artscapeレビュー
バスで行くアート・ツアー「五十嵐太郎さんとめぐる豊田の建築」
2015年01月15日号
会期:2014/12/07
豊田市美術館が企画した建築バスツアーのガイド役をつとめた。《逢妻交流館》(妹島和世/妹島和世建築設計事務所、2010)にタクシー代程度の値段で、ランチ込みの参加費だったため、お得感もあり、40名の枠に倍近い応募者があったらしい。考えてみると、豊田市は地方都市ながら、妹島和世、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生という世界的な建築家(プリツカー賞受賞者2名含む)の空間を一日で体験できる。まず、《豊田大橋》(黒川紀章 / 黒川紀章建築都市設計事務所、1999)と《豊田スタジアム》(黒川紀章 / 黒川紀章建築都市設計事務所、2001)を一連の景観として、同じ建築家が設計したのは希有な事例だろう。敷地に余裕がなく、急傾斜で壁のように立ち上がる観客席が印象的である。またスリットから外部が見えるのも興味深い。黒川らしく、外部やバックヤードは徹底して合理化する一方、吊り屋根や可動部に華を添えるメリハリのあるデザインだ。また貴賓席はポストモダンの細部も散りばめ、黒川印の装飾を使う。
続いて、《鞍ヶ池記念館》(槇文彦/槇総合計画事務所、1974)へ。一般に入場できる展示エリアは見学したことがあったが、今回は特別にゲストハウスのエリアに足を踏み入れることが許可され、貴重な体験をした。展示室に比べて、圧倒的に濃密なデザインである。壁、床、天井における素材の多様性、細かい床や天井のレベル操作、そして様々な美術作品が空間を彩る。三角形という建物の輪郭が生む斜めの構成ゆえに、部屋を出入りするごとに位置感覚がリセットされ、それぞれの場の個別性が強化されていた。池に対する風景の演出も巧みである。『新建築』では、磯崎新の群馬県立近代美術館と同じ号に掲載されている40年前の作品だが、ほとんど改造もされず、大切に使われているし、古びれない槇の建築に感心させられた。当時の彼はまだ40代だと思うと、大人の建築なのだが、現在は若手にこうしたプロジェクトがなかなかまわってこないのが残念である。その後、移築した《旧豊田喜一郎邸》(1933)を見学した。名古屋の近代建築を牽引した鈴木禎次が手がけたものだが、折衷具合が興味深い。基壇となる一層目は、ガウディの影響と説明されているが、西洋に比べて薄めのグロッタ風と解釈すべきだろう。二層目は、アーチの窓が並び、洋風のインテリア。三層目は、ハーフティンバーを強調するが、内部は和室である。異なるデザインを積層した不思議な建築で、ジブリの宮崎アニメの洋館のようだ。
豊田の若手建築家、佐々木勝敏が設計した《志賀の光路》(2014)を訪れた。典型的な住宅地において街並みに寄与する家である。角地にたつが、建物を奥に配し、塀をなくして小公園的な場を生む。六角形平面で、1階の開口は一ヶ所に絞るが、上部を囲む水平スリットから光を導く。中心の吹抜けは、大梁をルーバーで隠しながら光溜をつくる。バスで移動中、彼が手がけたもうひとつの住宅も、外観のみ見る機会があり、周辺との関係、開口のとり方を比較することができて興味深い。最後は《豊田市美術館》(谷口吉生/谷口建築設計研究所、1995)に戻り、学芸員の能勢陽子さんの解説を聞きながら、改修工事中で展示物がない状態の純粋空間として各部屋をまわった。この建築も大切に使われている。
2014/12/07(日)(五十嵐太郎)