artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
北井一夫「道」
会期:2014/07/02~2014/07/26
禪フォトギャラリー[東京都]
『日本カメラ』に2005~13年にかけて連載されていた「ライカで散歩」のシリーズから、「道」の写真をピックアップした展示である。中心になっているのは、東日本大震災の後の2011年5月から、岩手、宮城、福島などの沿岸部に10回ほど出かけて撮影したもので、普通の道だけではなく、積み上げられた瓦礫の横に、あたかも「けもの道」のように誰かが踏み固めてできた道なども写している。津波によってすべてが押し流された後にも、道は残る、あるいは新たに道ができていく。そのことが、北井の中にあったもう一つの道のイメージを引き出してきた。それは、彼の原記憶というべき旧満州からの引き揚げの時に見たはずの眺めで(赤ん坊だった彼が、実際には覚えているはずはないのだが)、そのことを確認するために中国での撮影を試みた。それが今回の展示のもう一つの柱である「大連発鞍山」の写真群である。
北井が母の背に結わえられて引き揚げてきた時に使ったという、父親の帯の写真なども含む、この「大連発鞍山」の写真が加わることで、何かと何かを結びつけ、繋いでいく「道」の役割がより明確になった。東北の道は中国へと続いていたわけだ。だが、最初からこんな風に構成しようと考えていたわけではなく、写真を選んでプリントしているうちに全体の構想が固まってきたのだという。まさに、道を歩きながら考えていくようなこの作品の成立のあり方は、自然体で澱みがないだけではなく、強い説得力を備えていると思う。
2014/07/02(水)(飯沢耕太郎)
津田直「On the Mountain Path」
会期:2014/06/27~2014/08/23
Gallery 916[東京都]
津田直の今回の個展に展示されたのは、「NOAH」、「REBORN (Scene3)」,「Puhu nin Amukaw」の3シリーズ、42点。「NOAH」はスイス・ヴァレー州の山中に張り巡らされた水路と、それを保全、管理する人々を追う。「REBORN (Scene3)」はここ数年通い詰めているブータンで、氷河が溶けてできたU字峡谷を、馬11頭を連ねて行く旅の途上の眺めである。新作の「Puhu nin Amukaw」では、1991年のピナトゥポ火山の大爆発で、火山灰に覆われた地域を撮影している。そこに最初に育つのが野生のバナナで、「Puhu nin Amukaw」というのは現地のアエタ族の言葉で「バナナの心」という意味だという。3シリーズに直接的な関連はないが、タイトルが示すように「山道」を辿るフィールドワークの産物というのが共通している。例によって、的確な写真の選択と配置によって、見る者を「眼差しの旅」へと誘っていく。
ちょっと気になったのは、津田の表現の落ち着き払った安定感だ。それはむろん、写真家=フィールドワーカーとしての自分の仕事に揺るぎない確信を抱いているということなのだが、破綻のない展示構成にはやや物足りないものも感じた。一年の大部分を旅の時間に委ねるという彼の仕事のやり方は、たしかに目覚ましいものではあるが、そろそろそれらを繋ぎとめていく、強く、太い原理を提示していく時期に来ているのではないだろうか。写真と言語の両方の領域で、津田にはその力が充分に備わっているはずだ。
なお、同時期に東京・六本木のタカ・イシイ・ギャラリー・モダンでは「REBORN(Scene2)」展が開催された。ブータンのシリーズのプラチナ・プリント・ヴァージョン(モノクローム)だが、あまり必然性は感じられなかった。
2014/07/02(水)(飯沢耕太郎)
藤原京子 展「Gate──門」
会期:2014/06/25~2014/07/13
岩崎ミュージアム[神奈川県]
港の見える丘公園の近くにある岩崎ミュージアムでの個展。照明を落とした暗いギャラリーに、鉄柵みたいなものを段違いに配しているのだが、近づいて見ると鉄柵には割れたガラスが貼りついている。素材だけだと「もの派」みたいだが、もの派がモノの表面からホコリ(意味や物語性)を排除しようとしたとすれば、彼女は逆にモノの組み合わせや照明などで物語らせようとする。なにを物語らせるのかわからないけど、意味深なんだな。いってみれば舞台装置。そう、舞台装置というのは役者が登場すれば意味を放つけど、それだけでは自律できない。作品が役者を待つんじゃなく、作品が主役にならなくちゃ。
2014/07/01(火)(村田真)
西村一成 絵画展 幻たちのブルース
会期:2014/06/28~2014/07/20
ギャルリー宮脇[京都府]
西村一成は独学の画家で、2000年頃から自身の欲求の赴くままに制作を続けてきた。作品の特徴は思い切りのいい筆致と斬新な色使いで、モチーフは人物、風景、想像の世界など実にさまざま。何よりもよいのは、どの作品も見る者の喉元にぐっと踏み込んでくるようなパワーを持っていることだ。本展では新作40点が出品され、西村の多様な作品世界を知ることができた。彼は統一的なテーマやコンセプトを持たないが、それが作品の価値を下げることにはならない。表現することの根本について、改めて考えさせられた。
2014/07/01(火)(小吹隆文)
ミヤギフトシ「American Boyfriend: Bodies of Water」
会期:2014/06/14~2014/07/13
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA Gallery A[京都府]
カーテンを開放していた展示室は、午後の光を充分にうけ、ある種のリゾート感をぐっと演出していた。照明も自然光だけに近い見せ方(だったと思う)でうす暗く、置いてある紙の箱やTシャツも、後から思い返してもどこかおぼろげだ。あそこに実物は本当にあったんだろうか。そもそもこのミヤギの取り組みも実態を求めてさまようような、鎮魂のような印象がある。(ものすごく良い意味での)徹底した広報戦略(東京の展示に至るまでの作品のプレゼンテーションとして友人から手紙が送られてきたかのようなDMづくりがあった)からのイメージづくり、それから本展での手紙、ファウンド・フォトという手法もそう。
ただひとつ、会場に黒板にメッセージを書いていく映像作品があったのだが、それだけどこか異質だった。チョークを走らせる作家とおぼしき人物の顔は見えない。カツカツと響くチョークの音と、テキストのヴィジョンが、今も幽霊のように頭に蘇る。
2014/07/01(火)(松永大地)