artscapeレビュー

その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー

デザイン 立花文穂

会期:2011/03/04~2011/03/28

ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]

アートディレクター/グラフィックデザイナーの立花文穂の個展。これまでの創作活動を、いわゆる「紙もの」を中心に振り返る構成だ。ベニヤの合板を組み合わせた簡素な陳列台の上には、立花によってデザインされた印刷物の数々が無造作に並べられた。こうした見せ方にすでに示されているように、立花のクリエイションに一貫しているのは、昨今のデジタル・デザインとは真逆の、手のひらと指先を駆使した手作りのデザインだ。紙の質感や匂い、そして文字の物質性。それらを重視したぬくもりのあるデザインを、身体性を失ったデジタル・デザインへのアンチとして位置づけることはたやすい。けれども、むしろ立花のデザインには、こう言ってよければ、「図画工作」的な衝動が走っているように思われる。それは、何かと何かを切り貼りしたり、つなぎ合わせたり、削り取ったり、誰もが経験したことのある、非常に原始的なものづくりの真髄だ。デザインであろうとアートであろうと、この基本的な欲望からかけ離れたクリエイションが人の心を鷲づかみにすることはありえないのではないだろうか。

2011/03/11(金)(福住廉)

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連続デブ小説 プロット展

会期:2011/02/03~2011/02/27

@btf[東京都]

AR(Augumented Reality)=拡張現実の技術を駆使するユニット、AR三兄弟の初個展。携帯カメラやパソコンなどをとおしてリアルな風景にデジタル情報を重ねて見せるAR技術を体験させる装置はもちろん、AR技術を用いた企画のもとになったアイデアノートなどを展示した。「どんなにおもしろそうなアイデアであっても、A4一枚の企画書に収まらなければおもしろくならない」。この鋭い言葉が如実に物語っているように、AR三兄弟の真骨頂は、AR技術を駆使する想像力というより、むしろその前提となる簡潔明瞭な言語感覚だ。無駄な部分を削ぎ落とし、必要な部分を育む。的確な言葉を選択することで、思考のプロセスを他者に向けて開いていく。昨今のアートプロジェクトでもっとも重要視されていることを、AR三兄弟はすでに身体化してしまっているわけだ。「メディアアートって、なんかださいじゃないですか」という彼らの言葉は、メディアアートのみならず現代アート全般に対する、的を射た批評である。

2011/02/09(水)(福住廉)

楳図かずお恐怖マンガ展 楳恐─うめこわ─

会期:2011/01/21~2011/02/14

PARCO FACTORY[東京都]

漫画家・楳図かずおの恐怖マンガを回顧した展覧会。「ねこ目の少女」や「猫目小僧」、そして「漂流教室」など、珠玉の名作をもとに展示を構成した。一枚一枚丁寧に描かれた絵の迫力が凄まじいのはもちろん、会場の照明を落としてペンライトの灯りを頼りに歩かせるという見せ方も、絵のおどろおどろしさに巧みに拍車をかけていた。けれども、その一方で「恐怖マンガ」という括りが気にならないではなかった。それが「ギャグマンガ」と相対させられていることはわかるにしても、ギャグマンガと恐怖マンガの明確な違いがよくわからないからだ。「まことちゃん」はたしかに抱腹絶倒のマンガだが、身の毛もよだつほど恐ろしい場面がないわけではないし、「漂流教室」をギャグマンガとして読むこともできなくはない。笑いと恐怖がじつは表裏一体の関係にあり、その薄い皮膜を爆笑と悲鳴で縦横無尽に切り裂いてきたのが、楳図かずおのマンガではなかったか。だからこそ、戦後マンガ史において楳図かずおは特殊な位置を占めているのである。

2011/02/08(火)(福住廉)

平成22年度(第14回)文化庁メディア芸術祭

会期:2011/02/02~2011/02/13

国立新美術館[東京都]

デジタル技術が映像文化を著しく成長させている一方、私たちの感性は依然としてアナクロニズムにとどまっているのではないだろうか。映像は日進月歩で進歩するが、それを映す眼球が追いつけないといってもいい。テクノロジーの進歩によって身体感覚を思いのままに拡張させることが容易になった反面、かえって肉体の物質性が際立ち、その不自由なリアリティの求心力が強まるという逆説。現在の映像表現が直面しているのは、このパラドクスにほかならない。今回のメディア芸術祭でいえば、Google earthやインターネットの情報セキュリティを主題とした作品がおもしろくないわけでないが、どうも理屈が先行している印象が否めず、眼で楽しむことができない。むしろ、素直に楽しめるのはサカナクションのミュージック・ビデオ《アルクアラウンド》。関和亮監督によるワンカメラ・ワンカットで撮影された映像は、CGを一切用いることない愚直なアナクロニズムに徹しているが、楽曲の進行にあわせて移動する画面に歌詞を視覚化したタイポグラフィーが次々と現れる仕掛けがたいへん小気味よい。ある一点によってはじめて文字が成立して見えるという点では、ジョルジュ・ルースを動画に発展させた作品といえるかもしれない。

2011/02/07(月)(福住廉)

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荒川智則 個展

会期:2011/01/13~2011/02/13

トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]

渋谷のTWSにて、カオス*ラウンジによる荒川智則展を見る。なんでロゴがメタリカ風なのだろうと思いつつ、会場のオタク的な空間とゆるい雰囲気に現代らしさを痛烈に感じた。即座に秋葉原的なオタクショップ、あるいはメイドカフェや猫カフェなどのラウンジなどを連想させる空間だろう。「?」をつきつける意味では「アート」なのだが、筆者は技術や審美にもとづく作品の方が好みだと痛感した。一見、ゆるくて汚い感じは、泉太郎の展覧会とも似ているのだが、彼は空間の使い方が巧く(神奈川県民ホールギャラリーの「こねる」展)、古典的な意味でもアートになりえている。ダメならもっと徹底する道もあると思うが、それも狙いではないのだろう。また本展は、集合知の別名である荒川智則とは誰かをめぐって、ネット時代の言説と批評を喚起する。確かに、語りたくなる展覧会ではある。

2011/01/22(土)(五十嵐太郎)

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