artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

進藤環「飛び越える、道をつないで」

会期:2014/07/09~2014/08/09

ギャラリー・アートアンリミテッド[東京都]

植物や風景の写真をカット・アンド・ペーストしてコラージュを作り、それを複写・プリントして作品化する進藤環の仕事には以前から注目してきた。その、この世のものとは思えない情景の構築力が、このところ、より高まってきているように感じていたのだが、今回東京・六本木のギャラリー・アートアンリミテッドで開催された個展では、さらに新境地というべき作品を見せてくれた。
今年になってから、長崎県五島列島を中心に撮影されているシリーズでは、隠れキリシタンの住居跡や、ハンセン氏病患者たちが暮らしていた場所、産業遺産などを画面に積極的に取り入れている。そのことによって、自然と人工物が見境なく混じりあう、何とも奇妙なユートピア(あるいは反ユートピア)が出現してきていた。このような表現の冒険は大いに歓迎すべきだろう。なお同時期には、横浜市港北区の東京綜合写真専門学校のギャラリーSpace@56で「響く、回遊する」と題する作品が「公開制作」されていた(6月17日~9月6日)。こちらは、壁二面に張り巡らされた作品の規模がかなり大きいのと、それが少しずつ生成・変化していくという試みが意欲的だ。ここでも、進藤の表現力の高まりを感じとることができた。
言うい忘れる所だったが、展覧会や作品のタイトルのつけ方によくあらわれているように、彼女は言葉を扱う能力もとても高い。詩的言語と画像の組み合わせからも、新たな世界が見えてきそうな気がする。

2014/07/23(水)(飯沢耕太郎)

岡村明彦の写真 生きること死ぬことのすべて

会期:2014/07/19~2014/09/23

東京都写真美術館3階展示室[東京都]

『ライフ』(1964年6月12日号)に南ベトナムでの戦闘場面を撮影した写真と記事を9ページにわたって掲載して、「キャパの後継者」として一躍名前を知られるようになった岡村明彦だが、彼の活動を「戦争写真家」という枠組に封じ込めて論じるのは難しい。ベストセラーとなった『南ヴェトナム戦争従軍記』(岩波新書、1965年)を読めば、彼が優れたルポルタージュの書き手であることはすぐにわかる。その行動範囲も、アメリカ、アイルランドからナイジェリア(ビアフラ)、エチオピアにまで及び、晩年は生命倫理(バイオエシックス)や終末医療(ホスピス)の問題についても意欲的に発言していた。岡村を称するには、まさに「カメラを持った思想家」という言葉がふさわしいのではないだろうか。
今回の展覧会には、ベトナム、ラオスをはじめとして、アイルランド、ビアフラなどで撮影された未発表作を含む、180点以上の写真が展示された。公立美術館における、はじめての大規模な回顧展ということになる。会場に並んだ写真を見ながら、岡村は写真家としても一筋縄ではいかないと感じた。彼が常用していたのは35ミリのレンズであり、ほとんどの写真はそのやや広角気味のアングルで撮影されている。報道写真家にありがちな、被写体をクローズアップで狙って、読者の感情をかき立てるような写真はほとんどなく、冷静な距離を保ちつつ、そこにある現実をきわめて客観的に写しとっているのだ。岡村自身は常々「証拠力のある写真」と語っていたようだが、このような撮り方は情緒的な反応ではなく、高度な認識力と読み取りの力を読者に要求するものだ。そのことが、彼の没後30年近くたって、あらためて大きな問題をわれわれに投げかけているように感じる。フォトジャーナリズムの現場における写真家の姿勢について、再考を促す写真群といえるだろう。

2014/07/23(水)(飯沢耕太郎)

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キュンチョメ個展「なにかにつながっている」

会期:2014/07/11~2014/07/23

新宿眼科画廊[東京都]

キュンチョメは新進気鋭のアーティスト。先ごろの岡本太郎現代芸術賞を受賞するなど、「天才ハイスクール!!!!」出身の若いアーティストたちのなかでも突出した活躍ぶりである。今回の個展で、彼らのひとつの達成を見た。
キュンチョメがつねに関心を注いでいるのは、3.11。放射能によって汚染された国土や海、農作物などを素材に、3.11以後のリアリティをこれまで執拗に追究してきた。彼らほど頻繁に、持続的に被災地を訪れ、量はもちろん質の面でも優れた作品を発表しているアーティストはほかにいない。今回発表した新作も、金属探知機を手に海岸沿いを歩きながら地中に埋まった遺失物を掘り起こし、その穴に植物を植えていくというもの。全体的な被害の規模からするとささやかな試みなのかもしれない。けれどもそうせざるをえない、当事者とは異なる何か切迫感や義務感のようなものが感じられる。死者の追悼は、じつは生者の傷を癒やすためにこそあるという逆説を思い起こす。
そう、あの日以来、私たちはすっかり傷ついてしまったのだ。普段はそのことを忘れているが、じつは深く深く傷ついている。そのことを自覚すると、よりいっそう傷が広がる恐れがあるため、あえて忘却の淵に追いやっているのだ。キュンチョメはその傷をえぐり出す。ただし、暴力的にではない。あくまでも詩的にだ。そこにキュンチョメの真骨頂がある。
「もういいかい?」。富士の樹海で何度も呼びかける。同じ音程で、同じリズムで、同じ強さで。それが自ら死を選択した者たちへの言葉であることはわかるにしても、むろん「まあだだよ」や「もういいよ」が返ってくることはない。ただ、この問いかけが連呼されることで、その問答の内実が私たちの脳裏にありありと浮き彫りになるのだ。死を発見してよいのか、あるいはまだ準備が整っていないのか。これは富士の樹海の自殺者に限られた話ではない。私たちは死者たちの魂にそのように呼びかけることで、自らの魂を鎮めているからだ。つまり死者たちに「もういいかい?」と問いかけながら、「まあだだよ」と「もういいよ」と応えるのもまた、自分なのだ。自分の傷は自分で癒やすほかない。
そのような魂をめぐる自問自答をもっとも象徴的に体現した作品が、《僕と鯉のぼり》である。祖母によって祝福され贈答された鯉のぼりは、幼少期のわずか数日間だけ空を泳いだが、その後の引きこもりにより20数年ものあいだ封印された。キュンチョメはそれをスカイスーツに仕立て直し、スカイダイビングを決行。鯉のぼりは久方ぶりに大空を生き生きと舞った。鯉のぼりの中から溢れ出る爆発的な笑顔には感涙せざるをえないが、ここにあるのは自らの傷を鮮やかに反転させるアートの醍醐味にほかならない。本展の全体とからめて言い換えれば、青空を乱舞する鯉のぼりは「もういいかい?」という自分自身への問いかけに対する「もういいよ」という自分なりの明快な答えなのだ。その、ある種の「赦し」に、未来がつながっているのではないか。

2014/07/22(火)(福住廉)

荒川望 展

会期:2014/07/15~2014/07/27

ギャラリーモーニング[京都府]

風景や植物などをモチーフにしていながらも抽象性が高いのは、流れるようなタッチとその色彩による空間性の効果なのか。全体には、柔らかく穏やかな印象で目にも心地よいのだが、見る角度によってもこちらの意識によっても、その境界が曖昧になる図と地、色の組み合わせの少し心許ない雰囲気が魅力的だ。今展ではこれまでとは画風の異なる鮮やかな色が印象的な作品も展示されていた。活動歴も長く、作風に安定した定着感もある作家。その新たな挑戦と意気込みもうかがえた個展で、また今後の活動が楽しみ。


会場風景

2014/07/20(日)(酒井千穂)

ノスタルジー&ファンタジー 現代美術の想像力とその源泉

会期:2014/05/27~2014/09/15

国立国際美術館[大阪府]

国立国際美術館の「ノスタルジー&ファンタジー」展へ。10組の作家によるタイトル通りのグループ展だが、世代差による表現の違いを強く感じる。とりわけ、何気ない記念・集合・家族写真をもとにしたと思われる構図が、具象的なイメージを残しつつ、どろどろに融解し、抽象化され、記号化された小西紀行の絵画群が強く印象に残った。

2014/07/20(日)(五十嵐太郎)

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