2019年12月01日号
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4.10原発やめろデモ!!!!!!!!!

2011年05月01日号

会期:2011/04/10

高円寺一帯[東京都]

今回の福島第一原発の大事故でもっとも恐ろしいのは、放射能の流出と拡散が眼に見えないばかりか、知覚することすらできない点である。インターネットを駆使することで地球の隅々まで視覚化する全能感に酔いしれていた現代人は、ここにきてまったく眼に見えない脅威と直面せざるを得なくなったわけだ。しかも、この新たな脅威はいま、原発推進派の知識人とマスメディアによって社会に順応させられつつあり、さらに私たちの視線が及ばない底に隠されようとしている。しかし、原発の危険性は自動車に乗れば交通事故に巻き込まれるリスクが高まるのと同じだという(屁)理屈を鵜呑みすることなど到底できるわけがない。この拒否の意思を表明するもっとも有効な手段は、いまのところデモである。二重の意味で不可視の脅威とされている放射能を拒否するのであれば、何よりもまず否定の意思を可視化しなければならないからだ。「いやだ」という思いを眼に見えるかたちに結集すること。この日、高円寺の「素人の乱」の呼びかけに応えて集まった1万人以上の人びとは、党派性や思想性、あるいは音楽性や芸術性の相違を超えて、とにもかくにも、この「いやだ」という一点を頼りに辛うじて形成された群衆だった。路上から群衆に加わる人もいれば、車道を練り歩く群衆を冷ややかに見つめる人もいた。問題の大きさから言えば、15,000人という動員数は決して多くはないのかもしれない。けれども、このデモは、原発をソフトランディングさせようとする社会に対して明白に拒否の意思を突きつける機会であったばかりか、参加者一人ひとりにとっては自分が必ずしも少数の例外であるとは限らないことを実感させる機会でもあった。群衆のなかには、政治家もアクティヴィストも、学者もアーティストも、スケーターもDJも、ベビーカーを押す若い夫婦も老夫婦もいた。群衆を形成しつつ、群衆を実感することこそ、原発に頼らない「エレガントな社会」(ウォルト・パターソン)への第一歩になるに違いない。

2011/04/10(日)(福住廉)

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