artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
カタログ&ブックス│2019年10月
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます
◆
公の時代
官民による巨大プロジェクトが相次ぎ、炎上やポリコレが広がる新時代。社会にアートが拡大するにつれ埋没してゆく「アーティスト」と、その先に消えゆく「個」の居場所を、二人の美術家がラディカルに語り合う。
身体を引き受ける トランスジェンダーと物質性(マテリアリティ)のレトリック
「LGB fake-T」として、不可視化されてきたトランスジェンダーの身体。本書は、現象学や精神分析をトランスジェンダー理論として読み直す。「身体自我」、「身体図式」などの概念を駆使して、トランスジェンダーの身体経験を理論的に考察。「身体とは単なる物質的なものではなく、身体イメージの媒介によってはじめて生きられる」というトランスジェンダーの身体経験の分析を通じて身体そのものを問い直し、「感じられた身体」と「物質的な身体」の不一致や心身二元論を乗り越える枠組みを提示する。トランスジェンダースタディーズの重要書。
ジュディス・バトラー絶賛!
アフター・カルチュラル・スタディーズ
〈文化〉と〈政治〉をめぐる問いを深化させてきたカルチュラル・スタディーズの大いなる蓄積の後に、どのような批判的な知を構築し直せるのか? そして、新自由主義により社会が分断され、現実の基盤が崩壊するなかで、どのような知を追い求めればいいのか? 〈連帯〉へと向かう、挑戦の書。
空蓮房 仏教と写真
2006年に、谷口昌良が寺院の一角に瞑想のための空間として構えた「空蓮房」。
そこで開かれた写真展示を振り返り、その活動と書かれた言葉に思いを巡らす。
谷口が仏教と写真術を同時に考えて語る理由や意義を、畠山直哉によって 「翻訳」し「解釈」したものでもある本文は、いま写真芸術に最も必要とされることは何なのか、
その深化した議論を喚起するための問いかけであり、「祈り」である。
光の子ども3
第一部、完結。
戦争、科学、ファシズム、女たち、地震、デマ──
重層的なテーマを、和紙に描かれた漫画、テキスト、写真や図など膨大な資料のコラージュで表現。
〈放射能〉と、今日直面するエネルギー問題のつながりを読みとくアート・コミック。
写真の物語 イメージ・メイキングの400年史
写真の誕生から180年。いまではさまざまなイメージがメディアに溢れ、誰もがあたりまえに接している「写真」とは本来どのようなものなのだろうか。
写真発明の前史から現代までの400年の歴史を、発明競争、技法の開発、大衆の欲望、美術やメディアとの相互関係といった観点から豊富な作品例とともにたどり、交錯する歴史から、「モノ」としての写真とその発展をめぐる人々の物語を描き出す、気鋭の写真史家による新たな写真史。作品図版も多数掲載し、入門書としても最適。
ゲンロン10
ゲンロンの機関誌『ゲンロン』は、2019年の秋に第2期に入りました。
『ゲンロン』第1期は2015年冬刊行の『ゲンロン1』に始まり、2018年秋刊行の『ゲンロン9』で終了しました。『ゲンロン10』は、1年の準備期間を経ての、第2期再創刊号となります。第2期の『ゲンロン』は、半年から9ヶ月の期間をおいて、不定期に刊行される予定です。
第2期の編集長も、第1期に続いてゲンロン創業者の東浩紀が務めます。第1期の『ゲンロン』は、戦後日本の哲学と文芸批評の伝統をアップデートする試みとして、読書界で高い評価を得ました。第2期の『ゲンロン』は、そのレガシーを継承しつつも、より広い読者を対象とした新たな知的言説の創出に挑みます。
YCAM BOOK
YCAMの取り組みをご紹介する冊子「YCAM BOOK」が完成しました。この冊子は、YCAMの多岐に渡る活動をご紹介するとともに、YCAMがある山口県の観光地・宿泊・飲食店の情報をご案内するものです。
YCAMの概要や周辺の情報を紹介する「YCAM GUIDEBOOK 2019-2020」と、2018年度のYCAMの活動を振り返る「YCAM ANNUAL REPORT 2018-2019」の2冊で構成されており、両者合わせて200ページを超える大ボリュームです。購入はYCAM1階のチケットインフォメーションのほか、全国の書店などでも販売中です。お見かけの際はぜひご購入ください。
建築学生ワークショップ出雲2019 ドキュメントブック
建築等の分野を専攻する大学生や院生を対象にした地域滞在型のワークショップ、「建築学生ワークショップ出雲2019」の作品や制作の様子などを豊富な写真で紹介する。実施制作に向けた経緯をまとめた冊子付き。
◆
※「honto」は書店と本の通販ストア、電子書籍ストアがひとつになって生まれたまったく新しい本のサービスです
https://honto.jp/
2019/10/15(火)(artscape編集部)
國分功一郎『原子力時代における哲学』
発行所:晶文社
発売日:2019/09/25
前著『中動態の世界』(第16回小林秀雄賞)に続く著者の2年半ぶりの新著が、本書『原子力時代における哲学』である。とはいえ、本書は2013年に行なわれた全4回の連続講義をもとにしており、そこには2011年の福島第一原発事故以来、原発をめぐるあらゆる議論が背負うことになった「緊張感」(317頁)が生々しく刻印されている。
本書の導入にあたる第一講「一九五〇年代の思想」では、核兵器、およびその「平和利用」を謳った原子力発電に対して、過去いかなる議論が重ねられてきたのかが紹介される。たとえば、原子力に対して過去なんらかの理論的考察を行なった哲学者に、ギュンター・アンダースとハンナ・アレントがいる。しかし、アンダースの批判対象はほぼ核兵器に限定されていたし、「核の平和利用」を謳う原発についての考察を行なっていたアレントも、それを技術による疎外という図式に引きつけて論じるにとどまっていた。著者によれば、いまだ多くの人々が原子力に「夢」を見ていた20世紀半ばにおいて、原子力そのものに根本的な批判を加えていた哲学者はただ一人しかいない。その人物こそ、かのマルティン・ハイデッガーである。
本書の中盤は、そのハイデッガーのテクストを実際に読んでいくかたちで進む。とりわけ、そのほとんどが講義録であるハイデガーの著作集のなかでも、生前に刊行された例外的な書物のひとつである『放下』が読解の中心に位置づけられる(講演「放下」は1955年、著書としての『放下』の刊行は1959年だが、本書で述べられるように、その成立経緯はきわめて複雑である)。その前提として、比較的よく知られるハイデッガーの技術論や、ソクラテス以前の自然哲学に対する関心にまで視野を広げつつ(第二講)、著者は本書最大の関門である対話篇「放下の所在究明に向かって」を、慎重かつ大胆に読み進めていくのだ(第三講)。
とはいえ、「科学者」「学者」「教師(賢者)」を登場人物とするこの謎めいたハイデッガーの対話篇が、いったい原子力の何を明らかにしてくれるというのか──いつものごとく、大きな問いへとむけてゆっくりと、しかし着実に歩みを進めていく本書の結論を、ここで明らかにすることはしない。ただ、これは本書の議論が深まる後半(第三講・第四講)に顕著なのだが、『スピノザの方法』における「真理」、『暇と退屈の倫理学』における「環世界」、そして『中動態の世界』における「中動態」概念などに立脚しながら開陳される著者の思想は、これまでの仕事から驚くほどに一貫している。考察の対象となるテーマはそのつど異なっていながら、著者の問いはいつも「この」時代にむけられてきたことを、読者は本書を通じて身をもって感じることになるだろう。本書の読後に「原子力時代」とはつまるところ何か、と問われれば、それは「完全に自立したシステム」(271頁)を夢見るナルシシズムに満たされた時代だ、ということになろう。「原子力時代における」哲学の仕事とは、そのような時代にいかなる哲学が可能かを考えることにほかなるまい。
[hontoウェブサイト]
2019/10/07(月)(星野太)
Boyan Manchev『Clouds. Philosophy of the Free Body』
発行所:Metheor
発売日:2019/09
ソフィアおよびベルリンを拠点とする哲学者ボヤン・マンチェフは、2年前、母語であるブルガリア語で新著『雲』を上梓した
。過去に英語、フランス語、イタリア語をはじめとする複数の言語で著されてきた哲学的散文とは打って変わって、同書は全体にわたり断片的な、ほとんど詩的と言ってもよいテクストによって構成されている。「雲とは……である」というセンテンスの執拗な反復に貫かれたこの書物では、ボードレール、ブレイク、シェリーをはじめとするわずかな例外を除けば、明示的に第三者のテクストが引用されることもない。そのスタイルは、ジョルジュ・バタイユの思想を主要な導きの糸とする『世界の変容──ラディカルな美学のために』(Éditions Lignes, 2009)や、ドストエフスキー、アルトー、ブランショらの作品をつねに傍らにおいた『変身と瞬間──生の脱組織化』(La Phocide, 2009)といった旧著(いずれもフランス語)のそれとは際立って対照的である。筆者がマンチェフ本人から『雲』の話を聞いたのは、彼がドラマトゥルクとして関わる「メテオール」という集団が、新たに同名の出版レーベルを立ち上げたときのことだった。アニ・ヴァセヴァ(演出家、アーティスト)、レオニード・ヨフチェフ(俳優)、ボヤン・マンチェフ(哲学者、ドラマトゥルク)の3名を中心とするメテオールの舞台作品は、すでにブルガリア国内で高い評価を獲得し、その次のステップとして、同名の叢書の設立を計画しているところだった。それからわずか2年ほどのあいだに、メテオール叢書から刊行されたブルガリア語の書籍はすでに8冊におよぶ
。そして、同叢書から刊行される9冊目の書物にして、はじめての英語の書物となるのが、ボヤン・マンチェフによる『雲』の英訳(本書)である。はじめにも述べたように、本書は「雲」にまつわるいくぶん詩的なテクストである。同書の「プロレゴメナ」(序文)によれば、雲についての書物は、同時にそれ自体が雲のような書物でなければならない。著者の言い方に倣えば、「雲についての書物(book on clouds)」は、同時に「雲の書物(book of clouds)」にして、「雲のなかの書物(book in clouds)」でもなければならない(p. 15)。要するに本書がめざすのは、雲をめぐる抽象的な思索それ自体を、雲の形象へと接近させることである。これも著者が述べていることだが、「新たな哲学」は「新たな形式」の発明と不可分である(p. 16)。複数の文体を矢継ぎ早に切り替えていく『雲』の叙述形式もまた、まさしくそうした「新たな形式」を生み出すために選ばれたものにほかならない。
形式面だけでなく、内容面でもひとつ、本書の読みどころを紹介しておきたい。本書でもっとも特権的な人物として扱われるのは、哲学者でも文学者でもなく、ロンドン生まれの科学者ルーク・ハワード(1772-1864)である。もともと気象学には門外漢でありながら、若い頃から雲におおいに魅せられていたこのイギリス人は、のちに今日までつづく雲の分類の基本形を作り上げたことで知られる。かのゲーテとも交流のあったハワードによる雲の研究を、本書は──いささか驚くべきことに──カントの『判断力批判』(1790)とともに読むことを提案する。
なるほど、1783年に起こったアイスランドの大噴火が象徴的に示すように、雲はカントが同書で「崇高」と呼んだ自然現象と容易に結びつくものである。しかし、それはまだ物事の一面にすぎない。天空のいたるところで集合・離散を続け、そのたびごとに姿を変える雲は、噴火や雷鳴といった「崇高な」自然の象徴である以前に、私たちの思考を刺激する「形」をともなった「不定形な」現象の最たるものである(ここで著者はカントとともに、バタイユの名にも抜かりなく言及している)。そしてそれを、カントが「美的理念」と呼んだもの、すなわちいかなる概念もなしに、しかし思考を大いに刺激する理念に結びつけるのだ(p. 78)。そのような理念を産出する、「概念−以前のマグマ」としての雲(p. 80)──著者マンチェフが雲のうちに見いだすのは、「美」や「崇高」の手前に位置する、そうした感覚と理念の媒介のアナロジーなのである。
2019/10/07(月)(星野太)
奥山由之『Girl』
発行所:BOOTLEG
発行日:2019年9月14日
奥山由之は、2011年の第34回「写真新世紀」で優秀賞を受賞して、写真家としてデビューした。そのときの展示を見て、まだ21歳という若さにもかかわらず、ひとりの少女の姿を淡い光と影の移ろいのなかに浮かび上がらせ、その微かに身じろぐようなたたずまいを捉える能力の高さに驚かされた。何だかHIROMIXの写真のようだと思ったら、当のHIROMIXが審査員として優秀賞に選んでいるのがわかって、妙に納得したことも覚えている。
その受賞作「Girl」は、2012年にPLANCTONから少部数の写真集として刊行されたのだが、あまり話題にもならず絶版になっていた。その後奥山は、 写真集『BACON ICE CREAM』(PARCO出版、2016)を刊行し、同名の個展をパルコミュージアムで開催して、一躍注目を集めるようになった。その後の活躍ぶりはめざましいものがある。今回BOOTLEGから復刊されたのは、その彼の写真家としての原点というべき写真集『Girl』である。
あらためてページをめくると、写真作品一点一点のクオリティの高さだけでなく、モノクローム写真にカラー写真を効果的に配合して、少女を軸とした物語を構築していく力を、彼が既にしっかりと身につけていたことがわかる。だが、その完成度の高さは諸刃の剣といえるだろう。あまりにも早く自分の世界ができあがると、そこに安住して、同工異曲の繰り返しに走ってしまうことがよくあるからだ。だが、奥山はその後『Girl』を足場にして、意欲的に自分の写真の世界を拡張していった。それが、現在の彼の写真家としての立ち位置につながっているということだろう。
2019/09/25(水)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス│2019年9月
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます
◆
かたちは思考する 芸術制作の分析
セザンヌからスミッソンに至る近現代美術、ゴダールの3D映画、トンネル工事の記録写真、そして同時代の演劇やダンスまで、多様なジャンルを包摂してひろがる「芸術」という営みを、一貫した方法論的精密さで分析する。芸術作品を見ることを通して、見る「私」を作り変える、驚異の芸術論。
ドナルド・ジャッド 風景とミニマリズム
《ミニマリズム》という用語がさまざまな領域に浸透している現在、はたして美術における《ミニマリズム》とは何であったのか?
現代アートを代表する美術家、ドナルド・ジャッド(1928-94)の絵画、オブジェクト作品、リノベーション建築から家具制作に至るキャリアを中心に、作品構造と形態の変化を克明に辿りながら、いかにしてミニマリズムの芸術が人工的な風景や工学的構造などに触発されてきたかを追求する。
SPECULATIONS 人間中心主義のデザインをこえて
社会も、テクノロジーも、デザインを取り巻く利害関係も、ますます複雑化し混迷を極める世界において、今デザインはどこにあり、またデザインに何が求められているのでしょうか。本書で紹介するのは、そんな世界にあっても倫理を手放すことなく実践し、デザインと社会、そして実践と理論の接地面に光を射してくれる、合計99の「デザインリサーチ」です。本書では、今着目すべきデザインの問題系を明らかにするために、合計3パート/9つの章を設け、それぞれのテーマごとに11の事例と多様な編著者による導入テキストを収録しています。
瓦礫の未来
2019年プリツカー賞受賞。世界的建築家による最新の著作。
天災と人災による破壊のさなかで、建築家は失った者たちや虐げられた者たちと語り合い、新たな点と線を描き、設計する。都市の政治的・経済的・メディア的状況に確かな視線を送り届けるための大胆な提言書。
イメージを逆撫でする 写真論講義 理論編
ベンヤミン、シャーカフスキー、バッチェン、バルト。これまで写真について紡がれた代表的な言説をたどり直し、そこに伏在する二項対立を撹乱し「逆撫で」することで見えてくる写真理論の新たな相貌。イメージ=写真がますます遍在し覆い尽くす世界に近づく橋頭堡の構築のために。著者待望の写真論。
東南アジアリサーチ紀行──東南アジア9カ国・83カ所のアートスペースを巡る
小川希(Art Center Ongoing代表)が2016年の3ヶ月間、東南アジア9カ国を巡り、83カ所のインディペンデントなアートスペースをリサーチした旅の記録を収録した書籍の新装改訂版。
東南アジアのスペース情報の更新に加え、東南アジアの多様な「コレクティブ」の在り方に触発されて立ち上げた「Ongoing Collective」での実践と葛藤、そして可能性について綴られた「『おわりに』の『つづきに』」を新たに収録しました。
関連記事
オルタナティヴ・アートスクール
──第4回 自分たちに必要なプロジェクトをつくる アートプロジェクトの0123|白坂由里:トピックス(2019年04月15日号)
wow, see you in the next life. /過去と未来、不確かな情報についての考察 The magazine vol.1
山口情報芸術センター[YCAM]で開催されるcontact Gonzo+YCAMバイオ・リサーチ「wow, see you in the next life./過去と未来、不確かな情報についての考察」(2019年10月12日〜2020年1月19日)に関連して制作されたマガジンの1号目。会期前から会期末にかけて、contact Gonzoメンバーの塚原悠也によるSF小説などを所収したマガジンが3回発行される。山口情報芸術センター[YCAM]にて販売中。
関連記事
過去と未来、不確かな情報についての考察──YCAMバイオ・リサーチとcontact Gonzoがとりくむ身体表現(第2報)|津田和俊/吉﨑和彦:キュレーターズノート(2019年09月15日号)
身体はどこから来て、どこへ行くのか──YCAMバイオ・リサーチとcontact Gonzoがとりくむ身体表現|津田和俊/吉﨑和彦:キュレーターズノート(2019年06月01日号)
しなやかな闘い ポーランド女性作家と映像 1970年代から現代へ
本展より代表的な出品作品と当館学芸員と関係者のテキストを掲載。全199頁。
◆
※「honto」は書店と本の通販ストア、電子書籍ストアがひとつになって生まれたまったく新しい本のサービスです
https://honto.jp/
2019/09/17(火)(artscape編集部)