artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

ノルウェイの森

会期:2010/12/11

TOHOシネマズスカラ座[東京都]

もし世界がこんなにのっぺら坊の一枚岩になってしまったとしたら、一刻も早くおさらばしたい。思わずそんな独り言を喉元で呑みこんだほど、映画『ノルウェイの森』は単調きわまりなく、じつに退屈な映画である。というのも、この映画の登場人物たちはみな一様にボソボソと呟くような話し方をしていたからだ。それが「世界的文学」を映像化した監督の世界観の現われなのか、あるいはそもそも村上春樹のファンは小説を読むときからすでにあのような小さくて暗い声を脳内で再生させているのか、正確なところはよくわからない。百歩譲って、根暗な主人公はよしとしよう。ただ、その陰湿な文学青年を効果的に引き立てるはずの脇役まで同じように暗く染め上げてしまったのは、どうにもこうにも理解に苦しむ。緑の心に落ちている陰は表面上の明るさと表裏一体だからこそ陰になりうるのであって、天真爛漫なキャラクターを失ってしまえば緑は緑でなくなり、直子とのちがいがわからなくなってしまう。ニヒルな魅力とユーモアにあふれていたレイコも、この映画では肉欲にかられた年上の女にすぎない。みんながみんな小さな声でブツブツとなにやら「文学的」な会話を繰り広げる、自己陶酔を極限化したエロ映画。ここには、しかしはっきりと美術の問題が含まれている。撮影のロケーションとして神奈川県立近代美術館鎌倉館や多くの貸し画廊が入居している銀座の奥野ビルが登場しているからではない。趣味趣向を共有する同族同士で連帯しながら他者を排除する一方、その親密性の高い範囲だけを世界として誤認する傾向は、オタク文化を背景にしたスーパーフラットであろうと、翻訳不可能な独自の絵画言語を死守する抽象絵画であろうと、社会的であることを金科玉条とするアートプロジェクトであろうと、いまやあらゆるアートに通底する「普遍的」な性格だからだ。無数の小宇宙が並立する相対主義に居直るこのであれば、何も問題はない。けれども、群島のあいだを交通する航路を切り開こうとするのであれば、このつぶやき型コミュニケーションとどうすれば関係性を結ぶことができるのかを考えなければならない。これを思うと、さらに気が滅入る。

2011/01/01(土)(福住廉)

ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人

会期:2010/11/13

シアター・イメージフォーラム[東京都]

90年代が「キュレイターの時代」だったとしたら、昨今は「コレクターの時代」らしい。日本に限ってみても、高橋龍太郎の「ネオテニー・ジャパン」(上野の森美術館ほか)や山本冬彦の「サラリーマンコレクター30年の軌跡」(佐藤美術館)、上田國昭・克子夫妻の「ゲンダイビジュツ『道(ドウ?)』」(練馬区立美術館)など、コレクションの傾向や作品の大小こそ異なるにせよ、これまで表舞台に上がることが少なかったコレクターにスポットライトが当てられるようになっている。これが、制作する美術作家を言説の面で牽引する美術批評や歴史的文脈に位置づけるキュレイションの弱体化と表裏一体の関係にあることは疑いないし、コレクターが前面化した背景にギャラリストが隠れていることもまちがいない。アート系の映画としては異例のロングランを続けている本作も、その意味では、現代アートの消費者の拡大と底上げを目論むギャラリストによる啓蒙映画として利用されている側面がないわけではないだろう。けれども、佐々木芽生監督が元郵便局員と図書館司書の夫妻のつつましくも豊かな暮らしに密着したこの映画は、そうした底の浅い「戦略」を打ち砕くほど、じつにまっとうなコレクターの真髄を浮き彫りにしている。それは、コレクションの前提には必ず「鑑賞」があるという厳然たる事実だ。ニューヨークの画廊界隈に頻繁に出没するハーブ&ドロシーの行動は、有望な作品を目ざとく買いあさってすぐさま転売して利益を得ようとする投機的なコレクターというより、むしろ銀座の画廊街に毎週出没する、一風変わった名物老人に近い。じっさい、この映画でもっとも印象的なのは、膨大なコレクションを文字どおり押し込んだ狭いアパートの一室より、この夫妻がオープニングに足しげく通いつめ、おしゃべりに興じながら批評的に鑑賞している姿だ。そう、鑑賞の先にコレクションや批評があるのであり、決してその逆ではないということを、ハーブ&ドロシーは身をもって体現しているのである。コマーシャルギャラリーの展覧会だけしか見ていないくせに現在のアートシーンを総括してしまうようなたちの悪い学芸員や美術評論家、売れそうな新人を一本釣りするために美大の卒展を徘徊する貪欲なギャラリスト、そのギャラリストの口説き文句を鵜呑みにして作品を買ってしまう低俗なコレクターが横行している昨今だからこそ、できるだけ多くの展覧会に足を運び、自分の眼で作品を批評的に鑑賞するという大原則を終始一貫させているハーブ&ドロシーの誠実な態度は際立っている。よきコレクターの映画というより、よき鑑賞者の映画である。

2011/01/01(土)(福住廉)

『トロン:レガシー(TRON LEGACY)』

会期:2010/12/17

全国TOHOシネマズほか

『トロン:レガシー』。1982年に公開された、世界初のフルCG映画『トロン』の続編が遂にそのヴェールを脱いだ。2010年が『アバター』の年だったとしたら、2011年は『トロン:レガシー』の年になれるだろうか。
20年前、エンコム社の設立者、ケヴィン・フリンが謎の失踪を遂げる。成長したケヴィンの息子サムがエンコム社の大株主になるが、彼の日課は利潤を追うばかりの経営者たちを困らせること。ある日、サムに謎のメッセージが届く。謎を解く手がかりを求めて、父の経営していたゲームセンターを訪れたサムは、そこでサイバースペースにのみ込まれてしまう。サムが行き着いたのは、父ケヴィンがつくり出した理想の世界。未知の敵と激戦を繰り広げながら、父と再会し、反乱を起こしたクルー(ケヴィンがつくったプログラム)から人類を救うというのが、この映画の大まかなストーリーだ。
あまりにも典型的なストーリーだ。生き別れた親を探し、暴君を追い出し、群れを救う。『ライオンキング』のサイバースペース版にすぎない。オビ=ワン・ケノービを連想させるケヴィンのファッションから光線剣、「父親ではない」という台詞に至るまで、『スター・ウォーズ』へのオマージュも満載すぎて、新鮮さがない。デジタル俳優の表現力からみても既存の映画を超えていない。『トロン』前編が公開された1982年には、『E.T.』、『ブレードランナー』といったSFの名作が次々と公開され、『トロン』は注目されることもなく、もちろん興行成績もそれほど芳しくなかった。28年ぶりに呪われた名作を蘇らせたディズニーの夢は、今回も悪夢に終わってしまうのか。またこの映画に見どころはあるのか。それは「デザイン」だ。空間デザインとサウンドスケープ(音が描く風景)によってうみ出された新世界こそが、ディズニーが夢見た世界であり、この映画の見どころである。既存の3D映画、たとえば『アバター』が奥行きをつくり出すことで立体感を強調しているのに対し、この映画は平面をつくり出すことで、ストーリー展開上必要なサイバースペースと機械美、そして3Dという三つの要素を余すところなく実現させている。音の生み出す空気の密度もまた、観客をサイバースペースの真中に誘う。建築学を学んだ、監督のジョセフ・コジンスキーは「制作にあたって、まず映画制作の経験がない自動車デザインや建築分野の人たちに声をかけた」という。ストーリー不在という空白を、映像(デザイン)が見事に埋めている、別の意味で見ごたえのある作品だ。[金相美]
図版クレジット=(C)DisneyEnterprises, Inc.AllRightsReserved.

2010/12/21(火)(SYNK)

プレビュー:森村泰昌 なにものかへのレクイエム

会期:2011/01/18~2011/04/10

兵庫県立美術館[兵庫県]

2010年3月の東京都写真美術館を皮切りに、豊田市美術館、広島市現代美術館で開催されてきた本展が、最終巡回地の兵庫県立美術館にようやくやって来る。20世紀の歴史を彩った男たちに扮して、時代の核心に触れるような感覚で制作された写真、映像の数々が、広大な展示スペースを持つ兵庫県立美術館でどのように展示されるのかに注目したい。特に新作映像作品《海の幸・戦場の頂上の旗》は、かつてないほど雄弁に森村の芸術観が表明されている。彼の写真作品しか知らない人は是非見ておくべきだ。なお、兵庫県立美術館では本展に合わせて小企画展「『その他』のチカラ。──森村泰昌の小宇宙」を同時開催する。コレクターのO氏が収集した森村作品は、普通のコレクターでは入手しえないレアアイテムの宝庫。併せて観賞すれば、感動もひとしおである。

2010/12/20(月)(小吹隆文)

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山荘美学 日高理恵子とさわひらき

会期:2010/12/15~2011/03/13

アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]

自宅庭の百日紅(さるすべり)を、見上げる角度で描く日高理恵子は、安藤忠雄設計の新館で5点を出品。館蔵品のモネと同室で展示され、同じ絵画というジャンルながら、色遣い、構図、表現法など、さまざまな意味で対比的な展示を行なった。空間に対して大きめの作品を持ち込んで、観客が作品を凝視するよう誘導したり、作品を高い位置に設置することで、空間の垂直性を意識させる手法も見事だった。一方、さわが8作品の展示を行なったのは、古い洋館の本館。自室を舞台にした映像作品は、本館のアンティークなインテリアと相性抜群で、くつろいだ気分で作品世界に没入することができた。また、本館に展示されている民芸の器とも違和感なく馴染んでいた。規模的には小さくとも、考え抜いた展示により濃密な体験を提供した本展。キュレーションの妙を味わいたい人におすすめだ。

2010/12/15(水)(小吹隆文)

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