artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

『死なない子供、荒川修作』DVD発売記念 五十嵐太郎×池上高志×渋谷慶一郎×山岡信貴 トークショー

会期:2011/11/23

青山ブックセンター内 カルチャーサロン青山[東京都]

カルチャーサロン青山にて、山岡信貴監督とトークショーを行なう。映画では、一番見たかった、ここで生活しているのはどんな人たちかが紹介される。荒川へのビデオレターのような作品だった。そして人と環境/建築の相互作用とはどういうことか、また死なない、とはどういうことなのかなどの問いを考えていく。筆者が体験したアンチテーマパークとしての《養老天命反転地》、名古屋の《志段味循環型モデル住宅》、二度訪れた《三鷹天命反転住宅》、あるいは建築とアートの関係を語る。山岡監督からは、荒川がわざわざ住宅展示場の正面を敷地に選んだ興味深いエピソードをうかがう。

2011/11/23(水)(五十嵐太郎)

RE; BUILD 生き還る建物と心

会期:2011/11/23

シネマート六本木[東京都]

バンタンデザイン研究所の学生が、3.11以降を見据えた特集上映「RE; BUILD 生き還る建物と心」を企画した。ラインナップは以下の通り。『軍艦島1975 ─模型の国─』は、廃棄された直後の風景を撮影したもの。3.11以降、人が入らなくなったフクシマを思わせるが、その一方で生い茂る植物や動物の生命力もフィルムに写り込む。実際、被災地でも緑の力は強いのだが。『維新派 蜃気楼劇場』は、汐留貨物線跡に仮設の街舞台をつくり解体するまでのドキュメントである。今思うと、当時はバブル期だけに、実際の都市風景に挿入されながら、蜃気楼のように現われて、消えていく、スクラップ・アンド・ビルドの虚構の街は別の意味を帯びてくる。『ジョルジュ・ルース 廃墟から光へ』は、だまし絵的な作風のルースが、阪神淡路大震災で廃墟となったビルや倉庫に、作品を制作するドキュメント。登場する人たちが90年代の顔とファッションで懐かしい。『死なない子供、荒川修作』は、《三鷹天命反転住宅》に暮らす山岡信貴監督が撮影したドキュメントである。バンタンの学生はまずこの映画を上映したいという思いから、今回の企画を立ち上げたのだという。

2011/11/23(水)(五十嵐太郎)

サウダーヂ

会期:2011/10/22~2011/11/25

ユーロスペース[東京都]

山梨県甲府市を舞台にした群像劇。土方と移民とラップを中心に、薬物、売春、差別、政治、経済、労働などの社会的問題を巻き込みながら、出口のない閉塞感と空洞感を描き出す。画面の随所に現われるのは、シャッター通りと化した商店街や、さまざまな移民コミュニティ、そして国粋化してゆく若いラッパーたち。疲弊した地方都市の暗部を淡々と見せつけるリアリズムが凄まじい。この映画で描かれているような、周縁に追いやり、追い詰め、やがてほんとうに消してしまうほど人間を逼迫させる社会は、一昔前までであればどこか遠い国の過酷な現実として受け止めていたが、いまはちがう。程度の差こそあれ、グローバリズムのしわ寄せは、いまや日本中の街という街に及びつつあるからだ。しかも、一向に出口が見えないがゆえに、アルコールや薬物に救いを求め、安全な自室に閉じこもり、外国への逃避を画策し、やり場のない攻撃性を身近な他者に向けるというあがき方も、おそらく現代社会に顕著な病なのだろう。安易な希望や処方箋を示すことなく、感傷的な文学性に流されることもなく、徹底して地方都市と人間の模様を粘り強く描いた、おそろしい映画である。

2011/11/21(月)(福住廉)

『アンダーコントロール』

会期:2011/11/12

シアター・イメージフォーラム[東京都]

すでに政治的な決定により、原発を全廃することになったドイツの原発ドキュメント映画である。賛成とか反対のイデオロギーを出さず、淡々とその内部空間とシステムを描く。原発解体の現場や、廃墟になった原発はすごい迫力である。また建設途中で廃棄されることになった未完成の原発が遊園地に転用された事例では、なかなかシュールな風景が生まれていた。

2011/11/12(土)(五十嵐太郎)

『Under 40 Japanese Architects』

http://www.under40japanesearchitects.com/

ベルギーから東北大の五十嵐研に来ていた留学生のヴィンセント・エヒテが修士課程の修了作品として制作した映像『Under 40 Japanese Architects』がウェブ上で公開された。ちょうど東北大学やせんだいスクール・オブ・デザインの講師に訪れていた石上純也、平田晃久、中山英之、西田司らのインタビューと、《KAIT工房》など、彼らの建築を収録したものである。最初に彼に会ったとき、大分の藤本壮介による《House N》のCGを使ったムービー作品を見せてもらったが、その後、日本に滞在し、実際の建物と本人の映像を撮りためて、今回の完成に導いた(残念ながら、タイミングが合わず、藤本へのインタビューはかなわなかった)。途中、東日本大震災による帰国という障害を乗り越えて、日本の若手建築家の現在を知るための、すぐれた映像作品になっている。院生のレベルを超えているのは、本人が建築よりも映像を志しているからだろう。

2011/11/09(水)(五十嵐太郎)