artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

生誕100年 小山田二郎

会期:2014/11/08~2015/02/22

府中市美術館[東京都]

小山田二郎(1914-1991)の回顧展。160点あまりの油彩画と水彩画が、時系列に沿って展示された。
小山田をめぐる言説といえば、下唇が腫れ上がった顔面の異形や家族を置いて失踪した波乱に満ちた私生活などに焦点を当てられがちだったが、今回の展観で再確認させられたのは、そうした副次的な情報に手を伸ばすことより、小山田の絵画の力強さをこそ、まず語らなければならないという自明のことだった。
とりわけ50年代に描かれた作品は圧倒的である。生涯のテーマともいえる《鳥女》をはじめ、《ピエタ》《愛》《はりつけ》など、いずれもシンプルな構図と乏しい色彩で描かれているにもかかわらず、見る者の心を鷲掴みにしてやまない。それは、描かれた怪物的なモチーフがおどろおどろしいからだけではない。そのような迫力ある異形が、ある種の貧しさのなかから生み出されていることが、十分に理解できるからだ。
その貧しさとは、むろん小山田の貧窮した暮らしぶりを意味するわけではなく、絵画のうえでの貧しさを指している。画面の表面に視線を走らせると、思いのほか薄塗りであることに驚かされる。要所要所で厚塗りのポイントがないわけではないとはいえ、全体的には非常に薄いのだ。絵画全体が重厚感を醸し出しているだけに、この薄塗りはひときわ強い印象を残す。
しかも、小山田の絵画に特徴的なのが、表面に加えられた無数のスクラッチである。その傷跡は、背景にある場合もあるし、図像の輪郭線をかき消す場合もある。いずれにせよ、そうすることで画面全体の激情性を著しく高めていることは明らかだ。小山田は、量的には乏しい絵の具でも、それをあえて削り取ることによって、逆に質的な豊かさを絵画の中に現出させたのだ。
60年代以後、小山田は色彩をふんだんに取り入れた作品に展開していくが、瑞々しい色彩が目を奪うことは事実だとしても、形態の力強さや緊張感はむしろ後退してしまったように見える。
研ぎ澄まされた形態は色彩に頼ることができなかったという貧しい条件と裏腹だったのであり、だからこそ色彩の多用は形態の弱体化をもたらしてしまったのである。
必要以上に絵の具を盛りつけがちな昨今の若いアーティストは、小山田から学ぶことが少なくないのではないか。

2015/01/27(火)(福住廉)

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京都・島原で少年の冒険心

会期:2015/01/20~2015/02/06

BAMI gallery/COMBINE[京都府]

京都の繁華街である四条河原町の近所(寺町通高辻上ル)で活動していたBAMI gallery/COMBINEが、かつて花街だった島原に移転。築70年以上という古い木造の長屋建築をリフォームした空間で、新たな活動を始めた。本展は活動再開を記念した顔見世的グループ展であり、取り扱い作家8名の作品をずらりと並べている。展示に特段の特徴はないが、本展の場合、見どころは画廊空間そのものである。工事は専門業者でなければ不可能な部分以外は画廊主と作家たちで行なっており、DIY的な手作り感が濃厚。その素朴さがかえって好ましい。2階には作家用の制作スペースも設けられており、画廊と作家がこれまで以上に深い関係性を持って互いの仕事を遂行していこうとする決意が感じられた。画廊と作家たちの今後の活躍が大いに楽しみだ。

2015/01/27(火)(小吹隆文)

藪の中

会期:2015/01/23~2015/02/11

ギャルリ・オーブ[京都府]

まずは、展示空間の斜めに置かれた彦坂敏昭氏のモニターを目の前に、奥を見た展示風景、作品の配置がとても印象的で、だだっ広くのっぺりとした印象を与えがちなギャルリ・オーブに切り込んでいて、そのバランスにうっとり。壁ばかりの作品だけに、立体の配置が良かった。
ある出来事をめぐって目撃者と当事者の証言が食い違うという芥川龍之介の『藪の中』から着想を得たというこの作品展。荒木悠作品は映像故、ほかとは位置的に離れているが、そのほかの作家の作品は、グラデーションのように関連が見えるようで面白い。この場合の「ある出来事」としての共通のテーマは、出品作家だけが知っていて、関連イベントによって明らかにされるとあるが、それには参加できず。ウェブ上などで広くアーカイブされることを期待して。

2015/01/27(火)(松永大地)

表現の不自由展──消されたものたち

会期:2015/01/18~2015/02/01

ギャラリー古藤[東京都]

最近、フランスの風刺新聞「シャルリー・エブド」襲撃事件に象徴されるように、表現の自由が問われる事件が相次いでいる。日本でも昨年、ろくでなし子や鷹野隆大の「作品」が「ワイセツ」の疑いで問題になった。この「表現の不自由展」は3年前、新宿ニコンサロンで予定されていた元慰安婦を題材にした安世鴻の写真展が中止を通告される事件があったが、その抗議運動に端を発するものだという。そのせいか、紹介される作品は安の写真をはじめ、駐韓日本大使館前に設置されたことで知られるキム・ソギョン&キム・ウンソンの慰安婦像、昭和天皇の肖像を使った山下菊二のコラージュや大浦信行の版画シリーズなど、慰安婦問題や天皇という禁忌に触れたために、つまり政治的な理由で問題化した作品が多い。ワイセツの場合はよくも悪くも見ればわかるが、ここに出ている作品たちはいったいなにが問題なのか、なぜこれを見せたらいけないのか、理解しにくい。むしろ、この程度のもの(といったら失礼だが)を規制することで問題が表面化し、それがマスコミに取り上げられれば世間に広まり、作者の宣伝に一役買うことになるだろう。検閲がなければみんな見過ごしていたのに、検閲されたことで逆に広く知られるようになることだってあるのだ。

2015/01/26(月)(村田真)

これからの、未来の途中

会期:2015/01/13~2015/02/28

京都工芸繊維大学 美術工芸資料館[京都府]

最初に現れる吉田奈々の、織物で携行品を作った作品は、ネガティブなテーマも「糸を紡ぎ、織る」ことで明るいものになるという発想が心に残った。「織る」ことは反復作業と考えさらに、崇高さまで見せてくれる転換は鮮やか。そのほかに、高野友実の銀塩写真で折り鶴を折った作品や、来田広大の京都のモノクロームドローイングを堪能。
なお、そのほかの出品作家は荒井理行、門田訓和、嶋春香、前谷開、谷穹、牧山智恵、石井聖己、本田亨一。2013年から続く、同大学による若手作家育成のプログラムで、公募審査からの今年のラインアップも魅力的。

2015/01/26(月)(松永大地)