artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
展覧会 岡本太郎
会期:2022/10/18~2022/12/28
東京都美術館[東京都]
「岡本太郎展」ではなく、「展覧会 岡本太郎」である。この倒置法、どこかで見かけたことがあるなと思ったら、「博物館 網走監獄」だった。そんじょそこらの「岡本太郎展」とは違って、箔が感じられる。実際、これほど大規模な展覧会は見たことなかったし、存在は知っていたけど初めて見る作品や、存在すら知らなかった作品も出ていてとてもおもしろかった。
特によかったのが最初のフロア。絵画を中心に、戦後から晩年まで約半世紀に及ぶ主要作品がランダムに並べられているのだ。これらを見れば、あらためて岡本太郎の強烈な個性が痛感できると同時に、その個性がほとんどパターン化していることにも気づくだろう。とりわけ1960年以降はまるで金太郎飴のように、どこを切っても似たり寄ったりのワンパターン。確かに彼は「だれが見ても岡本太郎」というオリジナリティを確立したけれど、そのオリジナリティに縛られた彼自身はマンネリズムに陥っていたのではないか。
1階からは、第1章「岡本太郎誕生—パリ時代」から第6章「黒い眼の深淵—つき抜けた孤独」まで、いわば各論となる。このなかで、ある程度岡本太郎を知っている者にとって興味深いのは、近年発見されたパリ時代初期の3点の絵画、軍役時代の上官の肖像画や兵士のスケッチ、怪獣映画のキャラクターデザイン、《明日の神話》(1968)および《太陽の塔》(1970)の構想が固まるまでのスケッチ、初期絵画に加筆した作品、そして最後の作品といわれる《雷人》(1995、未完)といった、あまり目にする機会のない作品だ。
とりわけ驚いたのは、1980年代に大幅に加筆された作品群の存在。これは、展覧会の出品記録がありながら所在が確認できない初期作品が何点もあったため、岡本太郎記念館が調査した結果、晩年になって戦後まもない時期の絵画に大幅に加筆していたことが判明したものだ。元の作品写真と比べると、構図や色彩はほぼオリジナルのまま残したものから、見る影もないほど描き変えられたものまでさまざまある。別に自作に加筆したらいけないという決まりはないし、これまでにも多くの画家が加筆してきたが、大幅に手を加えたらその年号を入れなければ制作年の詐称になりかねない。
「挑む」を信条とし、過去の作品に頓着しなかったはずの太郎が、晩年になって初期作品に手を入れたのはどういう心境だろう。誤って旧作に挑んでしまったのか、それともやっぱりヘタであってはいけないと宗旨替えしたのか。作品を売らず手元に残しておいたことも、加筆を促す一因になったはず。いずれにせよ太郎らしからぬ行為だけに、太郎ならやりかねないとも思えるのだ。
公式サイト:https://taro2022.jp
2022/10/17(月)(内覧会)(村田真)
創立150年記念 国宝 東京国立博物館のすべて
会期:2022/10/18~2022/12/11
東京国立博物館[東京都]
東博の創立150年を記念して、所蔵する国宝89点すべてを公開する特別展。会場に入るといきなり長谷川等伯の《松林図屛風》が現われる。東博だけに等伯から始めたか。国宝というからなんとなく絢爛豪華なお宝をイメージしていたのに、いきなり余白だらけのモノクロ絵画が現われたもんだから、どこが国宝やねんとツッコミたくなる。同じ部屋には久隅守景の《納涼図屛風》、渡辺崋山の《鷹見泉石像》といった教科書でおなじみの超有名作品もあるが、同時代のバロック美術やロマン主義絵画に比べればどれも地味で貧乏臭く感じられて申しわけない。
展示はその後も書跡、法隆寺献納宝物、漆工、考古、刀剣と国宝が延々と続く(ただし展示替えがあるため、この日見られた国宝は61点)。国宝オタクなら狂喜するだろうけど、ぼくが見たかったのは国宝とは関係のない、第2部の「東京国立博物館の150年」の展示。ここでは、博覧会に端を発する「博物館の誕生」、宮内省が管轄した帝室博物館(帝博)時代の「皇室と博物館」、戦後に東京国立博物館として再出発した「新たな博物館へ」の3章で、東博の150年を振り返っている。
展示品のなかでも目を引くのが、キリンの剥製だ(現在は国立科学博物館所蔵)。東博というと日本の古美術専門館のイメージが強いが、大正時代までは動物の剥製をはじめ植物の標本や化石、鉱物などの自然の産物も「天産資料」としてコレクションしていた。これは東博の前身である湯島聖堂での博覧会から受け継がれたもので、おそらくロンドンの大英博物館に倣ったのだろう。大英博物館は1881年に自然史博物館が分離するまで自然史コレクションを有しており、幕末・維新期の遣欧使節団はこれを見て、わが国でもキリンの剥製を飾ったミュージアムがほしいと願ったに違いない。しかし関東大震災で本館が建て替えられるのを機に、天産資料は東京博物館(国立科学博物館)に移管された。
ほかにも、湯島聖堂の博覧会や上野の内国勧業博覧会を描いた錦絵や写真、三代安本亀八による生人形、関東大震災の被害状況と復興本館の建設資料、皇紀2600年記念の「正倉院御物特別展」に並ぶ長蛇の列を描いた戯画、松方幸次郎がパリで一括購入し帝博に渡った浮世絵コレクションなど、珍しい資料を一気にご開帳。博覧会時代の玉石混交の見世物から組織改変、コレクションの取捨選択、施設の増改築を経て、国宝89点に至るまで縦覧できて興味は尽きない。
公式サイト: https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2529
2022/10/17(月)(内覧会)(村田真)
展覧会 岡本太郎
会期:2022/10/18~2022/12/28
東京都美術館[東京都]
戦後の近代日本においてもっとも有名で、社会に強い影響を与えた芸術家は岡本太郎をさしおいてほかにはいないだろう。岡本の魅力は、何と言ってもその強さにあると思う。例えば名著『今日の芸術』でこう宣言している。「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」。岡本が遺した多くの作品が、まさにこの宣言どおりだ。きれいでもなければ、心地良くもない。しかし強烈なインパクトを観る者に与え、心を揺さぶる。それこそが本当の芸術だという。そんな岡本の過去最大規模の回顧展が開催中である。
本展は地下1階から始まり、地上1階、2階へと続くのだが、まず地下1階では作品一つひとつにぐっと歩み寄って対峙してほしいという意図から、解説は控えめに、空間全体の照明を落とし、作品だけにスポットライトを当てた演出となっていた。正直、川崎市岡本太郎美術館で観た覚えのある作品も多かったが、この演出はとても良い。岡本の世界観へ入り込む準備ができた。そして1階から2階にかけては岡本の足跡と作品を時系列で辿る構成となっていた。何より貴重なのは、パリで発掘され、若かりし頃の岡本の作品だろうと推定された油彩画3点が展示されていたことである。いずれもどこか躊躇いがちな抽象画に見えるのは、当時、最先端の前衛芸術運動に関わりながら自らもがいた証なのか。
岡本の旺盛で多岐にわたる創作活動に対して論評はさまざまあると思うが、私がもっとも注目するのは、彼が日本文化のルーツとして縄文土器を見出し、さらに東北や沖縄をはじめ、日本各地へ民族学的視点でフィールドワークを行なったことである。つまり日本の辺境には、大陸から渡来した弥生人ではなく、縄文人のDNAがいまだ残っており、その独自の文化も息づいているはずだという見地だ。見方によっては岡本の作品からほとばしるエネルギーは、ある種、縄文文化的でもある。岡本の作品に感じる強さは、この民族学的視点で自らのアイデンティティをしっかり固めたことにあるのだろう。1970年の大阪万博のシンボルだった《太陽の塔》がそれをもっとも象徴しているように思う。
公式サイト:https://taro2022.jp
2022/10/17(月)(杉江あこ)
吉村朗の眼
会期:2022/10/11~2022/11/19
Gallery Forest[神奈川県]
東京綜合写真専門学校4階にあるGallery Forestでは、定期的に企画展が開催されている。2021年の「西野壮平×GOTO AKI」展に続いて、今回は同校研究科を1984年に卒業後、ユニークな活動を続けた吉村朗にスポットを当てた展覧会が開催された。
吉村は1980年台後半にアメリカの「ニュー・カラー」の動向を取り入れた作品や、路上のスナップ写真で注目されるようになるが、1995年に発表した「分水嶺」をひとつの契機として、日本だけでなく韓国、中国、東アジア各地を舞台にして、日本のアジア侵略の歴史と吉村家の家族史とを絡み合わせたドキュメンタリー作品を制作するようになる。川崎市市民ミュージアムの連続企画展「現代写真の母型1999」展に出品するなど、意欲的な活動を展開していたが、2012年に故郷の北九州市門司区で亡くなった。没後に『Akira Yoshimura Works─吉村朗写真集』(大隅書店、2014)が編纂・刊行されるなど、あらためて彼の仕事の再評価が進みつつある。
今回の展示では「分水嶺」以外にも、「闇の呼ぶ声」(1996)、「新物語」(2000)、「ジェノグラム」(2001)など、生前に発表された代表作に加えて、未発表作品、写真集や展覧会カタログなどの資料、使用していたカメラなども出品されていた。特に注目すべきなのは、これまで破棄されていたと思われていたカラー写真による路上スナップの連作「THE ROUTE 釜山、1993」のプリントが発見され、まとめて展示されたということだ。それらを見ると、日本の近代史を遡行していく吉村の試行のベースになる部分が、この時期にくっきりと形をとっていたことがわかる。また、これも最近になって発見された「ANTESPECTIVE/抗議する人」と題する2008年のシリーズには、下関で開催された「リトル釜山フェスタ」に参加する安倍晋三元首相の姿が写っており、吉村の関心の幅の広さがうかがえた。
吉村朗の没後10年にあたる年に、本展が開催されたことはとても意義深い。とはいえ、今回の展示で、彼の仕事の全体像がすべて明るみに出たというわけではない。この写真家には、まだ謎めいたところがたくさん残っており、今後も粘り強い解明の営みが必要になってくるだろう。
公式サイト:https://gallery.tcp.ac.jp/eyes-of-akira-yoshimura/
2022/10/17(月)(飯沢耕太郎)
写真新世紀 30年の軌跡展 写真ができること、写真でできたこと
会期:2022/10/16~2022/11/13
東京都写真美術館地下展示室[東京都]
立ち上げの1991年から2009年までレギュラー審査員を務めたので、筆者にとって「写真新世紀」(キヤノン主催)は愛着のある公募展だ。残念なことに、2021年に30年にわたる歴史を閉じたのだが、木村伊兵衛写真賞などの受賞者を多数輩出したことも含めて、意義深い企画だったと思う。本展は、その軌跡を振り返り、歴代のグランプリ、優秀賞受賞者から10名の作品をピックアップして展示した作品展である。
出品者は青山裕企(2007年度優秀賞)、新垣尚香(2005年度優秀賞)、大森克巳(1994年度優秀賞)、奥山由之(2011年度優秀賞)、澤田知子(2000年度優秀賞)、高島空太(2016年度優秀賞)、中村ハルコ(2000年度グランプリ)、蜷川実花(1996年度優秀賞)、長谷波ロビン(2012年度優秀賞)、浜中悠樹(2012年度優秀賞)である。展示作品を見ると、「写真新世紀」がそれぞれの時代の写真表現の動向をとてもよく反映していたことがわかるし、大森克巳、澤田知子など、受賞作がそのまま展示されていて、そのやや劣化したプリントのたたずまいを見ているだけで感慨深かった。
だが、特に2010年代以降の受賞者のなかに、なぜ選ばれたのかよくわからない作家が含まれていることには違和感を覚えた。どうやら、一般投票で出品者を選ぶという選考プロセスをとったことで、いわゆる組織票が動いた結果のようだ。せっかくの30周年記念展が偏ったものになったことは残念だった。また、2021年度のグランプリ受賞者、賀来庭辰の新作「夜」も同会場で展示されていたのだが、純粋な映像作品である同作と、これまでの「写真新世紀の」歩みとが、どうしてもうまく接続しない。別な見方をすれば、賀来のような作家がグランプリに選ばれたこと自体が、「写真新世紀」をこれ以上継続するのが難しくなってきた時代のあり方を指し示しているともいえそうだ。
なお同時期に、本展の一環として、東京・品川のキヤノンギャラリーSでは、歴代のグランプリ、準グランプリ受賞者の作品を一堂に会した展覧会(2022年10月13日~11月22日)も開催されている。
公式サイト: https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4309.html
2022/10/16(日)(飯沢耕太郎)