artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

堀田真悠『新月』

発行所:東京ビジュアルアーツ/名古屋ビジュアルアーツ/ビジュアルアーツ専門学校・大阪/九州ビジュアルアーツ

発行日:2013年11月20日

2013年度の第11回ビジュアルアーツアワードを「新月」で受賞した堀田真悠は1992年、京都生まれの20歳(受賞当時)。同賞の最年少受賞者ということになる。だが、その作品世界の完成度の高さは恐るべきもので、写真を取りまく現在のハード及びソフトの環境を的確に使いこなせば、高度な表現力を年齢にはまったく関係なく発揮できることがよくわかる。
「新月」というタイトルが示すように、彼女が引き寄せられていくのは「見えない闇」の世界である。そこには普通の視力では「見えない」けれども、確実に何かがうごめいていて、時には魅惑的な、時には禍々しく不吉な世界を垣間見させる。堀田はそれらを的確にカメラで捕獲していくのだが、プリントして作品化する時にさらに操作を加えることが多い。彼女をビジュアルアーツ専門学校・大阪で指導した百々俊二によれば、「マットブラックインクを光沢紙で使用することで暗部のテクスチャーは浮きあがり反転したミスマッチで出来たプリント」なのだと言う。撮影・プリントの機材のデジタル化によって、これまでとは違った多様な表現の可能性が生じてきているわけで、堀田のような世代は、それらをごくナチュラルなプロセスとして身につけることができるのではないだろうか。
もうひとつ興味深いのは、彼女の作品全体に貫かれている、琳派を思わせる華麗で装飾的な画面構成である。この奇妙にクラシックな美学は、やはり彼女が「京都と奈良の県境の田園地帯に育った」という風土性に由来するのだろうか。

2013/12/04(水)(飯沢耕太郎)

茂木綾子『travelling tree』

発行所:赤々舎

発行日:2013年10月1日

茂木綾子は東京藝術大学美術学部デザイン科を中退後、1997年に渡独し、映画作家、アーティストのヴェルナー・ペンツェルというパートナーと、二人の子どもを得た。スイスのラ・コルビエールでアーティスト・イン・レジデンスなどの活動をした後、2009年に帰国し、淡路島の廃校になった小学校に住みついて「ノマド村」の活動を展開している。本作はその茂木がヨーロッパ滞在中に撮影した写真をまとめた写真集である。
写っているのは、夫との日々の暮らしの断片、二人の子どもの成長の記録、旅と移動の合間に出会った風景など、文字通りの「個人的な写真」である。にもかかわらず、写真集のページを繰っていると、そこにはまぎれもなく優れた写真家の眼差しが介在していると思えてくる。茂木は「あとがき」にあたる文章で、「なぜ私はこのような写真を撮り続けてきたのか」と自問自答し、その答えとしてそれが「不可解さ」に促されて成立していたのではないかと思い至る。「不可解さ」というのは「自分と自分が含まれるこの世界を満たす有形無形の数限りない出来事のなかで、ふと気になる象徴的で謎めいた物事」のことだと言う。
確かに彼女の写真には、そんな「象徴的で謎めいた出来事」が写り込んでいるものが多い。写真集の表紙にも使われている、窓際の壁にピン止めされた「燃える靴下」の写真もその1枚である。だがそれらのなかには、わかりやすいドラマチックな出来事ではなく、ごく些細な身じろぎ。微かな気配としてしか感じられないものもある。むしろそちらの方が圧倒的に多いだろう。茂木が世界に向けて差し出すアンテナの精度は、12年にわたるヨーロッパでの生活のなかで、少しずつ、だが着実に上がっていったのではないだろうか。その成果が、「不可解さ」の写真の連鎖として目に飛び込んでくるのだ。

2013/12/02(月)(飯沢耕太郎)

佐竹龍蔵 展「紙と絵具と絵画」

会期:2013/11/22~2013/12/04

gallery near[京都府]

佐竹龍蔵が描くのは、真っ直ぐにこちらを見つめる無垢な少年少女たちだ。その表情は複雑で、微笑んでいるのか、不安気なのか、何かを訴えたいのか、解釈は見る人ごとに異なるだろう。逆に言うと、複数の解釈を許す許容量の広さこそが作品の魅力である。また、彼の画法は点描の一種であり、平筆で薄い単色を置く行為を延々と繰り返して描かれる。そこには線も面もなく、あるのは色彩(=光)の集積のみである。本展では、作品展示だけでなく、佐竹自身が会場に詰めて公開制作も行なわれた。水のように薄い絵具が紙の上に置かれ、徐々に染み込んでいく。その様子は、まるで光が水と絵具に化身して紙に同化するかのようであった。

2013/11/30(土)(小吹隆文)

高田冬彦「MY FANTASIA」

会期:2013/11/30~2013/12/28

児玉画廊[京都府]

高田冬彦は首都圏で活躍する作家だが、関西では本展が初お目見えだった。そして特大のインパクトを関西の美術ファンに残した。彼の作品は、彼自身が何者かに変装してパフォーマンスを行ない、その模様を映像や写真で記録したものだ。本展では、臀部に食虫植物を生やしてベートーヴェンの田園交響曲を指揮しながらパカパカと股を開く《VENUS ANALTRIP》や、女学生姿&恍惚の表情でワルツを舞いながら盛大なスカートめくりを繰り広げる《MANY CLASSIC MOMENTS》、日本列島の形をした男根を生やしたヤマトタケルが室内で暴れまわる《JAPAN ERECTION》、そして、歴史的に著名な女性たちの首をトーテムポール状に積み上げる様子を記録した《WE ARE THE WOMEN》(新作)が出品された。これらの作品は、表面的にはナルシシストの変態による悪ふざけにしか見えないであろう。しかし実際のところは、人間の深奥に潜む業を引きずり出す行為であり、道徳や倫理、善悪では判断しえない境地を垣間見せることである。それはまるで、真にクリエイティブなものを生み出すためには、常に自らをギリギリの地点にさらさねばならないと訴えかけているかのようであった。

2013/11/30(土)(小吹隆文)

英ゆう個展「外を入れる。vol.2」

会期:2013/11/29~2013/12/14

京都芸術センター[京都府]

2007年から2009年末までタイにてレジデンスを行なってきた英が2010年にその成果を同センターで披露した今展と同名の展覧会も記憶に新しい。そのときは、バンコクの王宮前広場に見立てた78畳の大広間に、色鮮やかな供花などタイの風物をモチーフにした大作がおもに展示されていた。2回目の今回は、4階にある茶室を日本庭園に見立て、燈籠や石塔などをモチーフに描いた作品を配するという展示。茶室には、中心に円形の人工芝の敷物が敷かれていて、そこに座って作品を鑑賞するように薦められた。人工芝のやや硬く心地悪くもある感触が、外で地面に腰を下ろしたときのちょっとした緊張感や違和感を思い起こさせるのだが、座位と立位では、視界に入る景色の印象も作品のイメージも少し異なって見えるのも面白い。着慣れない服を着たときに自分の気持ちが変わるのと同じような感覚が新鮮で、作家の遊び心を感じた展示。次の作品発表も楽しみだ。

2013/11/29(金)(酒井千穂)