artscapeレビュー
春を待ちながら──やがて色づく風景をもとめて
2015年05月15日号
会期:2015/02/28~2015/04/05
十和田市現代美術館[青森県]
阿部幸子、高田安規子・政子、野村和弘によるグループ展。共通しているのは、いずれもささやかでひそやかな手わざによる作品という点である。
野村が発表したのは、おびただしい数のボタンを集積したインスタレーションなど。来場者が持ち寄ったボタンを投入させる観客参加型の作品である。高田姉妹の作品は、透明な吸盤に緻密な模様を彫り込んだり、軽石から円形競技場を彫り出したり、いずれも非常に繊細で緊張感の漂う制作過程を連想させる。ボタンや吸盤などの日用品を素材にしながら、ささやかでひそやかな感性を育んでいる点は、昨今の現代美術のひとつの傾向と言えるだろう。
とりわけ印象深かったのが、阿部幸子。会期中の毎日、会場内でパフォーマンス作品を披露した。白い雲が立ち込めたかのような幻想的な空間の中心で、阿部自身がはさみで紙を切り続けている。行為そのものは非常にシンプルだが、その白い雲が彼女が切り出した紙片の塊であることに気付かされると、その行為にかけた並々ならぬ執念と反復性に驚かされる。このような持続的な行為の反復は、数ミリ単位の細長い円形模様を長大なロール紙の上に繰り返し描きつけた彼女のドローイング作品にも通底していた。
はさみは紙の四辺に沿ってリズミカルに進む。その音はマイクで拾われ、会場内に大きく反響している。脳裏を刻まれているように錯覚する者もいれば、封印したはずの遠い記憶が呼び起こされる者もいる。視覚的には単純な情報しか入ってこないにもかかわらず、脳内では実に多様で豊かな感覚が生まれるのだ。
しかし思えば、このような変換による感覚の増幅こそ、美術の可能性の中心ではなかったか。本展で展示されていた作品は、華々しいスペクタクルを見せつけるようなものでも、コンセプトという知的ゲームに溺れるようものでもなく、ごくごく控えめで、どちらかと言えば地味な部類に入るが、いずれも美術の王道を行く作品であると言えるだろう。
2015/04/02(木)(福住廉)