artscapeレビュー
映像に関するレビュー/プレビュー
100,000年後の安全
会期:2011/04/02
渋谷アップリンク[東京都]
放射性廃棄物をどのように処分するのか。原子力発電に依存する現代社会がいままさに直面している、この宿命的な問題について、フィンランドの事例から考えさせるドキュメンタリー映画。ほとんど地下都市といってよいほど巨大な地層処分施設に高レベルの放射性廃棄物を次々と埋蔵してゆき、一定の容量に達すると永久に封鎖するという計画の全体像を、じっさいの施設の様子と関係者の証言によって浮き彫りにした。機械的で人工的な映像美が放射性廃棄物の非人間的な一面を象徴していたが、それより際立っていたのは、それらが安全に保全されるために必要な10万年という時間についてあれこれ思考する専門家たちの想像力のありようだ。絶対的な危険に近寄らせないためには、将来の人類にどのような手段で伝えるべきなのか。言語なのかイラストなのか。いや、伝えるというより、むしろその存在じたいを完全に封印してしまうべきなのか。そのとき人類は地球上に生存しているのか。人類の文明社会の歴史をはるかに凌ぐほどの途方もないスケールで安全性について検討する専門的な想像力は、逡巡やためらいを露にすることも含めて、たしかに傾聴に値する。しかしその一方で、それが人類の生存の根幹を明らかに脅かす「負の遺産」であることを思えば、そもそも放射性廃棄物を後世に残すことのない世界を想像する必要があるのではないかと思えてならない。容易には解決し難い難問を、空間的には「地下」や「地方」へ押しつけ、時間的には「未来」へ先送りしたうえで成立する都市文明とはいったい何なのか? 豊かな想像力は、「正の遺産」を構想することに駆使したい。
2011/05/25(水)(福住廉)
『ブラックスワン』
会期:2011/05/11
ヒューマントラストシネマ有楽町[東京都]
母を殺せるか? 成し遂げられなかった自己実現を自分に代行させるために、寵愛や庇護を惜しみなく与えてくる母を。「箱入り娘」に限らずとも、現代を生きる女性の多くが直面している、このきわめて現代的なテーマを、プリマバレリーナをめぐるドラマに置き換えて仕上げたのが本作だ。ホワイトスワンとしては申し分ない才能に恵まれながらも色気が乏しいがゆえにブラックスワンになりきれない主人公が、陰気な母や演出家の伊達男、そして妖艶な魅力を放つライバルなどによって精神的に追い詰められてゆき、やがて幻覚に苛まれながらブラックスワンへと変貌を遂げていく物語が、じつにテンポよく進行していく。精神を収縮させるようなサイコホラーの連続から圧倒的なバレエを爆発させるクライマックスへと至る構成もすばらしい。文字どおりカタルシスを存分に味わえる映画だが、この構成そのものがオルガスムスのそれと重なり合っているようにも思われた。つまり性的な自立が母殺しを可能にすることが観客に暗示されていたわけだが、主人公はそれをみずからの死と引き換えにしなければ成就しえなかったところに、やりきれない悲劇がある。
2011/05/18(水)(福住廉)
プレビュー:森口ゆたか あなたの心に手をさしのべて
会期:2011/04/29~2011/06/26
徳島県立近代美術館[徳島県]
人と人との触れ合い、愛情の交感をストレートに表わした映像インスタレーションで高い評価を受けている森口ゆたか。以前はオブジェや映像、鏡を組み合わせて存在の不確かさを表現していたが、1998年から約2年滞在した英国で目にしたホスピタル・アートに衝撃を受ける。帰国後は日本でホスピタル・アートを広めるNPO活動を行なう傍ら、自身の新たな作風を深めてきた。本展では、《TOUCH》《LINK》《光の刻》などの近作をまとめて展覧。寛容な慈愛の精神を喚起する作品は、きっと多くの人の心を揺さぶることだろう。
2011/04/20(水)(小吹隆文)
トゥルー・グリット
会期:2011/03/18
TOHOシネマズ六本木ヒルズ[東京都]
コーエン兄弟にしては珍しい、王道の西部劇。同時期に公開された『サイレントマン』(2009)がいかにもコーエン流の黒い笑いを伴った不条理劇だったのに対し、本作は父親の敵討ちを果たすために荒野を旅する少女を描いた、立派な物語映画だ。主人公の少女は聡明で理知的、しかも無骨な保安官や強気なレンジャーを従えるほど豪気でもある。百戦錬磨の猛者たちに囲まれたこのような少女像は、おのずとナウシカに代表される宮崎駿のアニメーションを連想させるが、決定的に異なっているのは、コーエン兄弟が映画の終盤で、この少女の行く末を描いていることだ。年齢を重ねた主人公は、かつてと同じように理知的ではあるが、顔の表情は硬く、聡明というよりむしろ高邁な印象を与える。孤独を自尊心で塗り固めるような生き方。必ずしもハッピーエンドとはいえない結末をあえて描き出すところに、コーエン兄弟の良質な悪意が込められているのだろう。
2011/04/14(木)(福住廉)
SOMEWHERE
会期:2011/04/02
ヒューマントラストシネマ有楽町[東京都]
なんとも不思議な映画である。物語の骨格はいたって凡庸。快楽に溺れるまま人生の方向性を見失っていたハリウッド俳優が、別居していた娘と向き合うことで未知の方向に踏み出すことを決意するというもの。全速力を出し切れないままコースを延々と周回するスーパーカーをとらえた冒頭のシーンがやり切れない虚無感を、広大な砂漠を貫く一本道を自分の足でゆっくり歩き出す結末のシーンが未来へと踏み出す新たな出発を、それぞれ象徴的に描いていることも、じつにわかりやすい。しかも、舞台の大半は豪奢なホテルで、セレブリティーの私生活をあけっぴろげに披露するような映像がひたすら続く。こうした単純明快な映像はえてして眠気を誘うものだが、ちっとも眠くならないし、ますます画面から眼が離せなくなるのは、いったいどういうわけか。娘役のエル・ファニングがとてつもなくかわいいからなのか、西海岸の乾いた光を巧みに取り入れた映像が美しいからなのか、あるいは「おれは空っぽの人間だー!」と泣きながら絶叫する主人公が笑えるからなのか、よくわからない。そういえば、『ロスト・イン・トランスレーション』も似たような風情が漂っていたから、もしかしたらソフィア・コッポラの特異な才覚は、単純な物語を冗長になる一歩手前のリズムできわどく描き出すところにあるのかもしれない。
2011/04/13(水)(福住廉)