artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

メディウムとディメンション:Liminal


会期:2022/09/03~2022/09/27

柿の木荘[東京都]

1960年代の高度成長期に雨後の竹の子のように建てられ、いまは激減している木造モルタル2階建ての賃貸アパート。この展覧会の会場となる神楽坂の柿の木荘も、1966(昭和41)年に建てられた昭和の典型的な木造アパートだが、半世紀のあいだ壊されることなく、2016年にはアーティスト・イン・レジデンスとして再生した。しかし長引くパンデミックには勝てず、新たな用途のために改修されて再々出発することになったという。今回はその間隙を縫って、美術評論家の中尾拓哉氏のキュレーションの下、12組のアーティストがかつて4畳半だった各部屋に作品を展開している。

髙田安規子・政子は、古い引き出しにドアと窓のような穴を開けて整列させ、ビルに見立てたり、数十個のバケツやグラスを小さい順に並べたり、柿の木荘に残されていた廃品を使って遊んでいる。鈴木のぞみは窓ガラスを外して乳剤を塗り、その窓に映る風景を焼き付けた「窓ガラス写真」3点を展示。それぞれ朝、昼、夜の風景だそうだ。津田道子は柿の木荘で撮った映像と、ここで集めた鏡を並置。映像のなかに鏡が映っていたり、映像を鏡と勘違いしたりしそうだが、改めて映像は過去、鏡は現在を映し出すことを思う。このようにアパートに残されたものを使いながら、時間と空間、過去と現在、記憶と記録を往還していくサイトスペシフィックな作品が多い。



高田安規子・政子《Inside out》
上に鈴木のぞみ《Oter Days, Oter Eyes : 柿の木荘101号室東の窓》も。




津田道子《柿の木荘202号室》 映像(左)と鏡(右)


一方で、柿の木荘とは一見無縁な作品もある。たとえば鎌田友介は、韓国に建てられた日本家屋をリサーチし、その映像を流すと同時に家屋の一部も展示する。時代や国を越え、戦争や植民地主義にもつながっていくテーマだ。磯谷博史は数字が左右逆転した(つまり針が左回りの)時計を壁に描く。時計の針が右回りなのは北半球では日時計が右回りだったからで、南半球で文明が発達していれば針も左回りになったかもしれないという仮説に基づく。まさに時間と空間を問題にした刺激的な作品。これらは柿の木荘とは直接の関係はないが、こうした作品が展覧会に幅をもたせ、意義を重層化させている。でもいちばんホメてあげたいのは、民間アパートをアートのために解放したオーナーの度量だ。


公式サイト:https://www.nest-a.tokyo/Liminal

2022/09/16(木)(村田真)

「Windowology: New Architectural Views from Japan 窓学 窓は文明であり、文化である」展

会期:2022/09/18~2023/02/28

ヴィラム・ウィンドウ・コレクション[デンマーク、コペンハーゲン]

ヴィラム・ウィンドウ・コレクションは、北欧を中心にヨーロッパの歴史的な窓を数多く収集しているが、日本を含むアジアの窓はほとんどない。そこで3年前に「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」が東京国立近代美術館でオープンした際にディレクターらが来日し、古材店から障子などを少し購入したらしいが、この分野を強化すべく、筆者が監修した窓研究所の展示「Windowology: New Architectural Views from Japan 窓学 窓は文明であり、文化である」を招待することが企画された。同施設では、こうした外の展示を受け入れる巡回展は初めての試みらしい。

なお、この展覧会はもともと窓学10周年を記念し、東京のスパイラルで開催した「窓学展」が原形であり、ジャパンハウスの巡回枠に採択されたことを受け、海外向けに内容を再編したものだった。もっとも、開催期間がコロナ禍でロサンゼルス、サンパウロ、ロンドンの3会場とも、窓学チームは現地入りができず、オンラインでの設営となった。ロサンゼルスにいたっては、期間中に開館もできなかったため、完全に無観客の展示である(ただし、オンライン上では詳しく鑑賞可能)。したがって、ヴィラム・ウィンドウ・コレクションでの延長戦がなければ、「Windowology」展の現場を海外で目にすることはできなかった。

さて、スパイラルのときからただの学術発表にならないよう、現代アートを組み合わせていたが、巡回展では津田道子に参加を依頼している。会場ごとに異なるインスタレーションを行ない、コペンハーゲンでは展示への導入として、フレームと鏡と映像による迷宮的な空間を出現させた。展示の内容は以下の通り。環境の面からは東工大の塚本研による手仕事の作業場における開口部と小玉祐一郎による近代建築のシミュレーション、表象の視点では東北大の五十嵐研による漫画における窓(『サザエさん』)と物語の窓、そして現代住宅の窓については、ジェレミー・ステラが撮影した写真群を用いている。日本建築の特徴を示すものとしては、建築家の言葉を壁に記したほか、早稲田大の中谷研による掬月亭の映像を流し(可動の開口部によって、空間の表情が劇的に変化)、リアルサイズに拡大した起こし絵図によって再現され、内部に入ることもできる別名「十三窓席」の擁翠亭を展示のハイライトとした。ヴィラム・ウィンドウ・コレクションがモノとしての窓に焦点をあてるのに対し、「Windowology」展は窓がどのように人々のふるまいに影響を与えたか、またメディアにおいてどのように表象されたか、といったアプローチを導入したことに違いが認められるかもしれない。



津田道子の展示




前川國男自邸、聴竹居などの環境シミュレーション




漫画に描かれた窓、手仕事の環境における開口




ジェレミー・ステラが撮影した現代日本の住居




建築家の言葉、物語の窓




茶室の1/1インスタレーションと起こし絵図




茶室の内部


Windowology: New Architectural Views from Japan

会期:2022年9月18日(日)~2023年2月28日(火)
会場:ヴィラム・ウィンドウ・コレクション(Maskinvej 4, 2860 Søborg, Denmark)

2022/09/15(木)(五十嵐太郎)

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合田千夏「Now or Never」

会期:2022/08/31~2022/09/21

Kanzan Gallery[東京都]

合田千夏は10代から20代半ばまで、ラップを中心とした音楽活動にのめり込んでいたという。それを一時休止していた時期に、祖父から譲り受けたカメラで写真を撮り始める。以来「24時間いつでも、その時に必要な写真を」撮り続けてきた。今回のKanzan Galleryでの個展では、そのなかから「FEAR EATS THE SOUL」「“赤裸々”」「Blue Hawaii」の3シリーズ、それに新作の「Portrait Zero」を展示していた。

何よりも、自らの生に寄り添いつつ、歌うように、息を継ぐように写真を紡ぎ出していく姿勢に共感を覚える。写真を「精神的に高いところにあるものを取るための踏み台」として使っていこうという希求が、気持ちのよい波動として伝わってきた。音楽というベースも、画像を組み合わせてリズムや色彩のハーモニーを表現していくときにうまく働いている。とはいえ、会場のインスタレーションや、2019年に私家版で刊行した写真集『FEAR EATS THE SOUL』などを見ると、もう一段階、写真家としての脱皮が必要な時期に来ているのではないかと感じる。直感に頼るだけでなく、写真の選択、配置により論理的な思考と実践が求められているのではないだろうか。「もし写真を写し続けた期間が人生の全てだったとして、今私が亡くなるとしたらこんな走馬灯を見るのではないか」(「魂の在り処」『FEAR EATS THE SOUL』所収)という切実感をキープしつつも、より説得力のある写真に結びつけていく、新たな展開を期待したいものだ。

2022/09/14(水)(飯沢耕太郎)

山田谷直行「Kona Chatta Yoo」

会期:2022/09/06~2022/09/18

Roonee 247 Fine Arts[東京都]

「Kona Chatta Yoo(こーなっちゃったよー)」という写真展のタイトルは、なかなか実感がこもっている。試行錯誤を繰り返すうちに、自分でも思っても見なかったような方向に作品が動いていく。戸惑いながらも、ワクワク感が高まってくる感じが、タイトルからよく伝わってきた。

とはいえ、今回、山田谷直行が展示した作品が「写真」という範疇におさまるのかといえば、ややむずかしいところもありそうだ。山田谷はプリントの用紙に徹底してこだわる。出ヶ原和紙、因州和紙、阿波和紙、ついには材料を購入して自作の和紙まで作ってしまった。さまざまな手法、技法も試みている。硝酸銀プリント、サイアノタイプなどの古典的な銀塩技法だけでなく、インクジェットプリントも使用し、それに蜜蝋、墨、紙粘土なども加えて、なんとも形容しがたい映像+物質の混合体のような作品を制作する。ほとんど抽象画のような作品も多いが、写真的なリアルな描写がだいぶ残っているものもある。まさに「Kona Chatta Yoo」としかいいようのない作品群だ。

ひとつのスタイル、技法に集約させるという選択肢もあったと思うが、山田谷はあえてバラバラに引き裂かれたような作品を会場いっぱいにちりばめていた。そのことで、観客もまた、山田谷とともに生成しつつある作品制作の現場に立ち合っているように感じるだろう。紙という支持体の可能性をとめどなく広げて、むしろ紙の質感を元にして写真の方向性を決めていこうとしているようにも見える。作品一点一点のサイズはそれほど大きくないので、それらをつなぎ合わせて、巨大な作品に仕上げるのも面白いかもしれない。

2022/09/14(水)(飯沢耕太郎)

現代山形考~藻が湖伝説~(みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2022)

会期:2022/09/03~2022/09/25

文翔館議場ホール(※)[山形県]

※ほか未見の会場:長門屋ひなた蔵・塗蔵、BOTA Theater、山形美術館、山形県立図書館(遊学館内)

みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」は2014年から始まり今年で5回目だ。わたしは今回が初めての観覧だったのだが、今年ある七つのプロジェクトのうちのひとつ、企画展「現代山形考~藻が湖伝説~」の「文翔館議場ホール」会場だけを見ることができた。本展は山形盆地が藻が湖に沈んでいたという伝説を起点に、山形の郷土史を再編纂しようとするいくつもの試みを束ねた展覧会であり、2020年にも展覧会が開催されている

そこで2020年の展覧会記録を遡ってみたのだが、今回の出展作と章立ては文言を含めほとんどが重複していた。そして、それらは着実にすべてアップデートされていたのである。わかりやすくは、浅野友理子の《薬草木版画》が2020年には9種であったのが今回は42点を超え、青野文昭が2020年に出展した《「関山トンネル 破棄されたドアの復元から~」のための構想図-1 2020》(2020)は今回完成していたというように。他方で、2020年に続き今回も出展された番場三雄による《文翔館》は「イギリスルネサンス様式を基調とした文翔館」を正面から描いた平面作品であるのだが、今回は東北大学五十嵐太郎研究室によって、その建築史的には有名無実とも言えるラベルに成り下がっている「ルネサンス」の内実を言語化するというプロジェクト「文翔館の時間と空間をひもとく」と並置されることにより、作品の細部を見る眼がつくり直されたかのようだった。

今回、一部の会場しか観覧できなかったが、また今後にも「現代山形考~藻が湖伝説~」が開催され、拡充されるのであれば、わたしは一時の鑑賞者に過ぎないながらも、この企図の広がりを追うことが許されたかのようで、勝手なよろこびを感じた。

なお、展覧会は無料で観覧可能でした。


公式サイト:https://biennale.tuad.ac.jp/project/yamagatako

2022/09/11(日)(きりとりめでる)