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國分功一郎『原子力時代における哲学』

2019年10月15日号

発行所:晶文社

発売日:2019/09/25

前著『中動態の世界』(第16回小林秀雄賞)に続く著者の2年半ぶりの新著が、本書『原子力時代における哲学』である。とはいえ、本書は2013年に行なわれた全4回の連続講義をもとにしており、そこには2011年の福島第一原発事故以来、原発をめぐるあらゆる議論が背負うことになった「緊張感」(317頁)が生々しく刻印されている。

本書の導入にあたる第一講「一九五〇年代の思想」では、核兵器、およびその「平和利用」を謳った原子力発電に対して、過去いかなる議論が重ねられてきたのかが紹介される。たとえば、原子力に対して過去なんらかの理論的考察を行なった哲学者に、ギュンター・アンダースとハンナ・アレントがいる。しかし、アンダースの批判対象はほぼ核兵器に限定されていたし、「核の平和利用」を謳う原発についての考察を行なっていたアレントも、それを技術による疎外という図式に引きつけて論じるにとどまっていた。著者によれば、いまだ多くの人々が原子力に「夢」を見ていた20世紀半ばにおいて、原子力そのものに根本的な批判を加えていた哲学者はただ一人しかいない。その人物こそ、かのマルティン・ハイデッガーである。

本書の中盤は、そのハイデッガーのテクストを実際に読んでいくかたちで進む。とりわけ、そのほとんどが講義録であるハイデガーの著作集のなかでも、生前に刊行された例外的な書物のひとつである『放下』が読解の中心に位置づけられる(講演「放下」は1955年、著書としての『放下』の刊行は1959年だが、本書で述べられるように、その成立経緯はきわめて複雑である)。その前提として、比較的よく知られるハイデッガーの技術論や、ソクラテス以前の自然哲学に対する関心にまで視野を広げつつ(第二講)、著者は本書最大の関門である対話篇「放下の所在究明に向かって」を、慎重かつ大胆に読み進めていくのだ(第三講)。

とはいえ、「科学者」「学者」「教師(賢者)」を登場人物とするこの謎めいたハイデッガーの対話篇が、いったい原子力の何を明らかにしてくれるというのか──いつものごとく、大きな問いへとむけてゆっくりと、しかし着実に歩みを進めていく本書の結論を、ここで明らかにすることはしない。ただ、これは本書の議論が深まる後半(第三講・第四講)に顕著なのだが、『スピノザの方法』における「真理」、『暇と退屈の倫理学』における「環世界」、そして『中動態の世界』における「中動態」概念などに立脚しながら開陳される著者の思想は、これまでの仕事から驚くほどに一貫している。考察の対象となるテーマはそのつど異なっていながら、著者の問いはいつも「この」時代にむけられてきたことを、読者は本書を通じて身をもって感じることになるだろう。本書の読後に「原子力時代」とはつまるところ何か、と問われれば、それは「完全に自立したシステム」(271頁)を夢見るナルシシズムに満たされた時代だ、ということになろう。「原子力時代における」哲学の仕事とは、そのような時代にいかなる哲学が可能かを考えることにほかなるまい。


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2019/10/07(月)(星野太)

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