artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションより
会期:2014/06/20~2014/08/24
東京国立近代美術館[東京都]
台湾のヤゲオ財団が保有する現代美術のコレクションから選ばれた、フランシス・ベーコン、ザオ・ウーキー、アンディ・ウォーホル、ゲルハルト・リヒター、杉本博司、蔡國強、ロン・ミュエク、ピーター・ドイグ、マーク・クインらの作品74点による展覧会。1999年にヤゲオ財団を創設したピエール・チェン(Pierre T.M. Chen、陳泰銘)氏は、チップ抵抗やコンデンサを製造する台湾の受動部品メーカー、ヤゲオ・コーポレーションの創業者であり会長である(ちなみに社名の中国語表記「國巨」は「抵抗器」の意)。『ARTnews』誌で2012年、2013年と世界のトップアートコレクター10人のひとりに挙げられているチェン氏は、大学生のころにコンピュータのプログラミングで稼いだお金で作品を買い始めたという生粋のアートファン。本格的な蒐集を始めてから25年のうちに世界でも有数のコレクターになった。蒐集の対象は最初は台湾、中国出身のアーティストの作品から始まり、近年は西欧の作品へと拡大しているという。チェン氏にとって作品の購入は投資ではなく、アートともに暮らす生活を実践している。展覧会会場や図録では作品が飾られたチェン氏の自宅、ゲストハウス、オフィスの写真を見ることができる(バスルームにまで作品がある!)。具象的なモチーフの作品が多いコレクションは、美術評論家やギャラリストのアドバイスに依らず、自分自身で判断して購入しているという。それぞれのアーティストの代表作といえるすばらしい作品が集まっているが、美術史的な意味で系統立った蒐集品ではない。そのような個人コレクションを美術館の展覧会でどのように見せるのか。
もちろんコレクション展自体は珍しいものではない。国別、作家別、時代別、様式別、モチーフ別……。切り口はさまざまに考えられよう。本展でも「ミューズ」「崇高」「記憶」「新しい美」といった10のキーワードを切り口として74点の作品を分けて展示している。しかし、それだけではなく、もうひとつの切り口が設定されている。それはこの20年ほどのあいだに大きく変化してきたアート・マーケットの問題である。かつて絵画はおもにギャラリーと個々のコレクターとのあいだで行なわれるクローズドな環境で取引されてきた。しかし、近年取引の場として重要になってきたのがオークションである。しばしば高額な落札額がニュースにもなるように、美術品の価格形成のありかたや、コレクターのタイプが変化しているのである。とくに中国の新興アート・マーケットではその傾向が顕著である。チェン氏が投機的な目的で美術品を購入しているわけではないとはいえ、この25年ほどのあいだに蒐集されたコレクションが、変化しつつある市場環境のもとで形成されたことは間違いない。そして市場の変化によってもたらされた問題のひとつが、作品の落札価格と美術上の価値の乖離である。一般的に市場に流通する作品が稀少であればオークションでの価格は上昇する。それは美術上の価値とは別の話である。しかしいったん価格が示されると、それ自体が作品の評価の基準になりかねないという現実がある。美術館の展示に値札は付いていないので普段来館者が作品の価格を意識することは少ないかも知れないが、現代アートの価格と価値の差、市場の変化が価値のあり方に影響を与えていることを、コレクションの実例を通じて示しているのである(展示パネルでは上に美術上の解説、下に経済的価値についての解説が書かれているほか、50億円の予算でアートを集めるというゲームが用意されている)。
展示ではさらにもうひとつの問題提起がなされている。それは美術館とコレクターとの関係である。元来美術館は作品の価値をつくる場でもある。それは歴史的な位置づけを与えるというばかりではなく、美術館で個展が開かれる、あるいは美術館に購入されるという事実が作品の価格形成に大きな影響を与えてきた。しかし、いまや価格形成の主導権を握るのは市場である。高騰する価格と迅速な判断が求められる場で、莫大な資金を持ったコレクターに対抗して公的な美術館がそこに参加することはとても難しい。ならば美術館にはなにができるのか。本展の企画者である保坂健二朗・東京国立近代美術館主任研究員はいくつかの可能性を示している。ひとつは美術館とコレクターの役割の分担である。公的な美術館が蒐集できる作品と個人が求める作品には違いがある。あるいは政治的、倫理的に公的美術館では購入が難しいものがあるが、コレクターは自身の好みに従って作品を選ぶことができる。しかし美術館とコレクターが協力し合えば、企画展というかたちで互いのコレクションを補完し合うことができる。価値を作り出す場としても美術館はいまだに重要である。美術館は新しいアーティストの発表の場であり続けるし、作品を異なる作品と組み合わせたり、新しい文脈を示すことで、新たな価値をつくり出すことができる。人々に開かれた美術館は日常とアートとを結びつけることで、新たな愛好者を育てる場でもある。新たな愛好者の一部はやがてアーティストになり、あるいはコレクターになり、次の世代のアートワールドのプレーヤーになるうる。そのような課題の存在を踏まえると、この展覧会自体、現代のアートワールドが抱えている問題の提示と、コレクターと美術館との新しい関係を考えるひとつの
試みであることがわかる。
本展の広告クリエイティブは山形孝将氏と川和田将宏氏が担当。ポスターやチラシに用いられた金色に輝くマーク・クイン《ミニチュアのヴィーナス》(2008)のヴィジュアルと周囲のキラキラが強烈な印象を与える。美術館前庭には同じくクインの《神話〈スフィンクス〉》(2006)が配置され、ヨガのポーズをとるケイト・モスは本展のシンボルだ。これに対して林琢真氏によるデザインの図録は非常に落ち着いたイメージ。パール印刷されたカバーにはチェン氏のモダンなオフィスの写真。中は布張りのハードカバーで高級感がある。チェン氏のコレクション全体のイメージは図録の雰囲気に近いのだが、保坂主任研究員のキュレーションは広報デザインのほう。ふたつのデザインは意識して分けたという。すなわちこのデザインの二重性にもコレクターと美術館の関係が示されているといえるかもしれない。[新川徳彦]
図録表紙
2014/07/15(火)(SYNK)
沖見かれん展
会期:2014/07/15~2014/07/20
アートスペース虹[京都府]
沖見の絵画は風景をもとにしているが、決して再現的ではない。透明のメディウムで地塗りした生成りの画面には、さまざまな筆致の線や色面が交錯し、抽象的な画面をつくり上げている。絵具をたっぷり含んだ筆致は官能的で、作者はむしろ描く快感のために筆を走らせているのではないかと思うほどだ。また、同じ風景をもとに描いた複数の作品を見比べられるのも興味深かった。線、面、色彩といった絵画の諸要素が解放され、それぞれが自由に主張しながら全体として統一的な世界を構築する。そのスリリングな均衡こそ、彼女の作品の魅力である。
2014/07/15(火)(小吹隆文)
北野謙「いま、ここ、彼方」
会期:2014/07/05~2014/08/10
MEM[東京都]
北野謙は2013年に文化庁の海外研修でロサンゼルスに滞在した。今回、東京・恵比寿のMEMで発表されたのはその時に制作された2作品「太陽のシリーズ」(day light)と「月のシリーズ」(watching the moon)である。「太陽のシリーズ」はカメラを三脚に据え、長時間露光で日の出から日没まで、ほぼ一日の軌跡を追う。「月のシリーズ」の方は、それとは対照的に天体の動きにあわせて月を追尾しながら、1~数分間のスローシャッターを切っている。
このような天体の動きを定着したシリーズとしてすぐに思い浮かぶのは、山崎博の「HELIOGRAPHY」(写真集の刊行は1983年)である。ちょうど、写真展のオープニングにあわせて、北野と山崎のトークショーが開催されたと聞いて「なるほど」と思った。だが、海と太陽というシンプルな舞台装置で、太陽が描き出す光の帯をむしろ抽象的に写しとった「HERIOGRAPHY」と比較すると、今回の北野の作品の印象はかなり違う。太陽や月の手前には、カリフォルニアのMcDonaldやMobilの看板、アメリカ国旗、原子力発電所、アメリカ軍の1週間ごとの戦死者を十字架の数であらわすモニュメントなどがブレた画像で写り込んでいるのだ。つまり北野の関心は太陽や月のような普遍的、神話的な表象と、爛熟した資本主義社会に特有の景観を対比する所にあり、山崎の「写真とは何か?」というコンセプチュアルな問いかけに基づくアプローチとはかなり違ったものになっている。
とはいえ、30年以上の時を隔てて二つの作品が呼応しているように見えるのが面白い。アメリカ滞在は、北野自身にとっても、写真家としての経歴に新たな1ページを開く契機となったのではないだろうか。
2014/07/13(日)(飯沢耕太郎)
細倉真弓「クリスタル ラブ スターライト」
会期:2014/07/04~2014/08/10
G/P GALLERY[東京都]
「クリスタル ラブ スターライト」というのは、細倉真弓がたまたま見つけた新聞記事に掲載されていた群馬県の飲食店の名前。1992年にこの店を舞台にして「5000万円荒稼ぎ」をしたという売春事件が起こったのだという。細倉はこのいかにも身も蓋もない、薄っぺらな響きの店の名前になぜか心惹かれるものを感じて、今回のシリーズを構想した。「Wing」、「セクシークラブ大奥」、「ド・キホーテ」といった、いかにも地方都市の歓楽街にありそうな店のイルミネーションを撮影した写真を挟み込んで、やはりネオンサインっぽい原色の色味に変換された男女のヌード写真が並ぶ。会場には「クリスタル ラブ スターライト」というネオンサインを製作した実物も展示してあった。あざといといえばあざとい構成だが、そこには日本の社会的風景にどうしても拭い去りがたく染みついた“貧しさ”、“鬱陶しさ”が透けて見える。
細倉がこのような社会批評的な文脈を作品に取り入れるようになったのは、とてもいいことだと思う。だが、この試みを単発で終わらせるのはもったいない。「クリスタル ラブ スターライト」の事件はもう20年前のことなので、インパクトがやや薄まっている。最近の同種の事件(それが何かはよくわからないが)にもスポットを当てて、日本社会の底辺の構造をあぶり出す連作に繋げていけるのではないだろうか。もしそれができるなら、大きな可能性を秘めた表現の鉱脈が見えてきそうだ。
なお東京・恵比寿のPOSTでは、同時期に細倉の新作の「Transparency is the new mystery」が展示されていた(7月11日~27日))。こちらは前作「KAZAN」の延長上にある、モノクロームのヌードと鉱物の結晶をテーマとする連作である。
2014/07/13(日)(飯沢耕太郎)
ルドルフ・シュタイナー展 天使の国
会期:2014/03/23~2014/08/23
ワタリウム美術館[東京都]
ワタリウム美術館のルドルフ・シュタイナー展は、過去にも開催されているが、今回はとくに最初のゲーテアヌム(1922)の建設、完成、そして放火による焼失まで、約16分間のスライドショーが圧巻だった。曲線が多い、複雑な造形や装飾をよく木造で施工したなあと感心させられる。大量の写真を通じ、第1ゲーテアヌムの記録で、これだけ詳しいものは初めて見ることができた。時期的には、田舎においてRC造で全部つくるのは大変だろうが、3Dプリンタのように、木の層を幾重にも積みあげて、有機的な内部ヴォリュームがつくられている。その大変さゆえに、逆説的にかたちへの意志が感じられた。
2014/07/12(土)(五十嵐太郎)