artscapeレビュー

蔡國強展:帰去来

2015年10月01日号

会期:2015/07/11~2015/10/18

横浜美術館[神奈川県]

蔡國強の個展。日本国内では7年ぶりだという。世界的なアーティストの個展と聞けば、否が応でも期待値が高まるが、展示の実際は全体的に大味で、大いに不満が残った。
大味というのは、第一に、展示空間に対して作品の点数が少なすぎる点を意味しているが、むろんそれだけではない。より根本的には、出来事の結果としての作品が出来事そのものと照応していないように感じられたからである。
よく知られているように、蔡國強は火薬をメディウムに用いた平面作品を制作しているが、展示された平面作品はどれもこれも等しく凡庸であった。どうやら春画を主題にしているらしいが、春画のエロティシズムやユーモアは微塵も見受けられず、火薬の痕跡によってイメージの線や色面が構成されているということ以上の意味を見出すことは難しい。端的に言えば、火薬の爆発という出来事以外のイメージを呼び起こすことのない、じつに退屈な絵画だったのである。
だが重要なのは、その退屈さが火薬を爆発させて制作されたという事実と決して無関係ではないということだ。会場には同館の館内で実際に火薬を爆発させながら平面作品を制作した記録映像が展示されていたが、一瞬とはいえ強烈な光と音を放つ爆発のシーンには、誰もが刮目したにちがいない。けれども、その爆発を目の当たりにしたうえで、あらためて平面作品を見直してみると、そのイメージの貧しさに愕然とするほかないのである。あるいは、火薬の爆発が呼び起こすイメージの鮮烈さに、その結果としての絵画作品が醸し出すイメージが太刀打ちできないと言ったほうが適切かもしれない。少なくとも火薬絵画のイメージが爆発という出来事に匹敵するほど強力であれば、大味な印象を回避することができたのではないか。
むろん、ここには美術館という制度の限界がある。物としての作品を展示するために設計された美術館は、本質的に出来事としての作品を見せにくいからだ。アートプロジェクトの展覧会がプロセスを記録したドキュメントの展示に終始しがちなように、美術館は本来的に出来事を事後的に追いかけることしかできない。
しかしながら、かりに美術館にそのような本質的な限界があるにしても、であれば美術館そのものが出来事の現場になることはできたのではないか。つまり美術館の館内のささやかな爆発で満足するのではなく、美術館そのものや横浜の港湾地区を華々しく爆発させることは、むろんさまざまな行政的な制約はあるにしても、それこそこの優れた美術家の真骨頂だったはずだ。その可能性を誰もが夢想できるだけに、美術館内での小さな爆発は、よりいっそう大味に感じさせてしまうのである。

2015/08/24(月)(福住廉)

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