artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

レッド

会期:2011/01/29

新宿バルト9[東京都]

近頃、ハリウッド俳優がノリで出演しちゃったような映画が増えている気がするが、この映画もそのひとつ。何しろキャストには、ブルース・ウィリスをはじめ、モーガン・フリーマン、ジョン・マルコヴィッチ、さらにはヘレン・ミレンやリチャード・ドレイファスまで錚々たる面々が名前を連ねている。しかも、この面子でスパイ・アクション・ムービー。冗談としか思えないが、映画をじっさいに見ても、それほど笑えないところがまた、なんともおかしい。

2011/02/01(火)(福住廉)

冷たい熱帯魚

会期:2011/01/29

テアトル新宿[東京都]

善人の話は退屈だけれど、悪人の話であれば何時間でも聞いていられる。それが常識的な倫理や道徳をあっさり超越するほど飛び切り悪い話だったら、なおさらだ。園子温監督による本作も、吹越満が演じる主人公・社本を差し置いて、でんでんが演じる悪人・村田の魅力が全開にされた映画だ。ユーモアあふれる巧みな話術と細やかな人心掌握術によってヤクザや女を手玉に取り、強い者にはへつらい、弱い者には容赦なく強圧する村田の愛すべきキャラクターから、一時も眼が離せない。ウジウジしてオロオロするだけのもやしのような社本を前にして「警察とヤクザに狙われててもなあ、おれは自分の脚で立ってるんだよう!」と啖呵を切る言葉に、「うん、たしかにそのとおり」と膝を打つことしきり。いちいち説得力のある村田の人生論に比べれば、反抗する娘に「人生ってのはなあ、痛いんだよう!」と唐突に説教してみせる社本の言葉は、「いまさら何言ってんだ」と思わず鼻で笑ってしまうほど、白々しい。おそらく、この映画の肝は、常識や世間体に縛られることなく、村田の黒いカリスマ性を全力で描き切ることにあるのであって、悪人に翻弄される社本や社本のこじれた家族問題、あるいはクライム・サスペンスという設定ですら、それを巧みに引き立てるための演出装置にすぎない。あまりにも通俗的で凡庸なラストシーンも、興醒めさせられることにちがいはないが、それにしても映画としての物語を半ば強制的に終わらせるための手続きとして考えれば、我慢できなくはない。善と悪のあいだで揺れ動く曖昧な心情を綴ることを文学的と呼ぶとすれば、村田の悪人ぶりを完膚なきまで徹底的に描き切ったこの映画は、芸術的というべきである。

2011/02/01(火)(福住廉)

息もできない

会期:~2011/01/28

ユナイテッドシネマ豊洲[東京都]

名作中の名作である。身体の内側をきつく絞られるような映画とは滅多に出会えないが、この映画はまちがいなくそのひとつと断言できる。見終わった後、ほんとうに息ができなくなるほどだ。何がすばらしいのか挙げていけばきりがないが、そのひとつは残酷で無慈悲な現実を徹底して描き切っているところ。父親に暴力をふるわれて育てられた主人公のチンピラは、仲間はおろか女にも平気で手を出すくらい暴力に染まっているが、ヤン・イクチュン監督はこの男の悲劇をこれでもかというほど鑑賞者に直視させる。手持ちのカメラとクローズアップを多用した画面が、えもいわれぬ緊迫感を醸し出しているのかもしれない。しかも、『ヘブンズ・ストーリー』のように最後の最後で空想的な「神話」を持ち出すのでもなく、『冷たい熱帯魚』のように物語に無理やり決着をつけるわけでもなく、暴力が果てしなく続く絶望的な現実を最後まで描き切る冷徹な粘り強さがすばらしい。かつての被害者がいまの加害者となる暴力の連鎖については、たとえば『風の丘を越えて』(イム・グォンテク監督、1993年)でも主要なモチーフとなっていたが、この旅芸人の一家の物語にはパンソリという音楽芸術がまだ救済として残されていた。しかし『息もできない』には救済や贖罪のための芸術がまったくない。希望もないし、未来もない。その意味で、これは芸術が終わった後の、まさしくいま現在の時代に生まれるべくして生まれた映画である。正直に言って、精神的にはかなりしんどい。けれども、それが何ら嘘偽りのない現実であるなら、この映画を出発点として歩いていかなければならないのだろう。記念碑的な映画である。

2011/01/26(水)(福住廉)

森村泰昌 なにものかへのレクイエム─戦場の頂上の芸術

会期:2011/01/18~2011/04/10

兵庫県立美術館[兵庫県]

東京、愛知、広島を巡回し美術ファンの注目を集めてきた本展が、遂に(やっと)関西で開催。待たされた分だけ期待は膨らんだが、森村の作品はこちらが勝手に上げたハードルを楽々と超えてきた。「時代」という得体の知れないものに真正面から向き合って、堂々たる見解を示したその手腕に感服! また、映像作品の比重が高まっていることから、今後の森村の展開へも思いを馳せることができた。全43点の作品のうち、私が特に注目したのは、《烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)》と、《海の幸・戦場の頂上の旗》の2作品。共に映像で、これまでの森村では考えられないほどメッセージ性の強い作品だ。この2点を見られただけでも、本展は価値があると思う。

2011/01/22(土)(小吹隆文)

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暗殺の森

会期:2010/12/25~2011/01/07

シアター・イメージフォーラム[東京都]

同じ「森」でも、こうもちがうものか。ドミニク・サンダとステファニ・サンドレッリがまるでタイプのちがう女性を見事に演じて見せた『暗殺の森』は、直子と緑を似たような女性として映してしまった『ノルウェイの森』とじつに対照的だ。双方にいい顔をする卑屈で孤独な男をあいだに挟んでいる設定は同じだが、ちがっているのはおそらく女性の描き方だけではない。それは、世界への向き合い方だ。あちらが世界が多様であることの厳しさから逃避する無垢な美しさを描いたとすれば、こちらはその厳しさを正面から受け止める残酷な美しさを描いた。きらびやかな舞踏会での文字どおり心躍る熱気と、静かな森のなかで殺される冷たい恐怖。ベルナルド・ベルトルッチが描き出したのは、罪の意識に苛まれながらも、打算を働かせ、快楽を追究し、やがて孤独に打ちひしがれる人間のありようだった。「森」とは、それらが剥き出しのまま露にされる舞台であり、いま私たちが眼にしている芸術にもっとも欠落しているのは、この「森」なのだ。

2011/01/02(日)(福住廉)