artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
渡辺眸「Tenjiku」
会期:2013/09/06~2013/10/12
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
渡辺眸は鈴木清(1943年生まれ)とほぼ同世代の1942年生まれ。本展でも、彼女が1970年代に撮影した「ヴィンテージ・プリント」がまとめて展示されていた。写真家が被写体を撮影してから、あまり間を置かずにプリントされた印画を、希少性を鑑みて「ヴィンテージ・プリント」と称するのだが、最近はその価値が広く認められ、販売価格も上がりつつある。あまり偏重しすぎるのも考えものだが、確かに「ヴィンテージ・プリント」は魅力的ではある。今回の渡辺の展示でも、やや色褪せ、黄ばんだ風合の印画紙が、過ぎ去って降り積もっていく時の象徴のように、燻し銀の輝きを放っていた。
タイトルの「Tenjiku(天竺)」は言うまでもなくインドの古名だが、どこか魔法めいた響きがある。渡辺は1970年代によくインドを訪れ、前半(1972~73年)は主にモノクロームで、後半(1976年~)はカラーでスナップショットを撮影していた。渡辺の写真のなかにも、魔法がかかっているような場面がたくさん写っている。牛、山羊、鴉やニワトリ、象などの動物と人間たちの世界は渾然一体になっており、そこでは人間は動物のように、動物は人間のように見えてくるのだ。
そのような神秘的、アミニズム的な雰囲気は、どちらかと言えばモノクロームの写真の方に色濃い。カラーになると、生活感、現実感が増してくるように思える。だが、より体温に近い状態で撮影されたカラー写真のインドの光景にも、また違った面白さがある。光と闇の両方の側から湧き出てくるような色彩が、みずみずしい生命力で渦巻き、流れ出てくるからだ。
2013/10/04(金)(飯沢耕太郎)
鈴木清「流れの歌 夢の走り」
会期:2013/09/27~2013/10/26
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
2000年に亡くなった鈴木清の写真の仕事は、2008~09年にオランダ、ドイツを巡回した「Kiyoshi Suzuki: Soul and Soul 1969-1999」展や、2010年に東京国立近代美術館で開催された「鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴」展によって、彼の生前の活動を知らない世代にも受け入れられつつある。今回のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムの個展では、最初の写真集である『流れの歌』(1972)、およびグラフィック・デザイナー、鈴木一誌と組んで写真集づくりに新たな局面を見出していった『夢の走り』(1988)収録の写真が展示されていた。
今回特に重要なのは、写真集には収録されなかった作品が、「ヴィンテージ・プリント」として展示してあったことだ。たとえば、『流れの歌』の表紙にも使われている、洗面器の底に貼り付いたつけ睫毛の写真のヴァリエーションと思われる作品がある。上下2枚の写真が組み合わされていて、上には虫眼鏡で拡大したメンソレータムの容器が、下には洗面器と髪を洗う女の姿(当時同居していた妹さんだろう)が写っている。いかにも鈴木らしく、身の周りの状況を独特の角度から切り取ったいい作品だが、僕の知る限り、この写真は雑誌等にも未発表のはずだ。おそらく鈴木が写真集を編集する段階で候補作としてプリントし、最終的には使用しなかったものだろう。
このような写真が出てくるのは嬉しい驚きだが、反面やや心配なのは、鈴木の仕事の全体像がまだ確定していないこの時期に、プリントとして販売されてしまうと、今後のフォローが難しくなるのではないかということ。とはいえ、展示を積み重ねていくことで見えてくることもたくさんあるはずで、より若い世代のなかから、彼の写真をしっかりと検証していく動きがあらわれてくるといいと思う。
2013/10/04(金)(飯沢耕太郎)
秋山正仁 展 CROSSROADS
会期:2013/09/30~2013/10/05
Gallery K[東京都]
山梨県在住の秋山正仁の新作展。長大なロール紙に色鉛筆だけで都市風景を緻密に描き出す平面作品を、年に一度東京の画廊で発表している。
今回展示されたのは、主に50年代から60年代のアメリカ文化をモチーフにした作品。絵巻物のように横に長いので右から順に見ていくと、さまざまな色合いで細かく描かれた街並みを貫くクロスロードの随所に、アメ車に乗ったマリリン・モンローやジョン・F・ケネディー、ジェームス・ディーンらが次々と現われてくるのが面白い。
映画や音楽が輝いていた古きよきアメリカ。それらを描き出した画面の奥底に、追慕や憧憬が強く作用していることは間違いない。けれども、秋山の描き出す平面作品には、そうした中庸な言葉には到底収まりきらない迫力がみなぎっている。ノスタルジーと言うには、細部を執拗に描写する執着力が凄まじいからだ。しかし、それらは色鉛筆による柔らかい質感で表現されることによって、執着力がしばしば伴う攻撃性を巧みに回避している。結果として、秋山の絵は見る者の視線をやさしく内側に誘い込むのである。
いつまでも見ていたい。そして絵巻物のように果てしない時間に身を委ねたい。そのように思わせる絵は、思いのほか少ないという点で、秋山の平面作品を高く評価したい。
2013/10/04(金)(福住廉)
超京都2013「現代美術@平成の京町家」
会期:2013/10/05~2013/10/06
平成の京町家モデル住宅展示場 KYOMO[京都府]
京町家の大商家や、東本願寺の飛地境内地といった京都の歴史的建造物を会場に、現代美術の作品展示を行なってきた「超京都」。3回目の今回は、過去2回から一転して現代の住宅展示場を会場に選定。と言ってもありきたりなショールームではない。「平成の京町家」を提案する極めて珍しい住宅展示場なのだ。伝統的な意匠や設計思想を継承しつつ、室内は現代のライフスタイルにも合致した平成の京町家は、現代美術との相性も抜群。美しい生活空間と作品がマッチして、ほかでは味わえないユニークな美術体験ができた。しかし、住宅5棟に7画廊と1美術大学が集ったこのイベントで、入場料2,000円が妥当かと言われるとやや疑問。主催者の苦労を知るだけに言いにくいが、この点だけは改善の余地ありだ。
2013/10/04(金)(小吹隆文)
印象派を超えて──点描の画家たち
会期:2013/10/04~2013/12/23
国立新美術館[東京都]
タイトルが「印象派を超えて」と「点描の画家たち」の2段がまえのうえ、「クレラー=ミュラー美術館所蔵作品を中心に」「ゴッホ、スーラからモンドリアンまで」という長ったらしいサブタイトルもつく。それだけ見どころが多いともいえるが、焦点が絞りきれていないとも考えられる。展示は、モネやシスレーらの感覚的な点描に始まり、スーラ、シニャックらが確立した科学的点描(分割主義と呼ぶ)、その影響を受けたゴッホやゴーギャン、さらにベルギーとオランダの分割主義を経て、モンドリアンの抽象にいたる流れをたどるもの。これを見れば、20世紀美術を決定づけた抽象の源流のひとつが点描にあると受け止めることもできるだろう。その意味ではよく練られた展覧会といえるが、しかし見せたいのは個々の画家や作品ではなくモダンアートの流れそのものなので、見せ場がモネ、スーラ、ゴッホ、モンドリアンなどいくつかに分かれてしまった。タイトルがひとつに絞りきれないのもうなずける。
2013/10/03(木)(村田真)