artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
カタログ&ブックス│2012年1月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
石子順造的世界──美術発・マンガ経由・キッチュ行
美術評論を主軸としながら「表現」と呼ばれる領域を生活者のレベルから具体的に捉えようと試み、いわゆる「美術」を超えてマンガや演劇、芸能、果ては誰も気にとめない「ガラクタ」の類いにまで論の対象を広げた評論家、石子順造(いしこじゅんぞう)(1928年〜1977年)。石子の眼を通じて1960年代から1970年代にかけての、ひいては日本の文化を眺め、見直した府中市美術館での展示をまとめたカタログです。[美術出版社サイトより]
ART TRACE PRESS 01
2011年8月24日 ART TRACE GALLERYにて開催された松浦寿夫×林道郎による対談記録、沢山遼による書き下ろしテキストの他、キャロル・C・マンクーシ=ウンガロ、マイケル・フリード、ウイリアム・ルービンの、ポロックに関する重要文献の初翻訳を掲載。日本初となる回顧展、『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』(愛知県美術館 / 東京国立近代美術館)をご覧いただくにあたり、必読の一冊です。[ART TRACEサイトより]
現代建築家コンセプト・シリーズ11 長谷川豪──考えること、建築すること、生きること
1977年生まれの若手建築家、長谷川豪による初の著作集。全体をゆるやかに3つの章「考えること」「建築すること」「生きること」に分節し、長谷川豪の建築作品とそこに至る思考をあきらかにする。建築と生、リアリティとヴィジョンなど、さまざまな遠近を地続きのものとして捉え、建築という形を与えてゆく様子に、読者は彼の思考のやわらかさとその建築の可能性を感じるだろう。[INAX出版サイトより]
にほんごっ子
博報財団が設立以来大切にしている日本語や日本語教育について、その背景にある風土・ 文化も含めて様々な角度から探究する、新しいスタイルの広報誌です。日本語を話し、日本語を教えるすべての皆様に読んでいただきたいと考えています。[博報財団サイトより]
聖なる銀──アジアの装身具
2011年12月よりINAXギャラリーにて開催されている「聖なる銀 アジアの装身具 展」のカタログ。アジアの近・現代に見られる装身具より特徴的な約100点を披露。各地域における形態と文様に表れた深意を探り、銀の歴史や加工などにも触れながらビジュアル豊富に展開する。アジアは銀の装身具の宝庫。広大な地域を巡りながら民族のシンボルに出会える一冊。[INAX出版サイトより]
通天閣──新・日本資本主義発達史
塔から眺めた一大資本主義パノラマ。将棋の王様・阪田三吉の軌跡と大大阪の空間性、新世界の荒廃と飛田遊廓、ジャンジャン町の隆盛。産業資本と大阪政界の思惑の一方で、借家人同盟、野武士組、女給たちが立ち上がる……塔のみえる場所で、人々は彷徨い、遊び、闘い、そして何を生んだか? 圧倒的密度で描く、大阪ディープサウス秘史![青土社サイトより]
2012/01/16(月)(artscape編集部)
ERIC『LOOK AT THIS PEOPLE』
発行所:赤々舎
発行日:2011年12月1日
香港出身で日本在住の写真家、ERICの新作写真集。ERICはこれまでずっとストリート・スナップ一筋に撮影し続けており、今回のシリーズもその延長線上にある。ただ前作の『中国好運』(赤々舎、2008)などと比較すると、同じく白昼の至近距離からの人物スナップでも、なんとなく印象が違ってきているように感じる。今回、彼が撮影したのは中国雲南省で、山岳民族の姿が目立ち、「水かけ祭」や「泥塗り祭」などの珍しい行事が残っている地域だ。中国人の彼にとってもエキゾチックな場所と言えるだろう。被写体との距離感のとり方にやや戸惑いを感じている様子がうかがえる。それだけでなく、以前のぎらつくような挑戦的なパワーがあまり感じられない。それは別にマイナスではなく、むしろ彼のスナップシューターとしての能力が、さまざまな被写体に自在に対応できる段階にまで達していることを示しているのではないだろうか。いかにも穏やかな、ゆったりとした生き方を感じさせる雲南の住人たちに、ERICも柔らかな眼差しで応えているように感じた。
本書の刊行記念ということでAKAAKAの2階で開催された先行販売イベントでは、ERICが2011年秋に撮影したタイの洪水のスナップ写真も見ることができた。こちらも実に面白い。タイの人々が、あたかも洪水を心から楽しんでいるような、笑顔のあふれる表情で写っている。発泡スチロール製のボート(?)が行き交い、主婦が腰まで水につかって買い物に行くような非日常的な街の様子と、彼らの屈託のない、祝祭的な雰囲気のアンバランスさがなんともシュールだ。ぜひ、写真集や写真展のかたちで公開してほしい。
2012/01/14(土)(飯沢耕太郎)
篠山紀信『ATOKATA』
発行所:日経BP社
発行日:2011年11月21日
篠山紀信が東日本大震災の被災地を撮っていることは知っていたし、作品の一部も『アサヒカメラ』(2011年9月号)の「写真家と震災」特集などで目にしていた。その時点では、どちらかといえば否定的な見方だった。これまで途方もないキャリアを積み重ね、現在もAKB48のような芸能界の最前線を撮ることができる写真家が、なぜわざわざ震災を撮らなければならないのか、まったく理解できなかったからだ。ところが、実際に書店に並び始めた大きく分厚い写真集『ATOKATA』のページをパラパラめくっていくうちに、自分でも意外な思いが湧いてくるのを感じた。むろん、釈然としない気分が完全に消えてしまったわけではない。だが、そこに並んでいる津波に根こそぎにされた松林や、散乱する瓦礫、破壊された家々の写真は、たしかに「写真家」の仕事としてのクオリティと強靭さを備えていた。こういう言い方は誤解を産むかもしれないが、そこには「見る」ことの健康な歓びがあふれ出ているようにも感じた。死の影に覆われた被災地の写真にもかかわらず、あらゆる場面に圧倒的な生命力が横溢しているのだ。どうしても認めざるをえないのは、これは篠山紀信以外にはまず撮れない「震災後の写真」であるということだ。ほかにもさまざまな理由があるだろうが。最初に彼を捉えたのは「見たい」という強烈な欲望なのではないだろうか。篠山の意志というよりは、彼の巨大で貪欲な「目ん玉」が、彼を現場まで引きずっていったという方が正しいかもしれない。結果としてその欲望のおもむくままに、見るべきものを見尽くすまで「全身全霊で向き合った」写真群が残された。この写真集を、売れっ子写真家の売名行為だとか、被災者を食い物にしているとか批判するのは簡単だ。だが、篠山自身は、そんな批判が出てくることなど百も承知だろう。自分の「目ん玉」の要求にとことん応えていくことが、この写真家の職業倫理であり、今回もそれを貫いているだけだと思う。ただ、5,800円+税という値段の写真集を、いったい誰が買うのだろうかという疑問は残る。巻末の「被災された人々」のポートレートも、いい写真だが、このままだとアリバイづくりに見えかねない。こちらを中心にした廉価版の写真集も考えられるのではないだろうか。それと、篠山にはぜひこの後も東北を撮り続けてもらいたい。彼の写真のポジティブな力が必要になるのは、むしろこれからだからだ。
2011/12/23(金)(飯沢耕太郎)
杉浦康平・脈動する本──デザインの手法と哲学
会期:2011/10/21~2011/12/17
武蔵野美術大学 美術館[東京都]
武蔵野美術大学美術館は、2008年から3年をかけてデザイナー杉浦康平から全作品の寄贈を受けた。この展覧会では寄贈品のなかからブックデザインの仕事を中心に約1,000点を紹介する。会場では、本に見立てたであろう厚みのある解説パネルを中心に、デザイン手法の変遷ごとに杉浦の半世紀にわたる仕事が展示されている。膨大な展示品のなかに、杉浦の仕事とは知らずに手にとったことがある本が多数あることに気づかされる。書店の棚で私たちに訴えてくる文字と図像。装幀の仕事は一見地味であるが、その印象は人々の心に刻み込まれている。展示会場の構成にも杉浦自身が関わっている。杉浦のブックデザイン同様、そこには全体としてのパターン、秩序があるにもかかわらず、個々はそのなかに埋もれない。展示の島は一つひとつが独自で、それぞれが心に刺さる棘を持つ。
展示された作品の数々にも圧倒されるが、図録もまた圧巻である。収録されている小さな図版をルーペで覗くと、一文字一文字を読むことができるのだ! 緻密に計算された杉浦デザインの構造を明らかにする鈴木一誌氏の分析、杉浦康平の仕事の進め方についてついて記した松岡正剛氏の証言も興味深い。松岡氏を含め、編集者たちは新しい本を創りだしてくれることを期待して杉浦に仕事を依頼するのだが、その一方で杉浦がどのような大胆な提案を行なうか恐怖していたという。時間、コスト、複雑な印刷指定や造本技術、編集者の作業負担……。そうした無数の障壁、編集者にとっての恐怖を乗り越えたところに、誰も見たことのないデザインが生まれるのである。
同時期にギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された「杉浦康平・マンダラ発光」展(2011/12/01~12/24)は、映像と音響によって体験する杉浦デザインの世界。これもまた異色のデザイン展であった。[新川徳彦]
2011/12/17(土)(SYNK)
カタログ&ブックス│2011年12月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
ミルフイユ03
落ち葉を幾重にも重ねたような、直訳すれば「千の葉」という意味のお菓子「ミルフイユ」。さまざまなイメージやメッセージや人々が層をなして重なり合う活動をその名前に託した機関誌『ミルフイユ』の第3号を刊行します。第3号となる今号では、「土着」をテーマに、谷川俊太郎ほか、多彩な顔ぶれによる寄稿、仙台出身の写真家、故・中村ハルコの特集、開館10周年事業トークセッション「コミュニケーションの未来へ」の採録とモデレーターによる論考などを収録しています。[せんだいメディアテークサイトより]
いま、バリアとはなにか
開館10周年事業として2010年に行われた同名企画の記録集。情報技術の拡大とともに幕を開けた21世紀が10年を経たいま、私たちの社会はどのようにあるのか。「バリア」をキーワードに、メディアテークから見えてくるこれからの社会の可能性を表現。会期中に行われた作品展示やレクチャーの記録を中心に、参加作家による書き下ろし原稿を採録。執筆:桂英史、小山田徹、藤井光、港千尋、北川貴好、三輪眞弘、佐近田展康、光島貴之ほか。[せんだいメディアテークサイトより]
袴田京太朗作品集
1980年代後半から、一貫して「彫刻とは何か」を自身に問いながら、さまざまなカタチを制作し続けている彫刻家・袴田京太朗。私たちが思い描く彫刻のイメージを揺さぶる作品群を制作年代順に掲載。その潔い変化は、進化し続ける作家のこれからを期待させる作品集。[求龍堂ホームページより]
アーティストのためのハンドブック──制作につきまとう不安との付き合い方
本書は、アーティストが、自分の制作をしていく際の心がまえをコンパクトに説くやさしい哲学であり、迷った時、行き詰まって辞めたくなったときの心の助けになるような指南書です。「この作品をつくるのは何のため?」 「これは行なう価値がある?」「これを続けて食べていける?」「多くの人が辞めてしまうのはなぜ?」……誰もが覚えのある、アーティストでありつづけるかぎり襲われる、このような答えの出ない不安と共存し、飼い馴らしながら、自分の制作をやめずに続けていくための、「すべてのジャンルの〈制作者たち〉に効く常備薬」、“心の”サバイバル・ガイドなのです。[フィルムアート社ホームぺージより]
超域文化科学紀要 第16号 2011
東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻の発行する、毎年1回刊行の査読付研究雑誌。
Wolfgang Tillmans Abstract Pictures
ヴォルフガング・ティルマンスの最新写真集。初期のものから最新作まで、抽象的な作品を収録。
2011/12/15(木)(artscape編集部)