artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
梅原育子展 SEIBUTSU
会期:2015/01/20~2015/02/01
ギャラリーマロニエ[京都府]
梅原育子の作品といえば、有機的なフォルムと、野焼き特有の焼けムラや煤け具合が特徴の陶オブジェだ。ところが本展では、《SEIBUTSU》と題した器型の新シリーズを発表。器としての実用性は低そうだが、形態は美しく、作品がずらりと並ぶさまはそれこそ静物画のようだ。今後彼女が実用器の制作に乗り出すか否かは不明だが、筆者自身はオブジェと器を並行して制作することに賛成である。芸術と工芸のいい所取りができるのは陶芸の特権なのだから。
2015/01/24(土)(小吹隆文)
高橋治希展 ─呼吸するように─
会期:2015/01/15~2015/01/30
galerie 16[京都府]
ツル科の植物を模した造形物が、画廊空間いっぱいに展開されていた。高さは人間の膝上から腰ぐらいであろうか。ツルは海面のように波打ち、琳派の水流表現にも通じるところがある。花の部分には絵が描かれており、それを見た時、ようやくこの作品が磁器だと気付いた。筆者は2010年の「瀬戸内国際芸術祭」で彼の作品を見た経験があるが、その時は日本間での展示だったため、ホワイトキューブで見る今回とは印象がまるで違う。それにしてもこの細長いツルの部分はどのように作っているのか。高橋は金沢在住で、作品は九谷焼ということだが、本当に大した技術である。
2015/01/24(土)(小吹隆文)
渡辺兼人写真展「半島/孤島/水無月の雫」
会期:2015/01/16~2015/02/14
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
ツァイト・フォト・サロンは2014年9月に東京・日本橋から京橋に移転してリニューアル・オープンしたのだが、その第1回目と2回目の展示は、それぞれ写真作家と美術作家のグループ展だった。個展のスタートが誰なのかということに興味があったのだが、展示を見て、それが渡辺兼人だったことに納得した。渡辺は1982年以来、ツァイト・フォト・サロンで8回にわたって個展を開催しているという。ただし、最後の個展である2004年2月~3月の「陰は溶解する蜜蝋の」から11年ほど間を置いているので、ひさびさの展示ということになる。その間に写真を巡る状況は大きく変化したが、そんな中で彼の作品の見え方も違ってきているように思えた。
渡辺は基本的に、純粋に「写真そのもの」を志向する作家といえるだろう。その「写真至上主義」というべき作風が、デジタル全盛の現時点で逆に燻し銀の輝きを発しているように見えるのだ。今回の出品作は「半島」(16点、1997年)、「孤島」(6点、1999年)、「水無月の雫」(9点、1995年)の3シリーズ。それぞれ、樹木や草(「半島」)、建物(「孤島」)、海と空(「水無月の雫」)を写しているのだが、渡辺が被写体に強い関心を持っているわけではなさそうだ。むしろ、6
x 6、6 x 7、6 x 9のフォーマットの画面(印画紙は四切あるいは大全紙)に、モノクロームのフォルム、明暗、質感を、どのようにコントロールしておさめていくのかに全精力が傾けられている。そして、それは視覚的な画像情報としてほぼ完璧なレベルにまで達しており、多少なりとも写真作品を見続けてきた者なら、誰もが感嘆の声を上げてしまうだろう。
渡辺は長く東京綜合写真学校で講師を勤めているのだが、同校の学生には彼の影響を強く受けて「写真至上主義」の作品作りに向かう者もかなりいる。だがそれは諸刃の剣で、生半可な技術力ではその高みに追いつくのがむずかしいだけでなく、マンネリズムの袋小路に陥ってしまいがちだ。実は渡辺自身は、そのような隘路に入り込むのを、巧みに回避する術を心得ているのではないかと思う。たとえば、とても的確な、だが時には過度に文学的に思えるタイトルの付け方も、その一つだろう。彼が今後、作風を変えていくとはとても思えないが、新作をぜひ見てみたい。極上の眼の歓びを味わわせてくれるはずだ。
2015/01/24(土)(飯沢耕太郎)
菅木志雄──置かれた潜在性
会期:2015/01/24~2015/03/22
東京都現代美術館[東京都]
これはスゴイ。なにがスゴイかって、40年以上まったく仕事にブレがないこと。この40年間の美術の動きを乱暴に振り返ってみれば、70年代は画廊を回ると、菅さんをはじめ石や木を並べたような「もの派」系の作品が美術界を占めていたが、80年代に入ると絵画が復活し、菅さんは徐々に隅のほうに押しやられていった。でもほかのもの派の連中が絵画や彫刻や版画に転じても、菅さんだけは動じることなくもの派ど真ん中の作品を発表し続けた。その間、本人は自分の作品が時代遅れだとか不安にかられたことはないのだろうか。と、ふと思ったりもする。出品は新旧交え、大型インスタレーションが約10点。旧作はオリジナルが現存しないので再制作したものだが、美術館の空間に合わせて新たに制作したのでサイズもプロポーションも異なり、その意味では旧作とも新作ともいいがたい。そもそも菅さんの場合、何度も繰り返すけど40年以上ブレがないので、旧作も新作も再制作もほとんど変わりないんじゃないかという気がしてくる。それもスゴイ。
2015/01/23(金)(村田真)
ガブリエル・オロスコ展──内なる複数のサイクル
会期:2015/01/24~2015/05/10
東京都現代美術館[東京都]
つまんなかったなあ。開館以来20年、都現美で見た展覧会のなかでいちばんつまんなかった。たとえば《ヌードル・フォール》と題する作品は、中身を食べ終わった空っぽのカップ麺の容器を壁に展示したもの。フタが開いて麺や汁が流れ落ちたのか? よく見るとフタに印刷されたうどんが滝のように見えなくもないけど、いまさらデュシャンじゃあるまいし。こんな作品が、約70平方メートルはありそうな広大な壁に1点だけ。こういうのを「蛮勇」というのだろう。
2015/01/23(金)(村田真)