artscapeレビュー
奇っ怪紳士!怪獣博士! 大伴昌司の大図解 展
2012年08月01日号
会期:2012/07/06~2012/09/30
弥生美術館[東京都]
大伴昌司とは何者であったのか。さまざまな分野で才能を発揮したこと。自分について多くを語らなかったこと。そのうえ、彼は「何者か」になる前に、36歳の若さで逝ってしまった。知人、友人、仕事を共にした人々の証言にも、いったい彼は何者だったのかという疑問が繰り返されている
多彩な仕事のなかでも人々に大きなインパクトを与えたのは、昭和40年代の『少年マガジン』誌で展開された大図解シリーズであろう。端緒は怪獣だった。テレビ番組「ウルトラマン」に登場する怪獣たちが、どのような能力を持っているのか、なぜ火を噴いたり超音波を発したりできるのか。大伴は空想上の存在である怪獣を、あたかも実在の生物や機械であるかように徹底的な図解を試みた。怪獣のほかにも、特撮映画に登場する基地や乗り物なども解剖されたが、それらが必ずしも公式の設定ではなく、大伴とイラストレーターたちによって生み出されたオリジナルな世界であるという点には驚嘆させられる。ただし、大伴にとっては空想の世界も現実の世界も、たいして区別はなかったようだ。大伴が『少年マガジン』の巻頭で展開したテーマにはSF的な未来像も描かれれば、地方の伝説も取り上げられている。また、「大空港」や「深夜ラジオ」といったテーマは、現実社会の裏方を豊富な写真で紹介する企画である。こうした彼の仕事のなかに一貫性を見出すとすれば、第一に二次創作が挙げられる。すなわち、彼はすでに存在するものの周辺に独自のストーリーを付け加え、オリジナルの世界をいわば勝手に拡張していった。大伴昌司が元祖オタクとも呼ばれる所以である。もうひとつはビジュアル・ジャーナリズムである。『マガジン』で展開した手法を大伴は「テレビの印刷媒体化されたもの」と語っている。彼にとってイラストや写真はブラウン管の映像であり、テキストは音声、ナレーションであった。大図解とはテレビ的表現を雑誌メディアに置き換えるという実験的手法であった。
大伴昌司の新しさはどこにあったのだろうか。SF作家たちは空想の世界にリアリティを持たせるため、さまざまな事象が合理的に見えるように説明しようと腐心してきた。現実の生物や機械などを図解する手法は古くから存在した。怪獣は大伴の創造物ではない。大伴は多数のスケッチを残したが、誌面で使用する絵を描いたわけではない。大伴が写真を撮ったわけでもない。となれば、大伴はさまざまな人々の仕事を結びつけたに過ぎないという言いかたもできるかもしれない。しかし、大伴が取り上げたようなテーマを、大伴が行なったような手法で展開した者はそれまでにはいなかった。雑誌メディアに途を切りひらき、のちの人々のために新たな表現手法を残したという点において、大伴昌司は天才的な編集者、プランナーであったのだ。
大伴昌司による多数のスケッチのほか、横尾忠則、みうらじゅんらが寄稿している図録 は同時代の文化を知る資料としても貴重である。[新川徳彦]
2012/07/18(水)(SYNK)