artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

展覧会「サイネンショー」

会期:2013/10/04~2013/10/19

MATSUO MEGUMI VOICE GALLERY pfs/w[京都府]

陶芸家の松井利夫を中心としたグループによる本展では、不要陶磁器を再び窯で焼成したやきものが多数展示されていた。ちなみに燃料も建築廃材を使用しており、本展の根幹に東日本大震災後顕著に語られるようになった現在の社会システムへの疑問があることは間違いない。筆者自身はその論には必ずしも首肯しかねる立場だが、出来上がった作品には興味を覚えた。それらの多くは変形・変色し、なかには溶けた釉薬が接着剤となって複数の器が結合した奇怪なオブジェもある。侘び茶を大成した千利休や、便器を芸術作品に転換したマルセル・デュシャンのように、既成概念を逆転するロジックをひねり出すことができれば、これら再生やきものにも明るい未来が広がるだろう。要はそのロジックがつくれるか否かだ。

2013/10/08(火)(小吹隆文)

熊谷聖司「はるいろは かすみのなかへ」

会期:2013/09/21~2013/11/03

POETIC SCAPE[東京都]

1994年、神奈川県の森戸海岸のひと夏を撮影した「もりとじゃねいろ」で第3回写真新世紀グランプリを受賞して以来、熊谷聖司は着実に写真家としての歩みを進めている。派手な活躍をしているという印象はないが、自費出版的なものも含めて、これまでに出した写真集、開催した個展の数だけでも相当多数になるのではないだろうか。
今回の「はるいろは かすみのなかへ」は2008年以来、故郷の北海道函館に近い大沼国定公園を、四季を追って撮影し続けているシリーズの第4作にあたる。「あかるいほうへ」(2008)、「鳥の声を聞いた」(2010)、「神/うまれたときにみた」(2011)と続いてきたこの連作も、夏、秋、冬と季節が巡り、今回の春のシリーズで完結することになる。熊谷はほかに、身近な場所を撮影し続けているスナップショットを、日々積み上げつつあるが、この風景写真のシリーズは、彼の創作活動のもうひとつの柱となっているように思える。
「風景」といっても、それほど仰々しいものではない。カメラを手に森や沼のほとりを歩き回る熊谷の足取りは軽やかで、肩に力を入れず、自然体でシャッターを切っている。今回の展示作品では、水面に細かな模様を描くさざ波やたなびく霞などが、写真家と被写体との間の距離をじんわりと溶解し、穏やかな対話が成立しているように感じた。写真という表現媒体を慎ましく、だが確実に使いこなしていこうとする熊谷の営みは、いまや実り豊かな収穫の時期を迎えつつあるのではないだろうか。

2013/10/06(日)(飯沢耕太郎)

須田一政「凪の片(なぎのひら)」

会期:2013/09/28~2013/12/01

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

須田一政のような写真家の作品を見ていると、どうしてこのような光景を確実に捉えることができるのかと不思議に、というよりは不気味に思えてくる。見慣れた眺めの中に見慣れぬ異界を嗅ぎ当てる能力なのだが、その確率があまりにも高いことに驚きを抑えきれなくなってくるのだ。やはり、何かこの世ならざるものを「呼び込む」力が異様に高いとしか言いようがないだろう。
今回の東京都写真美術館の展示は、須田の代表作を集成した本格的な回顧展である。よく知られている「風姿花伝」をはじめとして、「物草拾遺」「東京景」など、1970年代に6×6判のフォーマットで撮影したモノクロームプリントがひしめき合うように並ぶ。嬉しいのは、まだ写真家として本格的に活動し始める前の1960年代に撮影された「恐山へ」と「紅い花」のシリーズが展示されていることだ。35ミリ判から6×6判への移行期に撮影されたこれらの写真群にも、すでに背筋をゾクゾクとさせるような気配を発する異物を、的確につかみ取っていく能力が充分に発揮されていたことがよくわかる。
なんといっても圧巻なのは、会場の最後のパートに展示されていた新作の「凪の片」のシリーズ。以前は被写体を剃刀のように鋭く切り裂いていた視線の強度がやや弛み、そのことによって、逆に形を持たない何やら魑魅魍魎のようなものたちの気配が、画面の至る所からわらわらと湧き出してきているように感じる。いや、もはや須田一政その人が、なかば魑魅魍魎と化しているのではないだろうか。怖い。だが、知らず知らずのうちに引き込まれていく。

2013/10/06(日)(飯沢耕太郎)

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ニュイ・ブランシュKYOTO 2013「パリ白夜祭への架け橋──現代アートと過ごす夜」

会期:2013/10/05

京都国際マンガミュージアム、アンスティチュ・フランセ関西(旧 関西日仏学館)、京都芸術センター、京都市役所前広場ほか[京都府]

パリ市で毎年10月に開催される一夜限りの現代アートの祭典「ニュイ・ブランシュ(白夜祭)」。パリまではなかなか行けないが、姉妹都市の京都でも日仏の現代アートを無料で楽しめる「ニュイ・ブランシュKYOTO」が開催されている。このイベントは今年で3回目。夕方から深夜にかけて京都市内各会場の屋内外で音楽ライブや映像作品の上映、パフォーマンス、展示など多彩なプログラムが行なわれる。とはいえ、イベント数も多く開催エリアも広いため時間的にもすべて巡るのは難しい。あらかじめ行きたいプログラムをチェックして自分なりにコースを決めておくほうがマイペースで満喫できる。今回、私が最初に向かった会場は京都市役所前広場。高嶺格による市役所壁面への映像上映とパフォーマンスが行なわれていた。京都国際マンガミュージアムでは「街を映像でデコレートするプロジェクト・マチデコインターナショナル」という建物壁面への映像上映プログラム。日本からは高木正勝、吉光清隆、大見康裕、上野あきのり+松本篤史らが作品を披露。そしてアンスティチュ・フランセ関西(旧・関西日仏学館)ではサウンドアーティストのニシジマアツシ、竹村延和、村井啓哲らによる音響インスタレーション&パフォーマンス、高橋匡太による建物のライティング、ジャズライブなども開催されていた。毎回だが、どの会場も多くの人たちで賑わっているのに驚く。まだ恒例と言えるほど周知されたイベントには感じられないが、秋の夜長をアートで楽しむという一晩だけの催しはなかなか素敵だ。今後も盛り上がればいいなと期待している。


高橋匡太によるライティングで彩られたアンスティチュ・フランセ関西(旧・関西日仏学館)

2013/10/05(土)(酒井千穂)

増山士郎 毛を刈った羊のために、その羊の羊毛でセーターを編む

会期:2013/10/02~2013/10/13

ArtCenterOngoing[東京都]

アイルランドを拠点に活動している増山士郎の個展。同時期に催されていた「あいちトリエンナーレ2013」で発表した新作と同じ作品を発表した。
新作の概要は、読んで字の如し。一匹の羊の羊毛を刈り取り、紡ぎ出した羊毛で1枚のニットを編み、それを同じ羊に着せるというプロジェクトだ。羊牧場の協力を仰ぎ、アイルランド人のおばあさんたちの教えを請いながら糸車で糸を紡ぎ、編み物を編む。会場には、そうした共同作業のプロセスを記録した映像と、元の羊とニットを着た羊をそれぞれ写した写真が展示された。
ニットを着せられた羊の姿を見ると、どうにもこうにも可笑しみを抑えることができない。ニットの首回りが若干大きすぎるからか、あるいは毛量が増減したわけではないにもかかわらず、全体的にボリュームが圧縮されているからか、いずれにせよ不細工で不格好だからだ。群れに帰っていくその背中には、哀愁が漂っていたと言ってもいい。
だが、こうしたユーモアが、ある種の偏った見方から動物虐待と指弾されかねない危うさをはらんでいることは否定できない。人間の営為のためならまだしも、ただ動物の身体を改造して楽しんでいるようにも見えるからだ。
けれども、改めて画面を見渡してみれば、そもそも羊牧場で飼育されている羊たちの羊毛には、管理のための記号が色とりどりのスプレーで乱暴に描きつけられていることに気づく。今も昔も、人間は家畜に働きかけることによって暮らしを成り立たせてきたのであり、増山が見ようとしているのは、おそらくその働きかけるときの手わざの触感ではなかろうか。スプレーで一気に済ますのではなく、時間をかけて丁寧に紡ぎ、編む、その手わざのリアリティーを求めていたに違いない。
社会の労働環境が工業化され情報化された現在、羊毛産業自体が斜陽になりつつあるという。手わざの手応えやリアリティーは失われ、由来の知れない商品が私たちの暮らしを満たしている。そうしたなか、ユーモアとともに手わざの触感を回復させる増山のプロジェクトには、社会的な批評性が確かに含まれている。

2013/10/05(土)(福住廉)