artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
入ッテハイケナイ家──“House” Keep out
会期:2010/09/10~2010/10/11
八番館隣[神奈川県]
吉祥寺のオルタナティヴ・スペース「Art Center Ongoing」を運営する小川希が、「黄金町バザール2010」内で企画したグループ展。かつて風俗店だった建物を会場に、有賀慎吾、柴田祐輔、鈴木光、永畑智大、芳賀龍一の5人がそれぞれ作品を発表した。いずれもデンジャラスな魅力を十分に発揮した作品で、見応えがあったが、それは空間の特性を過剰に引き出そうとしていたからだろう。柴田は1階の蕎麦屋だった店舗内をぐちゃぐちゃに引っかきまわし、芳賀も目的不明の暴力的な装置を取りつけることで、カモフラージュとしての蕎麦屋の仮面性と人工性を破壊してみせた。「ちょんの間」として使われていた2階では、有賀が拘禁された不気味な人体像を、永畑がチープでキッチュなセックスマシーンを、そして鈴木はモノローグで綴った私小説風の静謐な映像作品をそれぞれ展示した。こうした空間の歴史性や記憶を過剰に上書きするような戦術が際立って見えたのは、「黄金町バザール2010」が街の歴史や記憶をアートによって封じ込めようとしていたからだ。それが負の歴史を抱えるこの街にアートを根づかせるための戦略的な方途の現われだとしても、私たちの記憶に焼きつくのは、白い壁に展示されたアートなどではなく、むしろ暗がりの中で鼻をつくかび臭い匂いであり、それらに蓋をしようとするアートではなく、むしろ積極的に押し広げようとするアートである。まちおこし系のアートプロジェクトに意義があるとすれば、それはアートによって地域経済が潤ったり、地域の共同体が再生するなどという実利的な面ではなく、私たち自身がどのようなアートを必要としているのかを露にするところにあるのかもしれない。
2010/09/20(月)(福住廉)
六甲ミーツ・アート「芸術散歩2010」
会期:2010/09/18~2010/11/23
六甲ガーデンテラス、六甲山カンツリーハウス、六甲高山植物園、オルゴールミュージアム ホール・オブ・ホールズ六甲、自然体感展望台 六甲枝垂れ、六甲ケーブル(駅舎、車両内)、六甲山展覧台[兵庫県]
都会に隣接した豊かな自然環境であり、阪神間の在住者には身近なレジャースポットでもある六甲山。アートを触媒にしてその魅力を再確認してもらうと開催されたのが、この「六甲ミーツ・アート『芸術散歩2010』」だ。出品作家は国内外の41組。山頂の風を利用した藤江竜太郎のオブジェ群《Red or White》(公募部門で大賞を受賞)や、山頂から平野に向けて大声を叫んでもらうよう設置された西村正徳の《メガメガホン=オオゴエのフキダシ》など牧歌的なものから、植物園のガラス室をまるごと使用した太田三郎の《六甲山ハウス》、蓑虫そっくりのコスチュームに身を包んで木の枝に吊り下げられながらツイッターに書き込み続ける角野晃司の《蓑虫なう》など周辺の環境に溶け込んだ作品まで、実に多彩だった。しかし、それら作品を見ながらも一番記憶に残るのは、六甲山の自然や谷をわたる風、山上から見下ろす雄大な景観である。アートと自然が仲良く共存し、最終的に六甲山の魅力を再確認してもらうという主催者の意図は見事に果たされた。なお、山頂へは自動車でも行けるが、企画の趣旨を尊重して、電車、バス、ケーブルカーを乗り継いで出かけることをおすすめしたい。7つの会場のうち六甲ケーブル六甲山上駅以外は隣接しているが、山だけにアップダウンが思いのほか激しい。運動不足の身には少々応えるので、その点あらかじめご注意を。
2010/09/18(土)(小吹隆文)
瞳の奥の秘密
会期:2010/08/14
TOHOシネマズシャンテほか[東京都]
ファン・ホゼ・カンパネッラ監督によるサスペンス映画。25年前に未解決のままにされた殺人事件を再捜査する物語が、罪と罰、過去の恋愛や友愛などのテーマを織り交ぜながら展開していく。この物語の根底にあるのは、おそらく時間と記憶と忘却だろう。友人を犠牲にしたばかりか真実を追究することもできなかった悔恨、犯人に傷つけられた心の治癒、かつて好意を寄せた女性への断ち切れぬ想い、そして真犯人を裁く正義と復讐。辛く悲しい記憶は一刻も早く忘れるに限るという言い方があるように、時間の流れのなかで、えてしてそうした心の襞はしだいに滑らかに変化していくものだ。けれども、忘れようにも忘れられず、心の根の部分でどうしても凹凸を平らにしがたいこともある。それは決してスマートな姿ではないのかもしれないが、その「変わることができないもの」に拘泥することにこそ、人間ならではの精神的な営みが現れることを、この映画は見事に描ききっている。
2010/09/01(水)(福住廉)
活動写真弁士 澤登翠の世界
会期:2010/08/28
佃島説教所[東京都]
活動写真弁士の澤登(さわと)翠による独演会。畳が敷き詰められたお寺の集会所で、『チャップリンの番頭』(1916)と『番場の忠太郎・瞼の母』(1931)の2本が上映された。前者はともかく、圧巻だったのは後者。片岡千恵蔵が扮する浪人が生き別れた母を訪ねて旅を続ける物語に、澤登による声色を使い分けた話芸が絶妙のタイミングで重ねられる。稲垣浩監督による映画自体も、場面に応じて工夫したカメラアングルや迫力のある殺陣、役者の細やかな演技など、いちいちすばらしい。実の息子であることをなかなか認めてもらえなかった母に、ようやく受け入れられた結末のシーンで、片岡千恵蔵が一瞬見せる、子どものように無邪気な歓喜の表情は、それが次の瞬間エンドロールによってたちまち断ち切られてしまうことによって、観客の脳裏に深く刻み込まれたにちがいない。
2010/08/28(土)(福住廉)
藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築
会期:2010/07/24~2010/08/29
茅野市美術館[長野県]
建築史家で建築家の藤森照信による個展。構想を具現化したジオラマのほか、表面の仕上げに用いる建材の数々、これまでの作品を自ら解説した写真パネル、デッサンやスケッチが会場内に展示され、そしてこの展覧会のために制作された、UFOのように空中に浮かんだ茶室《空飛ぶ泥舟》が同美術館の広場で公開された。《空飛ぶ泥舟》というタイトルがすでに暗示しているように、藤森のこれまでの建築作品を見て気づくのは、それが宮崎駿の世界観と明らかに通底していることだ。フォルムの相似性はもちろん、アニメーションと建築というちがいはあるにせよ、どちらもファンタジーを具体的な形に仕上げる力量に長けているところも似通っている。表面や仕上げだけではない。今回展示された藤森の卒業制作《橋》にも《東京プラン2101》にも認められるのは、いずれも都市の廃墟を自然によって再生させるという構想だ。宮崎アニメがじつは強烈な厭世観によって成り立っているように、ファンタジックな藤森建築の底には現在の都市文明を否定する身ぶりが隠されている。あるいは、都市の破壊と再生をひそかに望むことこそ、すべての建築家に通じる原初的な欲望なのかもしれないが、それをあらわにしたという点でも、今回の展示はやはりすぐれている。
2010/08/27(金)(福住廉)