべて保管し、日本で元通り修復したという。その破片を弓指は一つひとつ色違いの付箋紙に描いて壁中に貼り付けたのだ。敏子はこの壁画を日本で見ることなく2005年に急逝。壁には付箋紙に混じって、「敏子の棺の中にはメキシコから持ち帰ったばかりの赤色のカケラを入れた」との言葉も。太郎愛と、それ以上の敏子愛に貫かれた展覧会。


公式サイト:https://taro-okamoto.or.jp/exhibition/弓指寛治-饗-宴/

2023/03/08(水)(村田真)

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山下麻衣+小林直人 ─もし太陽に名前がなかったら─

会期:2023/01/25~2023/03/21

千葉県立美術館[千葉]

子どもたちはいつの間に、画用紙の上部片側にオレンジ色の太陽を描くことを覚えるのだろうか。私自身、かつて同様の疑問を持ったことがある。パリのニュース番組で天気予報の太陽が黄色で表示されたのを見たとき、この国の子どもたちは何色で太陽を描くのか興味をもったのだ。と同時に、一体人はいつからこのような営為を身につけるのだろうという素朴な疑問が湧いた。太陽が名前をもつということは、それが「太陽」であれ「Soleil」や「Sun」であれ、記号として接地し、反復できるイメージとして定着することを意味しているのだろう。《The Sun In The Corner》(2023)は、それを端的に示した作品だ。



《The Sun In The Corner》(2023)展示風景 千葉県立美術館[撮影:木暮伸也]


山下麻衣+小林直人は、人がこの世に生まれ落ち、一つひとつの出来事に出会いながら、それらの複雑さを捨象するための記号を獲得し、制度のなかで生きるまでのプロセスを丁寧に解きほぐす。この観察に根ざしたささやかな行為(=作品)が、いかにラディカルであり、現実を裏返し、変革をもたらす可能性に満ちているかを想像せずにはいられない。山下と小林は、鑑賞者が世界ともう一度出会い直すことを肯定しているのだ。

例えば、映像作品《積み石》(2018)の冒頭では、部屋の一角に高さ30cm、直径15cmほどの丸太が配置されている。そこに小林が現われ、丸太の間に背を向けて横になりうずくまる。次に山下が歩いて行き、安定する場所を探しながら、小林の上に積み重なる。そこにやって来るのが、愛犬のアンである。アンは、いつもとは違う二人の様子に戸惑いながら、石のように静止した二人とやり取りをしようと試みる。最後に、アンは山下の上に飛び乗り、居場所を探して留まるのである。4分38秒の間に、丸太、小林、山下、アンの関係が構築されていくのだ。興味深かったのは、初めは小林、山下、アンの三者を見ていたのだが、映像を繰り返し観察するうちに、無関係に見えていた丸太との関わりを考え始めたことだ。つまり、見る側もまた関係を見出しているのだ。《積み石》は、家族のような原初的な関わりを想起させるだけでなく、社会の原型を示していると言っても過言ではないだろう。



《積み石》(2018)展示風景 千葉県立美術館[撮影:木暮伸也]


一方、《KEEP CALM, ENJOY ART》(2019)、《世界はどうしてこんなに美しいんだ》(2019)、《人( )自然》(2021)は、山下が自転車に乗り、ペダルを漕ぐと、車輪に取り付けられたLEDホイールライトが残像効果によって短い言葉を照らしだす、映像作品のシリーズだ。そのうちの一作、《KEEP CALM, ENJOY ART》は、イギリス政府が第二次世界大戦の直前に、開戦時の混乱に備え、国民の士気を維持するために作成したプロパガンダポスター「KEEP CALM and CARRY ON(落ち着いて、日常を続けよ)」をもとに制作された作品である。このポスターは制作された当初広く知られることはなかったが、2000年に再発見されたのを機に、「CARRY ON」を別の言葉に読み替えるパロディが世界的に流行したという。言葉は記号を生み出し、集団の記憶を形成するが、その呪縛から人間を解放し、さまざまな解釈や行為を可能にすることもある。作品に引用された言葉は、向かい風を受け、自転車を漕ぎ続ける山下の身体的な負荷や風景とあいまって、生を取り戻すのだ。



《KEEP CALM, ENJOY ART》(2019)



左から《Artist’s Notebook》(2014-)、《積み石》(2018)、《NC_045512》(2023)、《KEEP CALM, ENJOY ART》(2019)、《世界はどうしてこんなに美しいんだ》(2019)、《人( )自然》(2021) 展示風景 千葉県立美術館[撮影:木暮伸也]


ここで紹介したのは展覧会の一部に過ぎない。そして、彼らの作品は、組み合わせによって何通りもの読みを誘発する。「出会い」や「関係」などから想起されるように、「もの派」の実践の拡張として捉えたり、環境芸術の観点から解釈するなど、過去の作品との接点により、新たな文脈を見出すこともできそうだ。

公式サイト:http://www2.chiba-muse.or.jp/www/ART/contents/1668403751371/index.html

2023/03/05(日)(伊村靖子)

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