artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

4.10原発やめろデモ!!!!!!!!!

会期:2011/04/10

高円寺一帯[東京都]

今回の福島第一原発の大事故でもっとも恐ろしいのは、放射能の流出と拡散が眼に見えないばかりか、知覚することすらできない点である。インターネットを駆使することで地球の隅々まで視覚化する全能感に酔いしれていた現代人は、ここにきてまったく眼に見えない脅威と直面せざるを得なくなったわけだ。しかも、この新たな脅威はいま、原発推進派の知識人とマスメディアによって社会に順応させられつつあり、さらに私たちの視線が及ばない底に隠されようとしている。しかし、原発の危険性は自動車に乗れば交通事故に巻き込まれるリスクが高まるのと同じだという(屁)理屈を鵜呑みすることなど到底できるわけがない。この拒否の意思を表明するもっとも有効な手段は、いまのところデモである。二重の意味で不可視の脅威とされている放射能を拒否するのであれば、何よりもまず否定の意思を可視化しなければならないからだ。「いやだ」という思いを眼に見えるかたちに結集すること。この日、高円寺の「素人の乱」の呼びかけに応えて集まった1万人以上の人びとは、党派性や思想性、あるいは音楽性や芸術性の相違を超えて、とにもかくにも、この「いやだ」という一点を頼りに辛うじて形成された群衆だった。路上から群衆に加わる人もいれば、車道を練り歩く群衆を冷ややかに見つめる人もいた。問題の大きさから言えば、15,000人という動員数は決して多くはないのかもしれない。けれども、このデモは、原発をソフトランディングさせようとする社会に対して明白に拒否の意思を突きつける機会であったばかりか、参加者一人ひとりにとっては自分が必ずしも少数の例外であるとは限らないことを実感させる機会でもあった。群衆のなかには、政治家もアクティヴィストも、学者もアーティストも、スケーターもDJも、ベビーカーを押す若い夫婦も老夫婦もいた。群衆を形成しつつ、群衆を実感することこそ、原発に頼らない「エレガントな社会」(ウォルト・パターソン)への第一歩になるに違いない。

2011/04/10(日)(福住廉)

台北・百年印記─魅力古蹟攝影展/文学のナポレオン──バルザック特別展覧会

国立台湾博物館[台湾・台北市]

会期:2011年3月22日~6月19日(台北・百年印記─魅力古蹟攝影展)/2011年3月4日~4月8日(文学のナポレオン)
以前、ここでやっていた近代建築展が素晴らしく、日本の国立博物館でも見習ってもらいたい内容だったので、期待していたが、古建築写真展はハズレ。とくに解説や分類もなく、ただ壁に写真を並べただけのものである。代わりに、思いがけずバルザック展が良かった。展示の方法がカッコいい。十分な原資料がないところを、工夫した空間デザインにより、カバーしている。内容だけではなく、文化の成熟度はこういうところにあらわれる。

2011/04/08(金)(五十嵐太郎)

2010台北国際花の博覧会

会期:2010/11/06~2011/04/25

台北市内(圓山公園エリア、新生公園エリア、美術公園エリア、大佳河濱公園エリア)[台湾・台北市]

とにかく人が多く、室内展示を見ることは、ほぼあきらめた。もっとも、花博だけに、各国の庭園など、屋外展示が多い。パヴィリオンは、植物や自然との関係を表現するもので、その方法はおおむね以下の5パターンに分けられる。第一に、花茶殿のように、自然を眺める東屋という古典的なタイプ。第二に、自然そのものを室内に抱え込んだ空間をつくるもの。例えば、稀少植物を見学できる温室になった未来館。第三に、壁面を植物が覆ったり、屋上緑化を行なうなど、外部に自然の要素を与え、建築と植物の共生を視覚化するもの。例えば、緑の屋根に登ることができる、ドリーム館。第四に、自然の形態を模写したような造形。例えば、サナギのようなチョウ館、6枚の花びらが重なりあうイメージのアロマ館。そして第五に、自然素材の積極的な活用として、木材による大空間を実現した花の夢広場である。パヴィリオンのデザインで、これはというのは少ないが、若手建築家の劉克峰が設計に関わった、発光するペットボトル・ウォールの流行館は目立つ。

2011/04/07(木)(五十嵐太郎)

東日本大震災(舞浜・浦安)

舞浜、浦安[千葉県]

テレビでもよく報道される液状化の被害を確認すべく、舞浜から浦安を歩く。駅は真っ暗で、ディズニーランドは完全に沈黙していたが、イクスピアリはもう営業を再開していた。駅の反対側には、ショートケーキ住宅街があり、塀や道路がガタガタになっており、あちこちで工事中である。浦安に向かうと、平衡感覚を喪失するようなランドスケープ的な歩道が続く。地震で壊れたものは見かけなかったが、地盤の液状化で激しく傾き、使用不可になった交番など、小さな構築物の被害が認められた。目線より上はまったく日常の風景だが、足元、そして地下のインフラがズタズタになり、公園や公共施設、あるいはマンションに仮設トイレが多数設置されていたのも印象的である。地面には無数の亀裂が走り、段差が多数出現し、仙台の中心部よりダメージが大きいのではないかと思った。

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2011/04/06(水)(五十嵐太郎)

東日本大震災

[東北]

交通事情がある程度、回復したタイミングで、数日をかけて、各地の被災地をまわった。青葉区をはじめとして、仙台近郊の名取、亘理、仙台港、多賀城、そして岩手から南下し、大船渡、陸前高田、松島、石巻、女川などである。東京でテレビを見ていると、大量の情報があふれているにもかかわらず、「被災地」と「被災者」は画一的に切り取られがちだが、現場を訪れると、想像以上に異なる状況が展開していた。20m越えの津波によって、ビルがゴロゴロ転がっていたり、三階建てのビルの屋上にアクロバティックにクルマがのった風景など、文字通りに想像を絶する町の破壊を目の当たりにして、311以降は、暴力的な表現の現代アートや生ぬるい作品を深い考えもなく発表することが、しばらく難しくなったと思う。

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2011/03/29(火)(五十嵐太郎)