artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

荒木経惟「往生写集──愛ノ旅」

会期:2014/08/09~2014/10/05

新潟市美術館[新潟県]

豊田市美術館の「往生写集──顔・空景・道」に続いて、新潟市美術館では「往生写集──愛ノ旅」と題する荒木経惟展が開催された。「センチメンタルな旅」(1971年)、「冬の旅」(1991年)、「愛のバルコニー」(1982~2011年)といった回顧展的な名作に加えて、新作を積極的に紹介していくという構成は、前回の展示を踏襲している。それに加えて、今回は2011年の第6回安吾賞受賞記念展で発表された「堕楽園」、新潟を舞台として撮影された「新潟エレジー」(1988年)、「冬恋」(1998年)など、新潟ゆかりの作品も展示されていた。
新作の中でも抜群に面白いのは、わざわざ特別に「愛切ノ部屋」をしつらえて展示した「愛切」のシリーズだ。長年撮りためたポラロイド写真を鋏で二つに切り、その片方同士を組み換えて貼り合わせている。過激なヌードが多いので、微妙な部分をカットして見えないようにしてしまうという実用的な目的と、2枚の写真の意表をついた組み合わせの妙とが結びついて、見応えのある作品に仕上がっていた。1357枚という点数はかなりの数だが、まったく見飽きるということがない。荒木の真骨頂といってよい、サービス精神あふれる展示だった。
ただ全体的に見ると、豊田市美術館の展示のぴんと張りつめた緊張感が、やや薄れているように感じるのは、会場のたたずまいの違いのせいだろうか。前川國男設計の美術館の建物の、ゆったりとした空気感の中だと、荒木の作品も静かに落ち着いて呼吸しているように感じる。それはそれで悪くないのだが。

2014/08/01(金)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00027126.json s 10102506

山本渉「春/啓蟄」

会期:2014/07/25~2014/08/23

Yumiko Chiba Associates / viewing room shinjuku[東京都]

2013年に森の中で撮影したセルフポートレイトのシリーズ「線を引く」を写真集にまとめて注目された山本渉は、かなり多彩な作風の持ち主である。植物の放電現象を「キルリアン写真」で記録した「光の葉」、「プラタナスの観察」などのシリーズに加えて、男性の自慰用の器具の内部に石膏を流し込んで型取りしたオブジェを撮影した、何ともユーモラスな「欲望の形」のシリーズも同時並行して発表している。その山本の新作「春/啓蟄」も、いかにも彼らしい趣向を凝らした「コンセプチュアル・フォト」だった。
表題作は「水とカラーフィルムを皮膚の代わりにして太陽の光と温度変化を捉える試み」であり、具体的には4x5判のフィルムを水に浸して凍らせ、ピンホールカメラの小穴から差し込む光で解凍と撮影を同時におこなうという作品である。その結果として、フィルムには細かなさざ波のような紋様や光のフレアーなどが写り込むことになる。その偶然の効果で出現してくる画像のたたずまいが、いかにも「春の目覚め」を思わせる、みずみずしく力強い生命力の胎動を感じさせるのが面白い。実際にやってみなければ、どんな結果になるのかまったく予想がつかないはずだが、何かに導かれるように「こうやるべきだ」という確信に至ったことが想像できる。
次々に新しい箱を開けるように、さまざまな現象を写真というフィルターを通して形にしていく山本の試みは、これからしばらくはこのまま続けていっていいと思う。おそらくそのプロセスを経ることで、より強い説得力と一貫性を備えた世界観、写真観が育っていくのではないだろうか。

2014/08/01(金)(飯沢耕太郎)

大久保潤「でかける!」

会期:2014/07/01~2014/08/02

カフェ・カンパーニュ[東京都]

大久保潤は相変わらず元気に写真を撮り続けている。2012年に横浜・blanClassの「でかける!」展で、1000点以上の写真を展示したのだが、その後も撮影のペースはまったく落ちていないようだ。今回の東京八王子のカフェ・カンパーニュでの個展では、昨年12月頃から撮り続けてきた200点あまりが展示されていた。
大久保の写真の撮り方はまさに出会い頭で、彼のアンテナに引っかかったものに素早くカメラを向けてシャッターを切っている。とはいえ、好みの被写体はあるようで、何かが規則正しく並んでいる状態(今回ならTシャツ展の会場、ミニカーのポスターなど)には常に鋭敏に反応する。また、時期によって「マイブーム」があるようで、最近は「自分の撮った写真のプリントを撮影する」ことに凝っているようだ。それらの写真のほとんどはピンぼけなのだが、そのぼけ具合が妙に気持ちがよく、いい味わいを醸し出していた。
彼のような知的障害者が撮る写真を、とりたてて特別視する必要はないだろう。だが、やはり普通の撮り方ではないと思う。被写体への向き合い方が、文字通りストレートであり、余計な思惑がない分、被写体のエネルギーがまっすぐに写真の中に流れ込んできているように感じるのだ。以前の1000点の写真展示が印象に残っているので、200枚でもやや物足りなく感じてしまう。かなり大きな会場が必要になるのだが、彼のこれまでの写真を全部まとめて展示して、シャワーのようにそのパワーを浴びたいと思いはじめた。

2014/08/01(金)(飯沢耕太郎)

あしたのジョー、の時代展

会期:2014/07/20~2014/09/21

練馬区立美術館[東京都]

漫画やアニメで知られる『あしたのジョー』の展覧会。高森朝雄とちばてつやの詳細なプロフィールに始まり、貴重な原画、アニメ版のセル画や動画、関連商品の数々など、リアルタイムで楽しんでいたファンならずとも、『あしたのジョー』の世界を存分に堪能できる内容だ。
ただ、この展覧会の醍醐味は、タイトルの後半にある。すなわち「あしたのジョー、の時代」とあるように、会場の後半は漫画が連載されていた60年代後半から70年代前半にかけての美術や映画、舞台デザイン、広告などが展示されているのだ。横尾忠則による天井桟敷のポスターはもちろん、篠原有司男の《モーターサイクル・ママ》、平田実や羽永光利によって撮影された反芸術パフォーマンスの数々、高田渡や岡林信康らのレコード、CM「男は黙ってサッポロビール」などが立ち並ぶ会場には、あの時代の濃い空気が満ちている。
『あしたのジョー』の大きな特徴は、よど号をハイジャックした赤軍派が「われわれは明日のジョーである」という声明を出したように、漫画でありながらも漫画を超えた広がりを持ち、そのことによって時代を象徴する文化になりえたことである。今改めて漫画『あしたのジョー』を読んでみると、貧困からの脱出、身体と身体の激突による生の実感、栄光と転落、亡霊との格闘など、いまの時代にはあまり望めない濃厚なリアリティが充満しているのがわかる。
とりわけ注目したいのが、矢吹丈と丹下段平の言葉の応酬だ。下町の汚い言葉で激しく言い合う2人は、ボクサーとセコンドという立場でありながら、つねに同調するより反発し合っていた。ジョーは、もしかしたら一度たりとも段平の助言を受け入れなかったのではないか。ジョーと段平は、いわばリングの外でも拳を交えて殴り合っていたのだ。
だとすれば、本展の意義は漫画と美術の幸福な結合などにあるのではない。それは、むしろ予定調和と慣れ合いが跋扈する現代アートの現状に加えられた激烈な一撃と言うべきだ。あしたのために、われわれはもっと闘わなければならない。

2014/08/01(金)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00026703.json s 10102323

ヨコハマトリエンナーレ2014 華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある

会期:2014/08/01~2014/11/03

横浜美術館、新港ピア[神奈川県]

美術家の森村泰昌がアーティスティック・ディレクターを務めた今回のヨコトリは、その長文の副題だけでなく、作家と作品のセレクトにも大きな特徴があった。ひとつは屋内の展示にほぼ特化したことであり、もうひとつは物故作家も含めたさまざまな時代・世代・傾向の作品を揃えたことである。一見して思ったのは、昨今大流行している地域型アートイベントに見られる、アートを町興しのツールとして扱う風潮、あるいはアートを消費物のように扱う風潮へのアンチテーゼである。しかし、現状批判にばかりとらわれると、森村が掲げたテーマ「忘却」を見失うことになる。森村は、いまの美術界(あるいは世の中)で忘れられがちな、しかし決して忘れてはいけない問題意識を持った作品を取り上げ、その存在を多くの人に気づいて欲しいと思ったのではないか。2つの会場を見終わったとき、そこには森村から観客への切実なメッセージが凝縮しているように感じられた。「アートがアートであり続けるために、見失ってはいけないものがあるはずだ。皆そこに気づいて欲しい」と。

2014/07/31(木)(小吹隆文)

artscapeレビュー /relation/e_00027119.json s 10102313