artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

2012イメージの新様態 no.21「Out of Place」

会期:2012/07/17~2012/07/29

GALLERY SUZUKI、ANTENNA MEDIA[京都府]

GALLERY SUZUKIで毎年開催される恒例の企画展。今年は伊丹市立美術館の藤巻和恵をキュレーターに招き、会場を2カ所に増設して行なわれた。出品作家は、AKI INOMATA(映像、他)、上村亮太(絵画)、川辺ナホ(写真、他)、田口行弘(映像)の4名。私のお気に入りはAKI INOMATAで、やどかりに自作の小オブジェを提供する《やどかりに『やど』をわたしてみる》や、ペットのインコが本人より先にフランス語のフレーズを覚えてしまう《インコを連れてフランス語を習いに行く》は、どちらも傑作だった。もちろんほかの3人も秀作ぞろいで、見応えあり。2つの会場は少々離れており移動が手間だったが、それを補って余りある充実した展覧会だった。

2012/07/17(火)(小吹隆文)

「モバイルハウスのつくりかた」イベント トーク2「坂口恭平とは何者か?」ゲスト:五十嵐太郎、本田孝義

会期:2012/07/15

渋谷ユーロスペース[東京都]

渋谷のユーロスペースにて、本田孝義監督とトークを行なうために、彼の映画『モバイルハウスのつくりかた』を再び劇場で見る。坂口恭平のダンボールハウスをつくる防災ワークショップ、トークショー、多摩川のロビンソンクルーソーに指導を受けてつくるモバイルハウス、そして3.11以後のゼロセンターと独立国家論を撮影したドキュメントである。この映画がおもしろいのは、本や写真集ではわからない、坂口恭平という人間のふるまいやしゃべり方を映像でとらえているところ、また撮影中に3.11を迎え、彼の活動に「意味」が加わり、新しい始まりを記録したところだろう。トークで話題になったのは、3.11後、セルフビルドのバラックがほとんどなかったこと、もっとも半壊状態の家に住み続けたり、避難所内に自分の居場所を構築するさまはあったこと。そして昔、筆者が学生に「国家内国家を建設せよ」という無茶な設計課題を出したことも思い出した(参考文献は「吉里吉里人」など)。ともあれ、坂口恭平さんの出発点である反建築と、震災以降の新しい社会を「建築」する活動は、ともに完全なオリジナルではない。ただし、彼の人間力でほかよりも目立っていることが大きい。また1960年代によく語られていたことがいったん忘却された後、若い人には新鮮なものとして受容され、異なる文脈でよみがえっている。

2012/07/15(日)(五十嵐太郎)

この空の花──長岡花火物語

『この空の花』は忘れ難いヘンな映画である。大林宣彦の個性というべき不自然な演出とセンチメンタリズムが満載ながら、徹底したリサーチをもとに、3.11から日本近代の戦争史、そして新潟の地震、あるいは長岡、東北、天草、長崎、広島、中国、シベリア、ハワイを横断する奇蹟のような時空の旅だ。強烈な作家性と、史実を想像によってつなぐ物語の力がある。渋谷のアップリンクで見たのだが、大林宣彦監督も小さな会場で一緒に見ていて、上映後にトークが行われた。かつて軍国少年だった彼が、その後、平和なニッポンを享受し、長岡の花火と3.11と遭遇してつくられた作品だとわかる。

2012/07/14(土)(五十嵐太郎)

平川典俊「木漏れ日の向こうに」

会期:2012/04/14~2012/06/10

群馬県立近代美術館[群馬県]

僕は以前、平川典俊について「なぜ東京で『東京の夢』を見ることができないのか」という文章を書いたことがある(『déjà-vu』19号、1995年4月)。そのなかで、平川のことを「知的なアラキ」なのではないかと論じた。彼の「東京の夢」(1991年)、「At a bedroom in the middle of night」(1993年)、「女、子どもと日本人」(1994年)などの写真作品に見られる、モデルの女性の性的なイメージを直接的に開示するのではなく、「じらし」や「ほのめかし」によって暗喩的に表現していく手法が、荒木と共通しているのではないかと考えたのだ。
その印象は、今回群馬県立近代美術館で開催された、彼の日本の公共美術館では初めての大規模な個展を見てもそれほど変わらなかった。ただ、平川自身がカタログに掲載されたアート・リンゼイとの対談「不確定の目撃者」でも強調しているように、彼と荒木とは「アートへのアプローチに於いては全く違った位置にいる」こともよくわかった。荒木の写真が、あくまでも彼と被写体となる女性との直接的な(私的な)関係を基点にしているのに対して、平川のモデルたちは彼のプロジェクトの一要素としてのみ取り扱われている。彼が常に問題にしているのは彼女たちの社会的な違和感や不安感であり、さらにその写真を見る観客の、抑圧され、歪められた反応のあり方なのだ。また平川が提示するイメージは、彼自身による大量のテキストによって、二重、三重に取り囲まれており、絡めとられており、観客の思考をその文脈によって方向づけていく。多くの場合、テキスト抜きに、いきなり物質化した性的イメージを突きつけてくる荒木とは、その点においても対照的だ。
それでも、平川がなぜこれほどまでに、性的な感情を刺激し、揺さぶるような写真にこだわり続けているのかという疑問は残った。彼は、自分は「写真に固執しているのではない」と何度も述べているが、僕のような立場から見ると、彼の写真のたたずまいは実に魅力的なのだ。昆虫が花の蜜に引き寄せられるような心理的な罠が、至るところに仕掛けられていて、知らず知らずのうちに妄想の糸を紡ぎ出すように導かれてしまう。他のヴィデオ作品やインスタレーション作品に比べても、彼の写真作品の巧妙さ、独特の喚起力は際立って見える。平川典俊は天性の写真家なのではないだろうか。少なくとも、彼ほど写真の力を熟知し、効果的に使用しているアーティストは他にあまりいないのではないかと思う。

2012/06/05(火)(飯沢耕太郎)

ニコラス・プロヴォスト「Plot Point Trilogy」

会期:2012/04/22~2012/07/01

ARGOS Centre for Art & Media[ベルギー ブリュッセル]

続いて、その近くのROSASとの所縁が深いダンス・振付けの学校P.A.R.T.S.を訪問し、市内のギャラリーめぐりを行なう。ARGOSも大胆なリノベーション空間で、映像を中心に紹介しているスペースだった。ニコラス・プロヴォスト展は、ニューヨーク、ラスベガス、東京を舞台にした不穏な三部作で強烈なインパクトをもつ。

写真:ARGOS

2012/05/30(水)(五十嵐太郎)