artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
幸村真佐男 展 | LIFE LOG─行雲流水─
会期:2013/08/02~2013/08/31
N-MARK B1[愛知県]
日本におけるコンピュータ・アートの先駆者ともいえる幸村真佐男の個展。今年で70歳を迎える幸村の作品に、ただただ圧倒された。
展示されたのは、代表作である《非語辞典》と、文字どおりのライフワークである《LIFE LOG》。コンピュータによって文字をランダムに組み合わせる《非語辞典》は、ありうる文字の配列を計算可能な限りすべて網羅する、とてつもない作品だ。印刷された紙はすべて製本され、事典のように分厚い本として見せられる。本展で発見された《行雲流水》は、四字熟語のうち「雲」と「水」だけを固定したうえで、残りの2つにありとあらゆる漢字を当てはめていくもの。規則的に変換していく漢字の様態に美しさを感じないわけではないが、それより何より、あまりにも膨大な漢字の質量に辟易せざるをえない。
その圧倒的な質量は《LIFE LOG》でも十全に発揮されている。幸村自身が日常的に撮影してきたスナップ写真、およそ300万枚をつなぎ合わせ、それらを高速で見せていく。そのスピード感は凄まじく、とても被写体を正しく認識することなどかなわない。しかもすべてを見ようとした場合、27時間も必要とされるという。
幸村の作品に顕著なのは、強力な身体性である。それが従来のコンピュータ・アートやコンセプチュアル・アートに見られない特質であることは間違いないが、だからといって身体パフォーマンスや手わざの痕跡を直接的に感知できるわけでもない。正確に言えば、目に映る文字や写真といったメディアの背後に、幸村自身の並々ならぬ衝動や欲望をまざまざと感じ取ることができるのだ。こうした表現のありようは、ひそやかで思慮深い、今日の若いアーティストには望めない特質だが、だからこそひときわ輝いている。
2013/08/24(土)(福住廉)
若手芸術家・キュレーター支援企画 1floor 2013 黄色地に銀のクマ∪(あるいは)スーパーホームパーティー
会期:2013/08/24~2013/09/16
神戸アートビレッジセンター[兵庫県]
神戸アートビレッジセンターの「KAVCギャラリー」と「1room」を舞台に、若手アーティストが展覧会やイベントを行なう「1floor」。展覧会実施までの各段階でアーティストが積極的に関与し、その過程をウェブで公開しているのが特徴だ。今回選ばれたのは、共に1980年代後半生まれの谷本真理と野原万里絵の2名。谷本は陶芸、木材、ビニール紐、食物などを駆使したインスタレーション、野原は平面作品によるインスタレーションを発表したが、会場は両者の境界がわからないほど一体的な空間に仕上がっており、まずそのことに驚かされた。次に、両名とも自分の意思ではコントロールできない偶然性の介入や、ある種のルールを設けることで表現の可能性を広げる点に特徴があり、プロセスを重視する姿勢や素材・手段に対する柔軟性が際立っていた。毎回興味をそそられる「1floor」だが、今年の出来栄えは頭ひとつ抜きん出ていたように思う。
2013/08/24(土)(小吹隆文)
あいちトリエンナーレ2013 モバイル・トリエンナーレ
会期:2013/08/23~2013/08/25
穂の国とよはし芸術劇場プラット[愛知県]
豊橋に移動し、モバイル・トリエンナーレの会場へ。駅と直結する新施設、穂の国とよはし芸術劇場プラットのさまざまな場所(小ホール、練習室、吹抜け、通路など)にあいちトリエンナーレのアーティストによる作品が散りばめられ、ひとめぐりすると、全体の空間もわかる。モバイル・トリエンナーレは、16人の作家が本展とは別の作品を展示し、さらに映像プログラムの一部もここで見せるプログラムである。想像以上のヴォリューム感だった。今後も知多、春日井、東栄町の三ヶ所で週末に開催される予定。
2013/08/24(土)(五十嵐太郎)
わた死としてのキノコ 今村源/オディロン・ルドン 夢の起源
静岡市美術館[静岡県]
会期:
わた死としてのキノコ 今村源:2013/8/6~10/27
オディロン・ルドン 夢の起源:2013/6/29~8/25
静岡市美術館へ。今村源「わた死としてのキノコ」展は、エントランスの空間を思い切り使う気持ちのいいインスタレーションである。漫画『悪の華』でも頻出するルドンの展覧会は、岐阜県美術館のコレクションに、作家の地元ボルドー美術館からの出品を加え、ルドンという画家の個性がどう形成されたかを細かく検証する。
写真:わた死としてのキノコ会場風景
2013/08/24(土)(五十嵐太郎)
畠山直哉「BLAST」
会期:2013/08/20~2013/09/07
Taka Ishii Gallery[東京都]
石灰岩採掘のための爆破現場をリモート・コントロールのカメラで撮影した「BLAST」シリーズは、畠山直哉にとって重要な意味を持つ作品である。同じく石灰岩の鉱山を撮影した「Lime Hills」をはじめとする彼の初期作品は、細部まで厳密に構築された画面構成に特徴があった。被写体を、その周辺の環境を含めてあたう限り精確に写しとっていくその手つきには揺るぎないものがあったと思う。ところが、1995年から開始されたこの「BLAST」のシリーズでは、写真家としてのコントロールが不可能な状況を相手にしなければならなかった。2,000トンを超えるという大岩が吹き飛ばされて宙を舞う爆破現場はあまりにも危険すぎて、自分の手でシャッターを切ることができないのだ。それゆえ、このシリーズでは、爆破の様子がどう写っているのかはフィルムを現像・プリントしてみなければわからない。このような不確定な状況に身を委ねざるを得ない撮影を経験したことで、揺らぎ、偶然性、無意識などを積極的に取り込んだ新たな撮影のシステムが模索されていくことになる。そのことが、畠山の作品世界を一回り大きなものにしていったのではないだろうか。
このシリーズを集大成した写真集『BLAST』(小学館)の刊行に合わせて開催された今回の個展では、これまでの展示とは違うタイプの作品が選ばれている。画面全体がブレていたり(地面を転がってきた岩が三脚に当たったのだという)、地平線や空の部分がなく、画面全体が「オールオーバー」に岩石のかけらに覆われたりしているような作品だ。全体として、さらに不確定性が増大しているように感じる。畠山自身が写真集の「ながいあとがき」で述べているように、故郷の陸前高田市の実家が「3.11」の大津波で流失したという出来事が、「BLAST」の全体を見直す契機になっているのは間違いないだろう。シリーズそのものにはとりあえずの区切りがついたようだが、写真を通じて自然と人間との関係を探求していく彼の営みは、今後も粘り強く続けられていくのだろう。
畠山直哉
「Blast #14117」2007年
ラムダプリント、100 x 150 cm
Courtesy of Taka Ishii Gallery
2013/08/24(土)(飯沢耕太郎)