artscapeレビュー
映像に関するレビュー/プレビュー
シリン・ネシャット 男のいない女たち[第2回恵比寿映像祭プログラム]
会期:2010/02/19~2010/02/28
東京都写真美術館[東京都]
シリン・ネシャットが初めて手掛けた長編映画。イラン革命前夜を背景にして揺れ動く4人の女性たちの生き方を寓話的に描き出した。それぞれの物語が断続的に紡ぎ出されながらも、最終的にはあるひとつの邸宅を舞台に一本化されるという展開に見られるように、映画的な文法を的確に押さえながらも、従来の詩的で謎めいた映像美はしっかりと描き出している。フェミニズム論者による批評が待望されるが、ベタな美しさを批判的に脱構築してきたフェミニズムが、この映画の美しさをどのように評価するのか、気になるところだ。
2010/02/25(木)(福住廉)
プレビュー:かなもりゆうこ展 物語─トショモノ
会期:2010/03/08~2010/03/27
ギャラリーほそかわ[大阪府]
映像、言葉、オブジェ、ダンスなどさまざまなメディアを駆使して、日常と非日常の狭間にある繊細な世界を紡ぎ出すかなもりゆうこ。新作のインスタレーションは書物と書物を愛する人へのオマージュになるらしい。会場の画廊では、2月初旬からじっくり時間をかけて撮影や設営が行なわれてきた。その出来栄えに今から期待が募る。
2010/02/20(土)(小吹隆文)
小泉明郎 展「A LOVE SUPREME 至上の愛」
会期:2010/02/12~2010/02/28
ギャラリーRAKU[京都府]
小泉明郎はイギリスの美術大学で学び、日本と欧米で映像やパフォーマンス作品を発表しているそうだ。関西では恐らく今回が初個展ではないか。恥ずかしながら私は彼の存在を知らなかった。展示のメインは、初日夜に行われたパフォーマンス《男たちのメロドラマ#3》の映像と舞台装置のインスタレーションで、別室では過去の3作品も上映された。同作品はは三島由紀夫の『金閣寺』を題材にしたものだが、小説の主人公というより三島自身をモデルにしたと思しき登場人物が、切腹すると思いきやマスターベーションを始めたのには驚かされた。濃密な暴力性にたじろぐとともに、右寄りの人たちに見つかったらえらい目に遭うんじゃないかと心配になった。旧作も人の神経を逆なでするまがまがしさが充満しており、《僕の声は、きっとあなたに届いている》は、青年が携帯電話で母を温泉旅行に誘う情景と思いきや、実は企業のカスタマーサポートに向かって一方的に喋っているという不条理なものだった。また《ヒューマン・オペラXXX》は、ある人物から深刻な体験を聞き出すインタビューだが、取材の過程で相手の顔に落書きしたり、訳のわからない道具を持たせたりして徹底的におちょくるというもの。正直見ていて不愉快になったが、その一方で日本人アーティストでここまでニヒルな作風を通す人は珍しいのではないかと感心もした。決して好きとは言い難いのだが、見る者の心にトラウマのような傷を刻む強烈な作品であることは間違いない。
2010/02/19(金)(小吹隆文)
向井智香 個展 the Atonement
会期:2010/02/08~2010/02/13
ぎゃらりかのこ[大阪府]
花束で磔刑図をつくり、それらが枯れて行く過程を記録したスチール写真(約3週間分、約7,000枚)を、早送りでスライドショー上映していた。私が最も驚いたのは上映機材。てっきり薄型テレビの縦起きだと思い込んでいたが、実は手作りの箱で、映像も外側から投影していた。本人いわく「大画面の薄型テレビは高価で買えなかったので、安価で効果的な方法を模索した」とのこと。会場が暗室だったので助けられた側面もあるが、それを割り引いてもほめられるべき上手な展示だった。
2010/02/10(水)(小吹隆文)
『残照~フランス・芸術家の家~』
新宿バルト9[東京都]
会期:2010/02/08、2010/02/11
小橋亜希子監督によるドキュメンタリー作品。「NHK-BSドキュメンタリー・コレクション」というテレビ放送の番組を映画館で公開する企画のひとつとして上映された。舞台は、フランスのパリ近郊。アーティストのための老人ホームで暮らす、年老いたアーティストたちの心情を、カメラは丁寧に浮き彫りにしてゆく。18世紀の貴族の邸宅を改装したこの施設では、ピアニストや彫刻家、画家、アニメーター、グラフィックデザイナーたちが創作活動に勤しみながら共同生活を送っている。彼らは、いずれも年老いたアーティストという点では共通しているが、その心の奥底はじつにさまざま。過去の栄光を頼りにして死を望んだり、子どもや孫にないがしろにされて深く傷ついたり、作品が売れたことに狂喜乱舞したり、新たなパートナーとともに暮らそうとして施設を出ようと画策したり、「アーティスト」というカテゴリーには到底収まり切らない、愛や欲望、悲哀といった人間の基本的な心模様が画面から溢れ出ている。たしかに特別な技能を持っているという意味でいえば、彼らは依然として超人的な「アーティスト」なのだろう。けれども、身体機能の衰えとともに隠せなくなったその技能の綻びが、彼らの世俗的で人間的な部分をよりいっそう際立たせていたのも事実である(くたびれた爺さんたちに恋心を寄せる老婦人たちの眼には、文字どおり星が入っている!)。この映像作品が教えているのは、いまも昔も、芸術はつねに世俗的な人間の営みのなかから生まれてきたのであり、美術と日常を峻別することじたいがきわめて不自然であるということだ。だとすれば、美術と福祉、あるいは美術館と老人ホームを区別する境界線そのものが、制度的に作られたものにすぎないのであり、つまりは正当な根拠に乏しいということが明らかになる。この芸術的な老人ホームは、もしかしたら日本の美術館にとっての未来像を先取りしているのかもしれない。
2010/02/08(月)(福住廉)