artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
知子の部屋
会期:2011/09/04
新港ピア[神奈川県]
横浜発のフリーペーパー「HAMArt!」が企画したトークイベント。BankART 1929が主催する「新港村」の一角を借りて、日本ソーラークッキング協会代表の鳥居ヤス子をゲストに招いて話を聞いた。ソーラークッキングとは、文字どおり太陽の光を熱に変換して調理すること。鳥居は、さまざまな装置をみずから開発することで太陽光エネルギーを暮らしのなかに取り入れており、そのユーモアあふれる温かな話を聞くと、おのずと自分でもやってみようという気になる。エネルギー問題は社会的公共的な問題であると思いがちだが、じつはきわめて個人的な問題でもあるわけだ。その意味で言えば、ソーラークッキングはDIY文化の一部としても考えることができるし、脱原発運動にとってのモデルにもなりうることがわかった。脱原発運動にとって重要なポイントが、これからの未来社会を構想していくことと、これまでのライフスタイルを反省していくことにあるとすれば、鳥居がすでに実践しているソーラークッキングは、電力に依存した現在の暮らしを個々の水準で塗り変える可能性を含んでいるからだ。今後は「ソーラークッキング」を、「スローライフ」や「ロハス」、あるいは「マクロビオティック」といった文化や暮らしをめぐる思想とともに、たんに消費のためのキーワードに終始させるのではなく、脱原発社会という目標に向けて練り上げる実践が必要とされるのではないだろうか。
2011/09/04(日)(福住廉)
北仲スクール都市デザイン系ワークショップ「横浜ハーバーシティ・スタディーズ」最終講評会
会期:2011/09/02
北仲スクール[神奈川県]
北仲スクールの「横浜ハーバーシティ・スタディーズ」の公開講評会にゲストクリティックとして参加した。今回は藤村龍至が課題を設定し、昨年試みた海市2.0の手法を改良し、実験的なワークショップ仕様としてバージョンアップしている。今回は架空の場所ではなく、山下埠頭という具体的な敷地が設定され、内容の評価がしやすくなった。ポイントは、あえて1/1,000のみとし、建築の細部に入らせず、都市を考えさせること。ひとりを除き、学生チームを毎日シャッフルする手法は、ワールドカフェのワークショップ版といえる。各段階のプロセスを模型として定着させる行為は、多数の主体がせめぎあう都市の径年変化を凝縮したかのようだ。
2011/09/02(金)(五十嵐太郎)
建築系ラジオ・ツアー
会期:2011/08/15~2011/08/17
石巻市、牡鹿、石巻市雄勝、南相馬市[宮城県、福島県]
建築系ラジオのツアーで、被災地をめぐる。福島の南相馬市から岩手の大船渡まで、三日間で10カ所以上を訪れ、女川ではキャンプを行う。多くの参加者は初めてだったが、筆者にとっては3.11以降、平均して三度目、五回目の場所もあった。今回は瓦礫の山による新しい地形の出現、もはや街が破壊されたことを想像しにくいくらい片付いた場所が生まれていること、すでに廃墟に草が生い茂っていることなどが印象に残る。
なお、南相馬市では、芳賀沼整による仮設住宅群、五十嵐太郎研究室(吉川彰布、村越怜)が基本設計を担当した集会場とその四面の外壁に描かれた彦坂尚嘉による壁画を見学した。
上:陸前高田の新しい地形
中:雑草が生い茂る南三陸町
下:彦坂尚嘉による南相馬市集会場壁画
2011/08/15(月)~08/17(水)(五十嵐太郎)
橋本典久の世界 虫めがね∞地球儀
会期:2011/06/10~2011/08/11
GALLERY A4[東京都]
「パノラマボール」で知られる橋本典久の個展。日常風景を撮影した写真を球体に張り合わせた立体作品《Panorama Ball[パノラマボール]》のほか、昆虫を生きたままスキャンして人間以上のサイズまで拡大した写真作品《超高解像度人間大昆虫写真》、6本のLEDアレイを高速で回転することでパノラマボールを動画化した《Panorama Ball Vision[パノラマボールビジョン]》などを発表した。いずれもハイテクノロジーを駆使したメディアアートといえるが、それらが技術に耽溺した凡百のメディアアートと異なっているのは、そこにきわめて原初的な「視たい欲望」が一貫しているからだ。巨大で精緻な昆虫写真にあるのは、小さな昆虫の肢体に目を凝らす子どもの執拗な視線であるし、パノラマボールにあるのは、視線の対象を四角いフレームによって再現することへの徹底的な違和感である。その結果、つくり出された作品が私たちの視線に軽い衝撃を与えることは事実だが、その一方で、それが必ずしも人間の視線に馴染むわけではないところに大きな意味がある。私たちがほんとうに驚くのは、四角いフレームと平面がこれほど人間にとって自然化されているという事実である。
2011/08/11(木)(福住廉)
8.6東電前・銀座 原発やめろデモ!!!!!
会期:2011/08/06
銀座・新橋一帯[東京都]
高円寺、渋谷、新宿に続く「原発やめろデモ!!!!!」の第四弾。日比谷公園から銀座、有楽町を周って、内幸町、新橋まで歩いた。原発の危機が早くも忘れ去られているのか、あるいは東京湾花火大会と日取りが重なったせいか、前回までと比べて参加者は激減し、しかも警察による行き過ぎた介入によってデモの隊列が大きく引き離されたため、デモならではの群集的な一体感や昂揚感はほとんど感じられなかった。あるいは、原発の是非にかかわらず、あらゆる異議申し立て運動がマイノリティからの発信であることを思えば、本来のかたちが露になったと考えられなくもない。けれども、かりにそうだしとても、今回のデモは今後の脱原発運動が考えるべき論点をいくつか示していたように思う。そのひとつは、警察権力との距離感。今回の警備体制は明らかに過剰だったが、それに対する挑発や反動がさらなる介入を呼び込むという悪循環を招きかねない危うさがありありと感じられた。そのようにして自滅していった政治運動を経験的に知っている者からすれば、適度な距離感を保つことを勧めるのかもしれない。けれども、「原発やめろ」という主張が長期的な時間を要する根深い問題であることからいえば、そもそも街頭におけるデモ行進という表現形式そのものを再考する必要があるようにも思う。険悪な顔つきの警察官に睨まれながら街を歩く経験は、単純にいって、ちっともおもしろくないし(すなわち、まったく美しくないし)、そうであれば、別のかたちを採用したほうが健全であり、なおかつ効果的だからだ。その新たな集団的表現形式の具体的なかたちはわからない。しかし、その中心的な原理が想像力にあることは、おそらくまちがいないと思う。かつて小野次郎はウィリアム・モリスを評してこういった。「欲望の解放はそのまま人間の解放にはならない。むしろ管理の体系にたちまち転化してしまうという事実は、今日のわれわれの出発点である。モリスは欲望の体系に置き換えるに想像力の体系をもってしたと一先ずいっておきたい」(小野次郎『ウィリアム・モリス──ラディカル・デザインの思想』中公文庫、p44)。モリスの思想がアーツ・アンド・クラフト運動や社会主義運動の只中で練り上げられたように、3.11以後の世界を生き抜く思想も、この想像力をもとにした運動から育まれるのではないか。
2011/08/06(土)(福住廉)