artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

ブリューゲルの動く絵

会期:2011/12/17

ユーロスペース[東京都]

タイトルどおり、ブリューゲルの絵を動かした映画。レイ・マイェフスキ監督は、16世紀のフランドルを舞台にしたブリューゲルの絵画《十字架を担うキリスト》を、最新のCG技術によって映像化した。そびえ立つ岩壁の上の風車小屋や車刑のための高いポール、そして十字架を背負ったキリストを中心とした群像。絵画と同じ風景のなかで絵画と同じ人物が動き出し、画面に表わされていない前後の物語が想像的に描かれてゆく。演出上の最も大きな特徴は、絵画には描かれていないブリューゲル本人(あの『ブレードランナー』のルトガー・ハウアー!)が登場していることと、そのブリューゲルをはじめ絵画に登場しない何人かだけが言葉を語る反面、絵画に登場している人物たちは言葉を一切発しないこと。会話によって物語を綴るという文法が採用されていないため、ふだんの映画の見方がまったく通用しないところがおもしろい。むろん、ブリューゲルに精通している人であれば、また違った楽しみがあるのかもしれないし、そうでない人にとっては退屈以外の何物でもないのかもしれない。けれども、この映画の醍醐味は絵画のなかに入ってあれこれ想像をめぐらすという私たちが常日頃おこなっている鑑賞経験そのものを映像化した点にあるように思われる。一枚の絵から物音や自然音を再生することはあっても、人と人の会話まで想像することは稀だろうし、映画のラストで美術館に展示されているブリューゲルの実作をズームアウトしていくシーンは、明らかに鑑賞という想像的な脳内活動の終わりを示していたからだ。その意味で、この映画はブリューゲルについての映画というより、ブリューゲルの絵画を鑑賞する私たち自身を描いた作品だと言えるだろう。

2011/11/09(水)(福住廉)

ルキノ・ヴィスコンティ『ベニスに死す』

会期:2011/010/01~2011/11/11

テアトル梅田ほか[大阪府]

イタリア・ネオリアリズム映画の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督(1906-76)の代表作のひとつ『ベニスに死す』(1971年、イタリア・フランス、131分)がニュープリント版となって上映された。ドイツの文豪パウル・トーマス・マンの同名小説を映画化した作品で、主人公のモデルとなったのはロマン派の作曲家グスタフ・マーラーだと言われている。物語は単純で、静養のためベニスを訪れたドイツの大作曲家が滞在先のホテルで出会った美少年に究極の美を求めるという話。出身は貴族、青年時代は熱心なコミュニスト、晩年は耽美主義者と言われたヴィスコンティ監督と彼の映画を一言で定義するのは難しい。ヴィスコンティ研究者でさえも彼の映画の核心を掴み取ることは容易ではないと言うほど。本作はヴィスコンティの晩年の作品で、晩年の傑作という讃辞と、無味乾燥で退廃的という批判を同時に受けた。どちらにしろ、老巨匠がくれた荘厳なまでに美しい画面を楽しめるのは幸運なことではないか。[金相美]

2011/11/09(水)(SYNK)

『ニーチェの馬』

[埼玉県]

タル・ベーラ監督の最後とされる映画『ニーチェの馬』を見る。おそろしく、カット数が少ない。ひきのばされたミニマル・ミュージックのごとく、極小にまで削ぎおとされた要素。農夫と娘と馬と訪問者、わずかな登場人物。クライマックスはない。たえず強風が吹きすさぶ谷間の家の窓から木が見える。そうしたカスパー・ダヴィット・フリードリヒの絵のような、風景と構図だけで映画が成立している。ロケハンでふさわしい場所を探し、そこにセットとして家をまるごと一棟建設したという。しかし、単調な反復がほころび、やがて世界が壊れていく。いや、世界はすでに終わっていたのかもしれない。創世記を反転したように、物語が終焉に向かっていく。

2011/11/04(金)(五十嵐太郎)

アンダーグラウンド

会期:2011/09/24~2011/11/25

シアターN渋谷[東京都]

かつてDVDはおろかビデオテープもなかった時代、シネフィルは固唾を呑んで映画を鑑賞していたという。自宅で再生できるわけではないから、いかなる一瞬も見逃すまいと、スクリーンに穴が開くほど視線を注いでいたそうだ。翻って飛躍的な技術革新を遂げたいま、私たちの視線は当時と比べると明らかに脆弱になっていると言わざるをえない。重要な台詞を聞き逃したとしても、いくらでも再生可能だから、あとで改めて確認すればいいだけの話だ。しかし、それがはたして私たちの文化や芸術を豊かにしたかといえば、そうともかぎらない。容易には見ることが叶わないからこそ「見る」意欲が高まり、ひいては批判的な感受性も敏感になるともいえるからだ。エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』は、DVDが廃盤になって久しく、見返すことが難しい名画のひとつだったが、このたび15年ぶりに上映された。記憶に残っていないシーンがないわけではなかったが、それでもブラスバンドの楽曲に誘われて思わず客席を立って踊りたくなる感覚が呼び起こされるところは15年前とまったく変わらなかった。しかも、ヨーロッパ中に張り巡らされた地下道のネットワークに示されているように、想像力によって歴史を物語る映画のありようがひとつも色あせていなかったところがすばらしい。虚構と現実を織り交ぜながら歴史を綴るという手法は、例えば大浦信行監督による『天皇ごっこ』がそうだったように、単に監督の自己表現というより、「歴史」というフィクションの本質に迫るために必要とされた戦術だったはずだ。であればこそ、私たちは『アンダーグラウンド』で描かれている、歴史をつくるために奔走し、その歴史に翻弄される人間たちの悲喜劇を、深い情動とともに受け止めることができたのである。バルカン半島のみならず、極東の島国が歩んできた歴史を想像的に物語る映画の日の出を待ちたい。

2011/10/24(月)(福住廉)

『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』

会期:2011/10/07

TOHOシネマズほか[全国]

近頃のハリウッド映画をみていると、日本や韓国、香港など、アジア映画をリメイクした作品やシリーズ物、しまいには既存のシリーズ物の前作にあたるといったものまで、安易な企画としか思えない作品が多い。CGを駆使した映像自体は原作や過去の作品に比べ見応えはあるものの、なぜかつまらない。集中力を切らさず退屈しない作品のほうが少ない。本作『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』も、1968年公開のSF映画『猿の惑星』の前話を描いたという。ちなみに「猿の惑星シリーズ」はティム・バートン監督のリメイク版『猿の惑星』(2001)まで、続編などを含め計7回制作されている。正直なところ、本作は半信半疑でみた映画だ。『猿の惑星』で主人公のテイラー隊長(チャールトン・ヘストン)が砂に埋もれた自由の女神を発見し絶叫するラストシーンを、その衝撃を超えるなにかがあるのだろうかと。答えは「なるほど」といったところ。ハリウッド映画だからと言われればそれまでだけど、観客に負担をかけない丁寧な説明(展開)、喜怒哀楽を見事に表わす猿たちの表情や動き(技術)、霊長類保護施設に入れられたシーザー(主人公の猿)がホースで水をかけられる場面のように『猿の惑星』を意識させる巧みな仕掛けなどなど、すんなり入り込み楽しめる作品となっている。ストーリー上では今作からオリジナルへとスムーズなドッキングをはたしたと言っていいだろう。ただ、1968年の作品では科学技術の急速な進歩に対する希望と不安が、2011年の作品では人間(理性と感性をもった猿たちを含め)や人間性への問いが主軸に据えられている。[金相美]

2011/10/10(月)(SYNK)