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美術に関するレビュー/プレビュー

あいちトリエンナーレ2016 寺田就子《透明な気配》ほか

会期:2016/08/11~2016/10/23

愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋・豊崎・岡崎市内のまちなか[愛知県]

あいちトリエンナーレ2016、2度目の名古屋市美術館へ。豊田市美術館の個展につながるものだが、前回のあいちトリエンナーレ2013における杉戸洋+青木淳の空間全体を魔術的に変えてしまう展示があまりに印象的だったので(『新建築』の表紙にもなった作品)、ゆったりと空間を使った今回の展示はどうしても、内容が薄く感じてしまう。名古屋エリアでは、結果的に3回訪れた旧明治屋栄ビルが面白い。ここは古い建物を活用した端聡のダイナミックなインスタレーションや寺田就子の細やかな空間介入のほか、山城知佳子とソン・サンヒによる力技の映像が楽しめる。

2016/10/16(日)(五十嵐太郎)

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壷井明 連作祭壇画 無主物 3.11を描く

会期:2016/10/01~2016/11/12

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

無主物とは、文字どおり、主の無い物。福島第一原発事故で飛散した放射性物質の責任を問う裁判で、被告の東京電力が、その汚染除去の責任を免れるために採用した理屈である。いわく「飛散した放射性物質は誰のものでもない無主物である」。このあまりにも一方的な言い草に憤激した壷井は、原発事故をめぐる出来事を主題にした祭壇画を制作し始めた。
その祭壇画とは、3枚のベニヤ板を連結した横長の画面に、仮設住宅で暮らす被災者や白い防護服で全身を固めた原発作業員、そしてさまざまな動物たちを描いたもの(壷井が人間と動物を並列して描写している点はきわめて重要である)。すべて、あの事故の当事者たちだ。特徴的なのは、いずれの図像も黒い線でしっかりと縁取られている点に加えて、随所に言葉が描きこまれている点である。壷井は、被災者たちが語る肉声をそのまま画面に含めたり、新たに描き足した図像についての解説文を絵画とは別に添付したり、とにかく自分が得た知見をなんとかして鑑賞者に伝達しようと努めている。それゆえ鑑賞者は、絵画を「見る」だけではなく「読む」ことを求められるのだ。図像と文字で構成された祭壇画の前で、私たちは茫然と立ち尽くすことを余儀なくされる。そこには、私たちの知らない被災者や原発作業員の生々しい「声」が埋め込まれているからだ。
画面から文字や言葉を徹底的に排除することを求めたモダニズムとは対照的に、壷井はおそらく絵画を純然たるメディアとして考えているのではないか。事実、壷井は自らが描いた祭壇画を脱原発デモの現場などで展示してきた。それは、美術館や画廊では望めない野外展であることにちがいはないが、注目したいのは、そうした露出展示そのものが、ある種のメディアとして機能している点である。それは、美術館や画廊には訪れないが脱原発問題には関心のある人々にとって、壷井の祭壇画を鑑賞する機会になりうるからであり、同時に、壷井にとっても、彼らとの交流によって祭壇画に新たな図像を加筆する契機になりうるからだ。つまり壷井の「祭壇画」を結節点として、じつにさまざまな人々が連結しているのであり、それは祭壇画には直接的に描写されずとも、確かなイメージとして鑑賞者の眼前に立ち現われているのである。
かつて丸木位里・俊が描いた《原爆の図》は全国を巡回することで知られざる被爆のイメージを形成することに大いに貢献した。壷井は、メディアとしての祭壇画を徐々に拡充することで、急速に忘却されつつある被曝のイメージをなんとかして確立しようとあがいている。その途中経過を見守ることは、脱原発という同時代的なリアリティの観点からだけではなく、絵画の未来を模索するうえで、私たちにとって必要不可欠な身ぶりではないか。

2016/10/16(日)(福住廉)

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明治のクール・ジャパン 横浜芝山漆器の世界 ─金子皓彦コレクションを中心に─

会期:2016/07/22~2016/10/23

横浜開港資料館[神奈川県]

安政6年(1859年)の開港以来、横浜港からは漆器、陶器、木製品などさまざまな工芸品が輸出され、来日した外国人がお土産品として購入した。輸出港である横浜には各地から工芸職人が移り住み、これら輸出向け商品の生産を行なった(京都から横浜に移り住んだ陶芸の宮川香山(真葛焼)もそのひとりだ)。芝山漆器(芝山細工)は、江戸時代の後期、上総国武射郡芝山村の芝山専蔵によって考案されたといわれる。平面的な螺鈿細工と異なり、芝山細工は美石、象牙、珊瑚、貝殻などを材料に、人物、花鳥を大胆なレリーフで表現している。当初は江戸向けの商品であったが、開港後に横浜で生産が始まり、その盛期には50軒100を数える職人がいたという。花鳥の他、外国人好みの富士山や人力車の意匠が小箱や宝石箱、横浜写真と呼ばれる着色写真アルバムの表紙に施された。本展に出品されている芝山漆器の多くは、日本輸出工芸研究会会長・金子皓彦氏のコレクション。このほか、昭和52年(1977年)まで横浜で代々漆器を製造していた村田家の資料、現在横浜芝山漆器を製造している宮崎輝生氏による作品、下絵、工程品、工具が展示された。
近年明治の輸出工芸に人々の関心が集まっている。ただし、都心の美術館で見ることができるのは、海外での万国博覧会に出品された優品や、帝室技芸員となった工芸家たちの作品が中心で、地場の職人が手がけ、外国人のお土産になったような工芸品が美術館に並ぶことは稀だ。「超絶技巧」ともてはやされている明治工芸を見知った人には、同時期につくられた芝山細工のような輸出工芸品の意匠はとても奇異に見えると思う。しかしながら、以前金子コレクションについて書いた言葉を繰り返せば、これらの製品に用いられた技術は必ずしも一流ではないかもしれないが、ここに見られる品々は優品として遺されてきたものよりもずっと普遍的な日本の工芸品生産の結果であり、明治以降、否、それよりもはるか以前から、マーケットを志向せずしては存立し得ない工芸の本来の姿を伝える貴重な史料なのだ。[新川徳彦]

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2016/10/16(日)(SYNK)

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尾仲浩二/本山周平「熊本応援写真集展」

会期:2016/10/08~2016/10/09、2016/10/15~2016/10/16

ギャラリー街道[東京都]

尾仲浩二と本山周平は、2011年3月11日の東日本大震災の直後に、熊本県芦北町で開催された「あしきた写真フェスタ」に参加していた。この地域起こしの写真イベントには、たまたま僕もシンポジウムの講師として参加していたので、当時の雰囲気はよく覚えている。暗く、重苦しい雰囲気の東京とは違って、八代海に面した芦北には陽光が溢れ、開放的な気分が漂っていた。2人の写真家はイベントのあとに本山の実家がある八代市にも滞在し、熊本県内の風景を撮影した。
ところが、それから5年後の2016年4月14日と16日に、熊本一帯を震度7の地震が襲い、八代を含めた地域に大きな被害が発生した。当時展覧会のためにベルギーのブリュッセルに滞在していた尾仲は、「居ても立ってもいられずに」本山にメールを送り、それをきっかけに写真集を刊行し、売り上げを被災地に寄贈するというプロジェクトがスタートする。町口覚が造本を担当し、印刷会社のイニュニックの全面協力を得て、9月1日にその写真集『あの春 2011.3』が完成した。
本展はそのお披露目展であり、尾仲のカラー作品13点と本山のモノクローム作品14点(ほかに2001年に福岡県直方で撮影された尾仲の写真10点)が展示されていた。モノクロームとカラーによるそれぞれの表現の微妙な違いも興味深いが、より重要なのは彼らの写真が「撮れてしまったこの穏やかな風景」(本山周平)として成立していることだろう。そこには震災の予感などかけらもないのだが、逆にどんな日常的な眺めでも、失われた風景となってしまう可能性を秘めているということがありありと見えてくる。「写真にできること」、「写真だけにできること」という言葉が写真集の扉に掲げられているが、そのことをあらためて問い直す契機となる写真群ではないだろうか。

2016/10/15(土)(飯沢耕太郎)

田中秀介展 円転の節

会期:2016/10/14~2016/10/23

ギャルリ・サンク[奈良県]

田中秀介は、日常生活で出会った情景や、自身のプライベートにまつわる場所・経験をモチーフにした絵画を描いている。作風は具象だが必ずしも再現的ではなく、主観的な構図や色遣いが特徴だ。2014年頃までの彼の作品は、自身の不安感や焦燥感の現われだろうか、一種シュールな趣が画面を支配していた。それはそれで面白いのだが、このパターンでどこまで引っ張れるのだろうかと勝手な心配をしたものだ。ところが、昨年に京都で行なった個展では作風に変化が見られた。より私小説的というか、淡々と描写する傾向が見受けられたのだ。それでいて主観的な構図や鮮やかな色遣いを残している点に、彼ならではの特徴が感じられる。本展の作品もその延長線上にあったが、彼ならではの個性が自然なかたちで滲み出ており、納得できるものだった。おそらくこの方向性で正解だろう。

2016/10/15(土)(小吹隆文)